100話 ダンスパーティーと策略①
まだ誰もいないダンスホールをぐるりと見回す。去年あれだけ大騒ぎになったのに何の痕跡も残っていない。シャンデリアも新しくなったようで、きらきらと揺れる灯りが辺りを照らしていた。
――今年は去年のようなことが起こらなければいいが。
何も起こらないのは無理だとしても、シャンデリアが降ってくるのはやめてほしい。人が大勢集まっている場所では使える魔法にも限りがある。
非常時のために用意した魔道具のランタンを確認しながら息をつく。
「静かなダンスホールを見ることはあまりないから新鮮だね」
中央の扉からホールに入ってきたセシルが小さく笑った。今は生徒会の私たちしかいないが、あと1時間もすればこの場所は着飾った生徒で埋まるだろう。
その前に演奏団を迎え入れ段取りを確認しておかなければならない。前日までの告知や担当決めにはライアンやアンディーの手も借りていたが、当日まで手伝わせるわけにはいかない。
去年はホールに違法魔道具が持ち込まれるという事件があったため、今年から生徒たちに軽い手荷物検査を行うことになっていた。
そちらは先生方が対応し、生徒会は主に見回りを担当する。普段と違う雰囲気に流されて羽目を外す生徒が出ないようにするためだ。
「アレン、今日の格好も素敵だよ」
ふいに、セシルがそう言った。のんびり準備をする時間がないため、すでに私とセシルはタキシードを着ている。彼は落ち着いた赤色。そして私はグレーだ。
攻略対象のイメージカラーとしては青の方が良いかと思ったが、髪も鮮やかな青色だからかあまり似合わなかった。
「ありがとう。セシルも似合っている」
そう返しながら、懐かしいなと心の中で呟く。ゲームのダンスパーティーイベントではスチルがあったため、当然セシルルートではセシルのスチルが出てきた。
後半のイベントだったからぼんやり覚えている。その時も彼は、今と同じような赤色のタキシードを着ていたはずだ。
セシルは照れたように笑うと、私の隣に歩いて来て辺りを見回した。小さく咳をしてこちらに顔を向ける。
「今なら誰もいないし……ダンスの練習に付き合ってくれないか?」
「え?」
突然の言葉にきょとんとしてしまう。去年のダンスパーティーでも彼が踊るのを見ていたが、練習なんか必要ないくらい上手だった。
それにせっかく練習するのであれば、相手はカロリーナの方がいいのではないだろうか。彼女も準備ができ次第、生徒会として早めにホールに来る予定だ。
「カロリーナが来てからの方がいいんじゃないか?」
「……いや、その前に演奏団が来てしまうかもしれないし」
彼は首を振った。私に向き直って、真剣な顔で手を差し出す。
「君は女性パートも踊れるようになったんだろう? こんな時くらいしか機会はないから……曲もないけれど、よかったら僕と踊ってほしい」
そういえば、と入学前にダンス練習をしたことを思い出す。女性パートも踊れるようになったらまた踊ってほしいと、私から彼に頼んでいた。
約束したわけではないが、もしかしてそれを覚えていてくれたのだろうか。
じっとこちらを見詰める赤い瞳から目が離せない。廊下の窓から差し込む夕日はホールまで届かないはずなのに、何故か彼の顔も赤いような気がする。
つられるようにその手を取ろうとしたところで、パンッと大きな音が響いた。
驚いて振り返ると、ホールの入り口に人が立っていた。黒に近い紫のタキシードを着た彼は、合わせていた両手を離してにっこりと笑う。
「悪いわね、お邪魔だったかしら?」
「リリー先生……」
セシルは複雑な顔をして先生に目を向けた。リリー先生は何も言わず、手招きをする。私を呼んでいるのだと気付いて駆け寄ると、彼は小さく息をついた。
「もう、アレンは流されやすいんだから。今年は去年みたいに誰かと2人でホールを抜け出したりなんかしちゃ駄目よ?」
「わ……わかってます」
もちろん、今年はダンスパーティーの最中にダンス練習を頼まれるようなことがあっても断るつもりでいる。婚約者候補と出会う機会を逃さないためにも、生徒はできるだけホール内に集まっていたほうがいい。
大きく頷いて答えると、彼は苦笑いを浮かべた。
「まぁとりあえず元気そうで安心したわ」
「ありがとうございます。ご心配おかけしました」
どうやらリリー先生は、医務室担当医として私を気にかけてくれていたようだ。礼を返したところで、いつの間にか隣に来ていたセシルが口を開いた。
