97話 2度目の芸術祭②
ルーシーが真剣な顔をして衣装を繕っている横で、セシルが劇団長と最終的な段取りの確認をしている。劇が始まったらセシルは近くの席に移動する予定だ。
舞台裏には魔道具担当のエルビン先生を含めた数人と、私が残ることになる。
「うわぁ……本当にお貴族様しかいない。」
「き、緊張してきた。転んだりしたらどうしよう。失敗したら罰金とかある?」
「そんなこと言わないでよ! 私も転びそうなくらい脚震えてるんだから!」
カロリーナが壇上で挨拶をしているのを聞きながら、劇団員の3人が席に目を向けてコソコソと話している。全員、まだかなり若い女性だ。この歳で演者を務めているなんてすごいな、と実年齢も知らないのに勝手に尊敬してしまう。
普段は平民しかいない場所で活動しているから余計に緊張するのだろう。私もただ眺めているだけじゃなくて、何か声をかけるべきだろうか。
生徒会なのだからそれくらいは……と考えて、そっと近寄る。
「舞台上で何かあっても君たちに責任を問うことはないから安心してくれ。難しいかもしれないが、いつも通りで構わない」
怖がらせないようにできるだけ優しい調子で声をかける。彼女たちは突然話しかけられたことに驚いたのか、ビクッと肩を跳ねさせた。
逆に緊張させてしまっただろうか。話しかけるならセシルの方がよかったかもしれない。いや、王子相手も緊張するかと思っていると、3人は顔を見合わせた。
1人が目を輝かせて、じっと私を見上げる。
「あの……もしかして、アレン・クールソン様ですか?」
「え?」
劇団には生徒会役員が付くとしか説明されていないはずだが、どうして私の名前を知っているんだろう。不思議に思いつつ、頷いて返す。
「ああ、そうだ」
「や、やっぱり! お歳を考えたら、ちょうどご在籍だと思ってたんですよ!!」
何故か嬉しそうな顔をして、残りの2人も大きく頷いた。どうやら私のことは以前から知っていたらしい。
――平民に認知される機会なんて、昔に1度あっただけだが……。
しかしそれも10年近く前のことだ。新聞は残っているかもしれないが、当時は彼女たちも幼かったのではないだろうか。
まさかと思っていると、彼女たちは口々に言った。
「歴代最年少で氷魔法を使いこなした天才!」
「平民にも優しい上にその美形!」
「セシル王子を命がけで守った伝説のお方! お会いできて光栄です!!」
「あ、ありがとう……?」
勢いに押されて数歩後退る。さすがに違うだろうと思っていたが、今でもそれなりに有名なままらしい。聖女祭でも視線は感じたが話しかけられることはなかったから、もう落ち着いたのだと思っていたのに。
彼女たちは見ていたかのように魔力開放時の状況を語り合っている。新聞にはそこまで詳細に載っていたのだろうか。話しかけたのはこちらだが、どういう反応をすればいいかわからず苦笑してしまう。
と、慌てたように劇団長が歩いてきた。
「ったく、こんな本番直前に騒いで……もうすぐ挨拶だぞ! 準備しろ!」
えー、いいじゃない少しくらいと元気に文句を言いながら、彼女たちは私に一礼して去っていった。特に何もできなかったが、ひとまず緊張は解けたようだ。
若い劇団長は「すみません」と頭を下げると、頭を掻いて言った。
「クールソン様ですよね? こんなところでお会いできるとは……平劇団の演技なんて貴族の方々にとってはお目汚しになっちまうかもしれませんが、精いっぱい演りますので。楽しんでいただけたら幸いです」
「ああ、もちろん。楽しみにしている」
そこで12時の鐘が鳴る。挨拶を終えたカロリーナが、ステージを下りて前方の席に座った。その近くにマディが座っていることに気付き、つい注視してしまう。
芸術祭が終わったらすぐ解散になるため、劇団員は先に挨拶をするらしい。ぞろぞろと全員並んでステージに出て行く。マディは興味なさげに彼らを眺めていた。
最初から席に着いているということは、マディはこの間に何かをするつもりはないのだろうか。それともすでに何か仕掛けているのか。
ゲームの記憶があればと思ったが、残念ながら芸術祭についてはまったく覚えていなかった。イベントというイベントはなかったのかもしれない。
「できました!」
