96話 2度目の芸術祭①
「それで昨日はお休みだったんですね。朝の食堂にもいらっしゃらなかったので心配してたんです」
そう言ってアンディーは不安そうな顔をした。今日は芸術祭だ。講堂へ向かう廊下を歩きながら、彼に顔を向ける。
「すまない。伝えておくべきだったな」
「い、いえ! お気になさらないでください」
一昨日、寮に帰ってからも大変だった。ひとまずライアン、ロニーと久しぶりに食事をした後、部屋でジェニーに質問攻めにされた。
午前中に帰ると言っておきながら18時の鐘が鳴るまで帰ってこなかったため、かなり心配されていたようだ。寝不足で倒れたと伝えると、彼女は青い顔をした。
医務室で休んだから大丈夫だと言ったが、当然納得されなかった。学園を休むか家に連絡をするかと選択を迫られ、結局1日寮で休むことになった。
小さな怪我ですらあれだけ心配されたのだから、倒れたなんて知らせたらどんな反応をされるかは想像できる。
とはいえ何も伝えないまま休んで、後から知られるとそれはそれで問題になってしまう。ジェニーの進言もあり、家には理由をぼかして手紙を送っておいた。
万が一芸術祭当日も休めと言われたらどうしようかと思っていたが、無理をしないようにと返事が来ただけで済んだ。
アンディーは私に目を向け、ほっとしたように微笑む。
「最近は何か思い詰めていらっしゃったので、今朝お顔を拝見して安心しました」
「……そんなに分かりやすいのか」
彼の言葉に苦笑する。一緒に食事をしていたから余計に気付かれてしまったのかもしれない。知らない間に心配をかけていたのだと思うと申し訳ない。
1日休んだおかげで体調は完全に戻っていた。しっかり眠れたからか、頭痛もなくすっきりしている。落ち込んでいた気分もだいぶ回復した。
――むしろ、あんなに悩んでいたのが不思議なくらいだ。
かつての記憶は確かに心の傷として残っているようだが、前世でも社会人になった頃からはほとんど忘れていた。雨が降ったってそんなに気にしていなかった。
どうして、突然ネガティブな思考に引っ張られてしまったんだろう。
よく分からないなと首を傾げてしまうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。これから生徒会として劇団と顔を合わせ、芸術祭の段取りを確認する。
生徒たちの案内をしたり開始の挨拶をするのも生徒会の仕事らしい。去年は途中から講堂に入ったから、私は最初の挨拶を聞いていなかった。
そういえば、と隣のアンディーに尋ねる。
「他の生徒はまだ昼休み中だろう? 君が講堂に行くには少し早いんじゃないか」
去年と同じく今日は昼休みが1時間前倒しだ。劇は12時の鐘と同時に開始される予定だが、鐘が鳴るまであと30分以上もある。
私が食堂を出た時、彼はまだ食事をしていたはずだ。それなのに生徒会室に寄って講堂へ向かう途中で、偶然合流した。何か急ぐ用事でもあったのだろうか。
アンディーは照れたように笑って頬を掻いた。
「ええと……実は、今日はホルト様と観劇をご一緒するお約束をしているんです。せっかくなので早めに席を取っておこうかと」
「ピアと?」
それは予想していなかった。いつの間にそんなに仲良くなったんだろう。何度も食堂で顔を合わせていたから、そこで友達になったんだろうか。
「ホルト様とは、その、共通の話題がありまして。……クールソン様は確か、生徒会のお仕事があって着席はされないんですよね?」
「ああ。私は劇団の監視を担当するから席にはいないな」
「やっぱり、そうですよね」
アンディーは「残念です」と小さな声で呟いた。一緒に見たいと思ってくれていたのかもしれない。
改めて考えると、私は去年も席に着いていなかった気がする。来年こそはと思うが、生徒会に入っていたら難しいだろうか。
芸術祭では、生徒会役員と先生方数名で舞台裏の監視することになっていた。普段は護衛兵すら入れない学園内に、この1日だけは外部の人間が入ることになる。
事前に検査を受けているらしいが、悪意を持った誰かが紛れていないとも限らない。何も起こらないといいなと思いつつ、杖を持ってきていることを確かめる。
――セシルはルーシーと観るだろうと思って、私が監視役を引き受けたんだよな。
実際に彼女が誰と観劇するかはまだ分からないが……と、考えているうちに講堂に着く。アンディーはぺこりと頭を下げて、さっそく席を選びに向かった。
ほとんどの席は空いているが、すでに座っている生徒もいる。その中に見覚えのある赤茶色の髪が見え、段を下りて近付く。
「ロニー、もう来ていたのか」
彼もまだ食堂にいると思っていたが、一足先に来ていたようだ。ロニーは声に気付いて振り返ると、ぱぁと顔を輝かせた。
「アレン様! もしかして一緒にご覧になりますか?」
「いや、すまない。生徒会の仕事があるから一緒には観られないんだ」
「そうですか……」
分かりやすくしょんぼりと肩を落とす彼を見て、可愛らしいなと思ってしまう。
さらさらと頭を撫で、周りを見回す。
「ロニーは誰かと一緒に観る約束をしていないのか?」
「そうですね、してません」
「それにしては来るのが早かったな」
ロニーが座っているのは最前列の真ん中だ。彼は芸術祭も初めてのはずなのに、良い席を取るためには早く来る必要があると知っていたらしい。本当は先輩である私たちから教えなければならないことだが、色々あって伝え損ねていた。
ロニーはどこか誇らしげな顔で頷く。
「食堂でみんなが『自分で席を選ぶ』と話していたのを聞いたんです。前の席に大きい人が来たら見えなくなってしまうと思ったので、ライアンより先に来ました」