「ところで、先生は何故ここに? まだ生徒も誰もいませんが」
なんとなく言い方が刺々しい気がする。セシルもリリー先生には敬語だったのかと思っていると、先生は小さく笑って言った。
「言っておくけど、あたしは別に邪魔をしに来たんじゃないわよ? アレンにお客が来てるみたいだから呼びに来たの」
お客? と思わず呟いた声がセシルと重なる。一体誰だろう。わざわざ先生が呼びに来るということは、生徒ではないのだろうか。
リリー先生は男子寮の方を指さして、次いで首を傾げた。
「もう生徒じゃないから呼び捨てはよくないわね。去年卒業したけど、あんたと仲が良かったでしょ? ウォルフ・スワロー様が門のところで待ってるわよ」
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生徒会の仕事はセシルたちに任せ、薄暗くなってきた道を足早に進む。遠目に人影が見えたが、制服を着ていないから一瞬誰かわからなかった。
久しぶりに会うウォルフは、私に気が付くと元気に手を振って声を上げた。
「アレン君! 久しぶり。忙しい時に悪いな」
「いや、会えて嬉しいよ。急にどうしたんだ?」
ウォルフに駆け寄って挨拶をする。その場で立ったまま話し出そうとする彼を見て、門の傍にいた衛兵たちが数歩離れた。
彼らに気付いたウォルフは苦笑して少しだけ声を落とす。
「急いだほうが良いかと思ってさ。アレン君、以前カロリーナ経由でスワロー家に調査依頼を出したの覚えてるか? 中庭に落ちてたっていう赤い瓶の」
「ああ、もちろん覚えているが……」
そう返しながら首を傾げる。あれについての調査結果は遠征訓練の前にカロリーナから聞いていた。あの瓶は違法魔道具でもなんでもない、ただの瓶だったと。
その話をすると、ウォルフは首を振った。
「あの時はまだ中身の確認まで終わってなかったんだよ。正確な結果が出たのが今朝だったから、馬を走らせてきたんだ。去年のダンスパーティーであんなことがあったし、また何かあってからじゃ遅いからな」
彼の後方には、確かに馬が2頭繋がれている。1頭は護衛兵の馬らしい。今は婚約者と別荘に住んでいるらしく、馬車の用意が間に合わなかったそうだ。
そうまでして急いで来たということは、何かあったのだろうか。不安な気持ちを飲み込んで彼の言葉を待つ。ウォルフは周囲を確認すると、さらに声を落とした。
「まず結論から言うと、あれはただの瓶じゃなかった。あれは瓶自体が『魔鉱石』を加工して作られたものだ。国内ではあまり見かけないけど、輸入品には時々そういうものも混ざってる。まぁそれだけなら問題ないし、違法でもなんでもない」
そもそも違法魔道具とは、主に攻撃系魔法を設定した『魔道具』のことだ。瓶のようだったりランタンのようだったりいろんな形をしているが、基本的には普通の魔道具と変わらず見分けがつかない。
どこかに魔鉱石が埋め込まれていて、属性に限らず魔力を流すと作動する。そこから更に特定の動作をすることで、攻撃系魔法に切り替わる仕組みになっている。
「そう考えると、今回の瓶は違法魔道具には当てはまらない。でも色々と実験してようやくわかった。あれは普通に魔力を流しただけじゃ何も起こらないけど、ある属性の魔力にだけ反応する特殊な『魔道具』だったんだ」
「ある属性?」
彼は頷くと、小声で答えた。
「ああ。……闇魔力にだけ反応することがわかった」
聖魔力にも反応はなかった、と続ける彼の話を聞きながら息をのむ。あの瓶は属性の色が付いた魔鉱石ではなく、元は透明だったものに後から色をつけたらしい。
それならと全属性の魔力を試したが何も反応はなく、唯一影響したのが闇魔力だったそうだ。
ということは、やはり学園に持ち込んだのはマディだろうか。赤い瓶は誰かが偶然落とした可能性もあるが……と考えつつ、頭に浮かんだ疑問を尋ねる。
「魔道具ということは、闇魔力を流すと『作動』するのか?」
「そうだよ。攻撃系魔法じゃないけどね。あの瓶を売っている店を調べて同じ瓶を購入して、とある協力者に闇魔力を流してもらったんだ。もちろん中の液体も分析して同じものを……」
そこで彼は、ああそうだと手を叩いた。中身の話をしようとしていたのに後回しになっていたらしい。軽く咳をして、続ける。
「あの瓶の中身は香水だったよ。誰でも使ってそうな、普通のね」
でも、とウォルフは眉を顰めた。
「あの瓶を通して闇魔力を流すと、別の液体に変化するみたいだ」