小声だったが、明るい声が背後から聞こえた。振り返るとルーシーがドレスを掲げて立っていた。裂けた箇所が綺麗に繋がり、遠目には目立たなくなっている。
「すごいなルーシー。助かったよ、ありがとう」
「いえ、お役に立てたようでよかったです」
セシルがほっとしたように微笑んで彼女を褒める。ルーシーは嬉しそうに笑うと、キョロキョロと辺りを見回した。
「ええと、これはどこに置いておきましょうか?」
衣装が入っている箱を探しているようだが、舞台裏が暗くて見つからない。本当なら燭台に火を灯すところだが、すぐに取り出せるようにするためか、あちこちに小物や台本が置かれている。ここで火を使うのは危ないだろう。
適当なところに置いておくわけにもいかないな、とルーシーに顔を向ける。
「私が預かろう。このまま舞台裏にいるから、彼らが戻ってきたら渡しておく」
「あ、ありがとうございます。では……」
彼女はこちらに駆け寄ってくると、おそるおそる衣装を差し出した。
その様子を見て気付く。
――そういえば、ルーシーと話すのもあの日以来か。
私が1人になりたいと言ったからか、渡り廊下で話してからは彼女と出会うこともなかった。もしかしたらルーシーの方から避けてくれていたのかもしれない。
不安そうな表情に申し訳ないと思いながら口を開く。
「ルーシー、その……急に距離を置いてすまなかった。もう大丈夫だ」
あまりに自分勝手だとは思うが、彼女にはしっかり伝えておきたかった。ルーシーは目を丸くして、驚いたように言った。
「大丈夫ということは、以前みたいにお話ししてくださるってことですか?」
「ああ」
そう答えつつ、ちらりとセシルに視線を向ける。セシルは一瞬はっとした顔をして小さく頷いた。ルーシーは安心したというように、眉を下げて笑った。
「よかった。何かお悩みになっているようだったので心配してたんです」
「君にも心配をかけていたか。……すまない」
「い、いえ! 私が勝手に気になっていただけなので」
彼女が慌てて首を振ったところで、音楽が聞こえた。この劇団はステージ上で生演奏もするらしい。挨拶は続いているが、それが終わり次第劇が始まるのだろう。
ルーシーは劇を観るのも初めてらしく、ちらちらとステージを気にしている。こんな舞台袖からではなくちゃんと席から見たいはずだ。そう思い、声をかける。
「本格的に劇が始まる前に席に着いたほうがいい。端の席なら空いているだろう」
「そ、そうですね」
ルーシーは舞台袖から席を見た。そして振り返ると、私とセシルに目を向ける。
「あの、おふたりは……あ、アレン様はこのまま残られるんでしたね」
「私の担当は劇団員の監視だからな」
しかし、と私もセシルに視線を向ける。
「セシル、君の仕事は劇団との打ち合わせだっただろう。君も今のうちに席に着いたほうがいいんじゃないか?」
舞台裏に残る生徒会役員は1人でいい。今も彼がここにいるのはルーシーがいたからだろう。せっかくなら2人で見たらどうだろうかと思ったが、それを攻略対象である私から言うわけにはいかない。
セシルは少しだけ目線を泳がせた。周囲に先生方がいるのを確認して息をつく。
「そうだね、そういう役割決めをしていたし……僕がずっと舞台裏にいたら、劇団の彼らも気にするかもしれないからね」
劇団員の彼女たちがあんなに緊張していたのは、生徒会に王子であるセシルがいたせいでもあるのだろう。
セシルもそれは分かっているらしく、「大人しく着席するよ」と苦笑した。
舞台裏から出て行く2人を見送って、ステージに顔を向ける。ヒロインが1人で座ることになるとは思えないため、彼らはきっと一緒に観ることになるだろう。
そうなると、このイベントはセシルルートで進むことになる。記憶には何もないが、だからといって何も起こらないとは限らない。
劇団員の彼らは良い人にしか見えなかったが、マディに操られる可能性もある。
――しっかりと監視の役目は果たさなくては。
挨拶を終えた劇団員が戻ってくる。すでに劇は始まっているらしい。1人だけステージに残った劇団長がナレーションのようなセリフを読み上げている。
この劇は前神官様、初代聖女が門を封印したところから始まる恋物語らしい。
