10話 王宮のお茶会③
セシルと共に広場に戻る。また子供たちに囲まれるかと思ったが、そんなことはなかった。
あちこちから視線は感じるものの、私たちに近寄ってくる気配はない。王子に注意されたのが効いたのか、マークスも大人しく椅子に座っている。
私が元いたテーブルを見てみたが、置いておいたケーキ皿は片付けられてしまったようだった。捨てられてしまったのならもったいなかったなと思いながら、近くのメイドに同じケーキを取り分けてもらうように頼む。
「アレンは、ケーキが好きなのかい?」
私がケーキを受け取っているのをじっと見ていたセシルが、不安そうに尋ねてきた。その様子からして、特にマナー違反というわけではなさそうだ。しかし何故そんな顔をしているのだろう。不思議に思いつつ、答える。
「ああ。セシルは嫌いなのか?」
「え、えっと、僕は……」
セシルは答え難そうに俯いてしまった。私はゲームの知識として彼のことを甘党だと思っているが、実際は違うのだろうか。でも、嫌いなら嫌いだと言いそうな気もする。それに、おそらくこのお茶会を計画したであろう王妃様も、彼が甘党だと知ってるんじゃないかと思う。
ひとまずセシルの話を聞いてみようとしていたところで、再び聞き覚えのある声がした。
「セシル様、そんな奴に無理して合わせなくていいと思いますよ。ケーキなんて女が食べるものですから」
椅子に座っていたはずのマークスが、紅茶を片手に近付いてきていた。機嫌が直って余裕ができたのか、人を馬鹿にしていた態度に戻っている。
にやにやしている彼を睨みつけながら、懲りない奴だと心の中で呟く。さっきのこともセシルが優しく窘めたため、怒られたとは思っていないのかもしれない。マークスの言葉で、セシルの表情がさらに暗くなってしまう。
それに気付くこともなく、彼は続けた。
「甘いものが好きなんて、男らしくない」
――男らしくない……?
そこで、セシルルートのとあるイベントが頭に浮かんだ。学園でヒロインが作ったケーキを食べたセシルが、彼女に心の内を吐露するシーンだ。
『僕はずっと王子として育てられて、それに応えなければいけないと思っていたんだ。王子らしくあることが国民のためで、みんなに望まれていることだって』
セシルの悩みがそこで初めて明かされたからか、わりと覚えている。彼はみんなに望まれた王子らしくあろうと、子供のころから自分で自分を縛っていた。本当はもっと自由で好奇心旺盛な子供っぽい性格なのに、それを押し殺して大人のように振舞っていたようだった。
『だから、男らしくないことは全部我慢していた。……本当は甘いものが好きなんだって、君のおかげで思い出せたよ。ありがとう』
そう言ってヒロインに笑いかけていたと思う。つまり、それまでずっと彼は甘いものを我慢していたということだ。それも、男らしくないという理由で。
でもそのイベントでケーキを食べたからといって、その後何かが変わるようなことはなかったはずだ。
それなら、今食べても問題ないんじゃないだろうか。なにより、これからヒロインと出会うまで10年間も好きなものを我慢するなんて辛すぎる。
「甘いものを食べるのが男らしくないなんて、誰が決めたんだ?」
セシルが俯いている理由がわかったため、はっきり尋ねる。思ったより声が響いたようで、子供たちが一斉にこちらを見た。目の前のマークスは馬鹿にしたように笑って、先ほどと同じセリフを繰り返した。
「男がケーキなんて食ってるの見たことないぜ? みんなもそうだろ?」
彼が同意を求めて周りを見渡すと、子供たちは小さく頷いていた。だから誰もケーキに手を付けなかったのか。大人の男性が子供の前でケーキを食べる機会なんてあまりなさそうだしな、と思いながら言い返す。
「見えないところで食べているだけかもしれないだろう」
確かに前世でも、昔は男女のイメージによる差別はあった。男性がメイクをするのはおかしい、みたいなのと似たようなものだろう。でも特に決まりがあるわけじゃないなら、こういうのはやったもん勝ちなところがある。
そもそも、子供のころから気にすることじゃない。食の好みならなおさらだ。体裁を気にして好きなものを我慢するのは、もう少し大人になってからでもいいと思う。
それに、と一番確実なことを、子供たち全員に聞こえるように口にする。
「わざわざ男児に限定して招待しているのに、女性専用のお茶菓子を用意するだろうか?」
それまで俯いていたセシルが顔を上げた。マークスも目から鱗が落ちたような顔している。ざわざわと子供たちが互いに顔を見合わせているのを見て、安心させるように言う。
「これは、私たちのために用意されたケーキだ」
だから、食べても問題ないはずだ。彼らも、もちろんセシルも。
メイドから受け取ったまま手を付けていなかったケーキを、新しいフォークと共にセシルへ差し出す。彼は反射的にそれを受け取ったが、なかなか食べようとはしなかった。
嫌いであれば無理はさせたくないと思ったが、彼はその皿をテーブルに置くことも私に返すこともなく、ただ見つめている。表情からして、決心がつかず悩んでいるようだった。
セシル、と静かに声をかける。
「このお茶会は、君のために開かれたものだろう?」
その言葉に、セシルはハッとした顔をした。
途中から気付いていた。わざわざ彼と同じくらいの男児のみを集め、子供側にメイド以外の大人たちは一切関与せず、遠くから見守ってセシルに任せている。
王子として成長させたいなら、子供だけじゃなく大人とも交流させたほうがいいし、男児だけではなく女児も呼ぶだろう。
これは王妃クリスティナ様がセシルのために、普段から気を張って大人のように振舞っている彼が、一時でも子供らしくあれるようにと開いたお茶会なのではないだろうか。