ロニーはライアンより前の席を取るため、食べきれない量のランチを頼んで半分以上ライアンに押し付けてきたらしい。
だからこの場にライアンがいないのか、と苦笑してしまう。
――まぁ、彼なら食べきれないこともないだろうし、余裕で間に合うだろう。
そう思っていると、突然辺りが騒がしくなった。座席からではなく、ステージの方からざわざわと声が聞こえてくる。
「馬鹿お前! 何してるんだよ、衣装が破れちまっただろ!」
「だって舞台裏がこんなに暗いと思わなくて」
「魔道具で明かりをつけたらいいのでは?」
「それで色々燃えちまったらそれこそ大惨事だよ!」
どうやら劇団の彼らはもう着いていたようだ。
ロニーと別れ、急いで舞台袖へ足を向ける。そこにはシンプルな服を着た劇団員たちと、苦笑いを浮かべているセシルの姿があった。
彼はいつの間に来ていたんだろうと思いつつ、近寄って声をかける。
「すまない、遅くなった」
「アレン! 体調はもう大丈夫なのかい?」
こちらに顔を向けたセシルは心配そうな顔をした。彼の隣に立って劇団員たちに目を向ける。彼らは私に気付いた様子もなく、元気に言い合いをしていた。
「大丈夫だ。何があったんだ?」
「大道具に躓いて転んだ際に、劇で使う衣装を破いてしまったみたいでね」
それを聞いて、改めて彼らを見る。手にしているドレスのような服が一部裂けているのがわかった。裁縫ができる団員は、運悪く風邪をひいて休んでいるらしい。
セシルは困ったように腕を組んだ。
「平劇団だから代わりの衣装もないらしくて……出番は後半らしいから、カロリーナが来たら似たようなドレスを持っていないか聞いてみようと思っているんだけどね。さすがにサイズまで合う可能性は低いだろうな」
平劇団とは、過半数が平民で構成された劇団のことだ。主に街の劇場や広場で平民を対象として公演を行っている。
彼らからすれば、大勢の貴族に観られること自体稀なはずだ。普段と違う状況のせいか劇団員の彼らは感情的になっているようで、今にも喧嘩を始めそうだった。
その様子を見ながら、私も腕を組んで頭を捻る。
――裁縫か。ボタン付けくらいならできるかもしれないが……。
正直、裁縫は前世からあまり得意ではない。手縫いで服を繕った経験もない。この世界にもミシンはあるが、使い方が分からないしこの場にはない。
そもそも貴族が針を使うのは女性が刺繍をする時くらいらしい。当然のように男性である私は学んだことがなく、選択授業にも含まれていなかった。
「先生か誰か、裁縫ができる人がいれば」
セシルがそう呟いた時だ。あの、と躊躇いがちな声が後ろから聞こえた。
セシルと同時に振り返り、目を丸くする。衣装が破れたと聞いた時からなんとなくこの展開は予想できていた。
その桃色の髪を見て、彼女なら大丈夫だろうと早々に安心してしまう。
「裁縫は得意なんです。私でよければ、お手伝いさせてください!」
ルーシーはそう言って、ぐっと両手を握りしめた。
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「まぁ。それでこちらにルーシーさんがいるのですね」
12時の鐘まであと10分。生徒の案内を済ませたカロリーナが舞台袖に来て、納得したように頷いた。彼女の視線の先では、ルーシーが急いでドレスを繕っている。
暗くて手元が見え難いはずなのに、得意と言うだけあってかなり手際が良い。これなら出番には余裕で間に合うだろうと劇団員たちも胸を撫で下ろしていた。
「彼女にこんな特技があったとはね。どうしようかと思っていたから助かったよ」
セシルの言葉に、隣で頷く。残念ながらカロリーナも似たようなドレスは持っていないらしい。近くにいた先生方や生徒にも声をかけたが、刺繍はできても裁縫ができる人はいなかった。こうなると、もう完全にルーシーに頼るしかない。
ゲームでもこんなイベントだったのだろうか。まったく覚えていないなと首を傾げていると、ふいにセシルがこちらを向いた。
「さっきまで君は何かを考えているようだったから、もしかして裁縫もできてしまうのかと思ったよ」
私にも何かできないかと考えていたことが筒抜けだったらしい。期待には添えられなかったが、セシルには昔から気付かれてしまうなと苦笑する。
「いや。さすがに服を繕うのは無理だ」
「アレンなら何でもできてしまいそうだけどね」
それを言うならセシルの方と言いかけたところで、カロリーナがふふと笑った。
私たちを交互に見て、嬉しそうに目を細める。
「やっぱり、そうやって仲良く並んでいらっしゃる方が素敵ですわ」
彼女の表情を見てハッとする。思えば、カロリーナと最後に会ったのはあの日の生徒会室だ。昨日は私が休んでいたし、食堂でもタイミングが合わなかった。
礼を言い損ねていたな、と彼女に向き直る。
「カロリーナ、ありがとう。君のおかげだ」
「いえ、そんな。私は何も」
カロリーナは眉を下げて笑うと、首を振った。何もしていないなんてことはないだろう。セシルは彼女に諭されて目が覚めたと言っていた。カロリーナがいなかったら、今も彼とは落ち着いて話すことなんてできなかったはずだ。
隣で黙っていたセシルが口を開きかけたところで、「まもなく鐘が鳴ります」と先生の声が聞こえた。芸術祭開始の挨拶はカロリーナの担当だ。
礼をして壇上へ向かおうとする彼女に声をかける。
「カロリーナ。……君が私の『味方』でいてくれて、助かった」
カロリーナは振り返って目を丸くすると、にっこりと力強く微笑んだ。