劇団員たちはみんな先程とは打って変わって真剣な顔をしている。舞台裏では時々遊んでいるが、出番になるとすぐ役に入っているのが分かった。
舞台裏に置かれた物の位置もしっかり把握しているらしく、ステージから戻ってきて迷いなく小物を手に取り、再びステージへ戻っていく。その慣れている様子に思わず「すごい」と呟いてしまい、慌てて口を押さえる。
何故こんなに立派な演技ができるのに予定が空いていたんだろう。舞台袖から見ていても、平民だけでなく貴族にだって人気が出てもおかしくない演技だ。その証拠に最初は小声で会話をしていた生徒たちも、黙ってステージを見詰めている。
演奏も演技も衣装のデザインも申し分ない。ただ、貴族向けの劇団では見慣れない部分を強いて挙げるとすれば……。
「何よみんなして、突然私を聖女様だなんて! 今までは聖魔力なんて気持ちが悪いと言っていたくせに! 人の怪我を治してしまうこの力が、病を治してしまうこの力が恐ろしいと言っていたくせに!」
聖女役の団員がステージ中央で顔を覆ってしゃがみ込む。そこに雨が降ってくる。悲しみの表現だというのは分かるが、実際に水を使うわけにはいかない。そのため、効果音と『何かを降らせる』ことで表現しているらしい。
舞台袖では団員が筒に豆を入れ、傾けて雨音を表現している。ステージの端では別の団員が青い紙吹雪を降らせている。
それを見て、もったいないなと心の中で呟く。
多くの劇団では、基本的に演出には魔道具を使う。雨のシーンでは雨を降らせる魔道具を、風が強いシーンでは風の魔道具を、演出用として用意している。
しかし魔道具は単体でもそれなりに高価だ。平劇団がすべての演出用魔道具を用意するには、貴族の後ろ盾がないと難しい。ほとんどの劇団が演出に凝っているため、どうしても彼らの演出は演技に負けてしまっているように感じる。
同じ値段なら、みんな高いクオリティの舞台を観に行ってしまう。その結果人気のない劇団は席代を下げるしかなくなり、どんどん貧乏になっていくのだろう。
――個人で所有する本が高いから、劇は平民の代表的な娯楽だしな……。
その分、劇団の数も多い。常に激戦区だからこそ、一度人気が落ちると再び上がるのは難しい。そのためにはどうしても先立つものが必要になってしまう。
それを踏まえて目の前の彼らを見ていると、もどかしい気持になる。クールソン家に相談してもいいが、彼らだけを贔屓するのは良くないだろう。きっと同じように貴族の後ろ盾を得られず沈んでいった劇団は他にもある。
こんなに本気で取り組んでいるのに……と考えている間に、物語は終盤に近付いていた。ダンスパーティー会場から飛び出した聖女を神官様が追いかけ、手を握って気持ちを伝える場面だ。
そこで、舞台裏から慌てている声が聞こえてきた。
「お、おい! なんでだよ、なんで壊れてるんだ!? 昨日動作確認した時はちゃんと動いてただろ!」
何かあったらしい。急いで声の方へ足を向ける。劇団長が真っ青な顔をして、頭を抱えていた。
「どうした、何か問題か?」
「クールソン様! ええと……最後の場面で雪が降るんですが、そのために用意した魔道具が動かなくなってしまって」
彼の目の前には大きな箱のような物が置かれていた。話によると、これは芸術祭で公演すると決まった時にみんなで金を出し合って購入した、初の演出用魔道具らしい。箱の上部にプロペラが付いていて、側面には魔鉱石が埋め込まれている。
暗くて分かり難いが、よく見ると魔鉱石に大きなひびが入っているようだ。
「魔鉱石が割れていますね。これでは魔法は発動しませんよ」
いつの間にか傍にいたエルビン先生が自分の専門とばかりに呟いた。1人だけ持っていたランタンのような魔道具に魔力を注ぎ、明かりを灯す。
そして演出用魔道具の周りをぐるりと一周して言った。
「運び込んだ時にぶつけたのでしょう。魔道具自体に問題はなさそうですが、一番大事な石が壊れてしまっては……」
「そ、そんな……せっかく最後の場面くらいは魔道具を使おうと思ったのに……」
がっくりと落ち込んでいる劇団長を劇団員たちが励ましている。いつも通り紙吹雪でいきましょうと言っているのを聞きながら、ふと割れた魔鉱石に目を向ける。
ランタンに照らされたそれは、鮮やかな青色をしていた。