「それとも、甘いものは嫌い?」
もう答えは分かっていたが、無理に食べさせるのでは意味がない。断られた時は皿を受け取ろう、と手を差し出して尋ねる。
彼は一度私を見ると、ケーキ皿を自分の方に引き寄せて首を振った。
「いや。……好きだ」
そう言ってフォークを手に取り、ケーキに刺す。みんなが黙って見守る中、一口大に切ったケーキを口に運んだセシルは、ぱっと顔を輝かせた。
「美味しい……!」
続いて2口、3口と食べ進める彼の幸せそうな表情を見て、安心する。王宮に来て初めて、子供らしいところを見たような気がする。
同じようにセシルの様子を見ていた子供たちが、わっと一斉にテーブルに置かれたケーキに向かって走っていった。僕も俺もとメイドたちにケーキを頼み、皿を受け取って嬉しそうな顔をしている。
気が付いたらマークスも彼らに混じってケーキを受け取っていたので、少し笑ってしまった。ほぼホールのまま残っていたケーキがどんどん小さくなっていく。みんな我慢していただけで、本当は食べたかったらしい。
「クールソン様、こちらをどうぞ」
先ほどマークスに絡まれていたメイドがケーキを持ってきてくれた。取り分けてもらったものをセシルにあげてしまったので、自分の分がなくなっていたことに気付く。ありがとうとそれを受け取ったところで、セシルに手を掴まれた。
「アレン、他のケーキも食べにいこう!」
「えっ、もう食べ終わったのか?」
「うん! 早くしないとなくなってしまうからね」
目をキラキラと輝かせた彼に引っ張られる形で子供たちの渦に飛び込んでいく。
私はまだケーキを持ってるんだが、という声は届かなかった。
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くす、と思わず笑った声が漏れてしまい、斜め前に座っていたアレクシアが目を丸くした。
「あらクリスティナ様、何か良いことでも?」
「ええ、あなたの息子のおかげでね」
私がそう返すと、彼女は不思議そうな顔をして首を伸ばしていた。ちょうど彼女の席からは子供たちの様子が見えないらしい。
詳しく話してあげたいが、他の公爵夫人の前で彼女の息子ばかり褒めるわけにはいかない。子供たちの様子は後ほど息子から直接聞いてもらうことにしよう。そっと紅茶を飲んで、クッキーを口に運ぶ。
今回こちらにはクッキーとスコーンしか用意していなかった。ケーキは子供たちのためだけに作らせたものだ。招待した7家に対して8種類のケーキは多すぎたかもしれないが、子供たちならすぐに食べつくしてしまうだろうと思っていた。
それがまさか、王子であるセシルが手を付けるまで他の子供たちも食べないなんて。1人例外はいたようだけど。
――あの子には、昔から我慢ばかりさせてしまっていたわね。
待ち望んでいた男児だったこともあり、セシルには生まれた時から多くの期待が向けられていた。できるだけ自由に育ってほしいと思っていたが、誰もがあの子に『王子』であることを期待し、そしてあの子もそれに応えようとした。
誰に言われたわけでもなく愛想笑いを覚え、私に甘えることもほとんどなくなった。用意された絵本よりも大人向けの本を読み、いつのまにか、昔は大好きだったはずの甘いものを食べることも避けるようになっていた。
周りの期待が、まだ幼い彼を王子という役目に縛り付けてしまっていた。
今は子供たちの輪に入り、楽しそうにケーキを食べているセシルを見る。あんなに子供らしい笑顔は久しぶりだ。さっきまで何か揉めていたようだったが、こちらには声が聞こえないようにしているため、詳しいことは分からない。
ただ、ほぼ誰も手を付けていなかったケーキが急に減り始めたことと、その中にセシルが混ざっているのを見ると、傍にいたアレンが何かしてくれたのだろうということは分かった。そんな彼は何故か2つもケーキを乗せた皿を片手に持ったまま、セシルに手を引かれている。
アレクシアにそっくりな青い髪に灰色の瞳。彼女と違ってあまり表情は変わらないけれど、感情は分かりやすい子だった。挨拶の時も緊張していて微笑ましく思った。
大人びているが、セシルのように無理をして背伸びをしているのとは違うような気がする。セシルに引っ張られているのを見ても、まるで大人が子供に付き合ってあげているようだ。広場に着いて真っ先にケーキを食べていたのは子供らしいと思ったのに、不思議な子だ。
「それにしても、子供の成長は早いものですね」
正面のスワロー公爵夫人が、同じように子供たちの様子を見ながらそう言った。全員が頷いて同意を示す。自分の子供しか見ていないと分からないが、他の子供たちを見ていると時の流れが妙に早く感じる。
「スワロー家には確か、娘さんもいらっしゃいましたよね」
「ええ、ちょうどアレン様やセシル王子と同じ歳です」
アレクシアの言葉にそう返しているのを聞いて、そうだったと思い出す。彼女のところは年子で、今日来ている息子のすぐ下に娘がいた。セシルと同じ歳なら次回は彼女も呼んでみようかしらと思いながら、再び子供たちの方を見る。
アレンと並んでケーキを食べている姿が目に入り、まだセシルには早そうねと考え直した。今は新たな出会いを増やすよりも、今日できたばかりの縁を深めたほうがいいだろう。私としても、アレクシアと2人で話す機会がほしい。
会話がひと段落した隙を見てアレクシアにそっと顔を寄せ、小声で伝える。
「今度は秘密のお茶会を開きましょうか」
私たちのためにも、そして子供たちのためにも。
彼女はすぐに言葉の意味を理解したようで、「ええ、喜んで」と嬉しそうに笑った。