「別の液体? 香水じゃなくなるということか」
「ああ。瓶を売っていた店の店長も知らなかったみたいだけど。魔力を流して中の液体を変化させるように『作動』するなら、あの瓶も立派な魔道具だ。つまり、スワロー家の管轄になる」
その瓶は検査を受けていない魔道具としてスワロー家の力で販売停止処分になったらしい。しかし、すでに購入されてしまった分までは把握できていないという。
学園前の街で売られていたため、学園の中にもその瓶を持っている生徒は多いだろうと彼は言った。
「ああいう瓶に香水を入れて持ち歩くのが流行ってるんだろ? カロリーナも似たようなのを持ってた気がするし、女子生徒が全員持っていてもおかしくない。まぁただの瓶も紛れているし、そもそも闇魔力がなければ別に問題ないんだけど」
誰が闇魔力を持っているかは分からない。それを聞いて頭を捻る。
「闇魔力を持っていたとして、わざわざ瓶に流すだろうか。その瓶が魔道具であることは店長も知らなかったんだろう。生徒が知っているとは思えないが」
「それはそうだな。偶然そこに闇魔力が流れるなんてこともないだろうし。劣化を防ぐための魔鉱石が入ってる瓶ならともかく、ただの瓶には魔力も流さないか」
ウォルフは眉を下げて笑うと、頬を掻いた。
今のところ分かっている情報だけなら、そんなに心配する必要はないかもしれない。生徒たちの手元に闇魔力で作動する瓶があるからといって全員が闇魔力を持っているわけでもない。万が一マディに操られても、本人が持っていない属性の魔力を流すことはできない。
それに販売停止になったということは、これ以上増えることもないだろう。中身はただの香水だろうし……と考えて、はっとする。
本当に何も問題のない魔道具なら、ウォルフが慌てることもないはずだ。
「……闇魔力を流した時、その瓶の中の香水はどう変わるんだ?」
もしや毒にでも変化するのだろうか。彼は「それがさぁ」と渋い顔をした。
「瓶にも色々種類があるし、香水なんてそれこそ数が多いだろ? その組み合わせを全部作って闇魔力を流すには、時間と協力者の魔力が足りなくてさ。どういう変化があるか完璧に分かっているわけじゃないんだよね」
考えてみれば当然のことだった。もし瓶の形や色によって反応が違うのであれば、組み合わせだけで膨大な数になってしまう。
瓶を用意するのも魔力を注ぐのも一朝一夕では済まないだろう。そのひとつひとつにどんな効果があるか調べるなんて、想像するだけで気が遠くなる。
ふいに周囲の街灯が点いた。もうダンスパーティーが始まる時間なのだろうか。
ウォルフは「ま、でも」と口を開いた。
「全部の組み合わせはまだ調べ切れてないけど、アレン君が報告してくれたあの赤い瓶と香水の組み合わせだけは先に確認したんだ」
それが危険だったから、他の瓶も危険な魔道具になりかねないと判断したらしい。彼は「そんな使い方をする奴はいないと思うけど」と前置きして言った。
「あれは中の香水を『対象を攻撃的にする効果』を持つ液体に変えるみたいだ。すぐ気化してしまうから近くにいないと効果はないし、人間には使ってないからわからない。でも、動物には効いたね。それから、まぁ動物と呼ぶには微妙だけど魔物にも効くみたいだな」
「魔物に……」
ふと、赤い瓶を中庭で見つけた時のことを思い出す。あの時は瓶から魔物が現れたのかと思っていたが、実際は魔物を攻撃的にするために使用されたのだろうか。
――間違いなくルーシーを傷付けるため? しかし、あんな場面でわざわざ魔道具を使う必要はなさそうだが……。
そう考えていると、ダンスホールの方向から音楽が風に乗って聞こえてきた。さすがにそろそろ向かわなければまずいかもしれない。攻略対象として、このイベントを欠席するわけにはいかない。
同じく音楽に気付いたウォルフは、ポンと私の肩を叩いた。
「ひとまず伝えたいことはこれくらいかな。大丈夫だと思うけど、同じような瓶を持ってる生徒がいたら気を付けてくれ。他にどんな効果があるかわからないし」
「ありがとう、気を付ける。……あ、そうだ」
軽く手を振って背中を向ける彼を呼び止める。闇魔力を持っていると伝えるだけでも勇気がいるだろうに、大変な実験を手伝ってくれた相手に感謝しなければ。
「その『協力者』にも礼を言っておいてもらえるか?」
「ああ、わかった」
彼はこちらを振り向くと、嬉しそうに笑って言った。
「家に帰ったら伝えておくよ」