89話 ヒロインと秘密の図書室②
「仕方ない。私が先に下りる。君は後から付いて来い」
入口が本で隠されていたとはいえ、ここは学園図書館の中だ。学園の生徒である私たちが入っても問題にはならないだろう。
ルーシーが頷いたのを確認し、暗闇に足を踏み入れる。完全に真っ暗というわけではないが、それでもかなり暗い。足元に注意しながら慎重に階段を下りていく。
彼女は私との距離を保ちつつ、そろそろと後を付いてきた。
それほど長くない階段を抜けると、開けた場所に出た。前世の教室くらいの広さの、狭い部屋だ。天窓から入ってきた日の光が辺りを明るく照らしている。あまり高くない天井を見上げると、天窓の外に草が揺れているのが見えた。
部屋には背の低い本棚が点々と並んでいて、学園図書館でも見たことのないような本が置かれている。ルーシーが、わあと声を上げた。
「すごい! 素敵な場所ですね。秘密の図書室みたい」
そう言って楽しそうに近くの本棚に駆け寄る。私も同じように本棚に近寄りつつ、ぐるりと辺りを見回した。そして、心の中で呟く。
――まさか『ここ』に繋がっているとは……。
この場所には来たことがある。今から10年前、セシルと共に。
王宮の図書室に置かれていた移動用の魔道具。あの先が学園図書館の地下に繋がっていたらしい。下りている間もなんとなく既視感を覚えていたのは、きっと昔も同じ階段を通ったからだ。
本来ここはこうやって学園図書館から入る場所なのだろう。誰にも言わなかったからこそ、王宮からしか入れない場所だと思い込んでいた。
どうやら、この場所のことはマディも知らなかったらしい。聖魔法の本も闇魔法の本もしっかりと棚に並んでいる。
日はだいぶ傾いているため、あまり時間に余裕があるわけではない。目に付いた闇魔法の本を手に取り、さっと目次を確認する。こうして読めないと思っていた本に出会えたのは僥倖だった。
図書館から聖魔法などの本が消された時。学園以外であれば、それらの本も普通に残っているのではと考えた。
しかしこの世界の本は安いものではなく、主に貴族が所有するために作られている。前世のように誰でも立ち読みできるような店があるわけではない。特に魔法に関する本は、平民の目に触れないよう取引されるらしい。
何度も通った王宮図書室の本はほぼ読んでいるし、記憶にも残っている。それ以外の本はないかとクールソン家経由で調べてもらったが、今は在庫がないと言われてしまった。ただでさえ歴史書などに比べると数が少ないのに、魔物被害の影響もあって、貴族たちが聖魔法と闇魔法の知識を求めたようだ。
ぱらぱらとページをめくり、知らない情報はないかと注釈も含めて目を通す。
ふと、ページの最後に付け足すように書かれていた文に目が留まった。
闇魔法を使う際の注意点。『ただし』から始まり、次のページに続いている。
『魔法の種類によっては、術者より多い魔力を持つ相手に対して効果が表れ難い。また、魔力の少ない相手であっても、個人の強い想いを完全に消し去ることは難しい。外部から想いの干渉によって効果が弱まる場合もあると留意すること』
なんとなくだが、『強い想いを闇魔法で消すことはできない』というようなセリフをどこかで聞いた覚えがある。
もしかしたら、ゲームの中で誰かが言っていたのかもしれない。
乙女ゲームの世界でラスボスが使う闇魔法の弱点が『想い』だというのなら……それはおそらく『恋』のことだろう。そう考えると、確かに最終決戦でそんなやり取りがあったような気もする。
恋の力で敵の攻撃を跳ねのける、というのも実は王道だったりするのだろうか。恋ができなくても、闇魔力に耐性があればなんとかなるかなと苦笑する。
――まぁ、そういう場面があったとしても、狙われるのはルーシーと最も仲がいい攻略対象だけかもしれないが。
と、別の本棚を眺めていたルーシーが首を傾げながら近付いてきた。私の前で立ち止まって、棚に向けていた目をこちらに向ける。
「聖魔法の呪文がまとめられているような本を探しているのですが……アレン様はそういった本がどの辺りに置かれているか、ご存じありませんか?」
「聖魔法の呪文か。それなら他の属性の呪文とは別の本だろうな」
そう返したところで、思い出した。10年前と場所が変わっていなければと部屋の奥へ足を進める。ルーシーは不思議そうな顔をして付いて来た。
棚に置かれた真っ白な本が目に入る。金の装飾がされていて、題も作者名も書かれていない。手に取ってさっと中身を確認し、彼女を振り返る。
差し出された本を見て、ルーシーは目を丸くした。
「すごい、どうしてここにあると分かったんですか?」
「……ただの勘だ」
昔来たことがある、とは言えない。あれは今でもセシルとの2人だけの秘密だ。
ルーシーがその本を読んでいる間に、近くの棚から適当な本を取り出して開く。横目で彼女を見ながら、気付かれないようにこっそり息をつく。
――最後のページには、やはり何も書かれていなかったな。
昔あの白い本を見た時、最後に書かれていた日本語の呪文。印象が強すぎて未だに忘れようとしても忘れられない。
セシルに見せようとした時には消えていたが、また復活しているのではと思っていた。本当にあのまま消えてしまったらしい。
本当はルーシーが知るべき呪文だったのではと一瞬考え、首を振る。もし彼女がゲームでも同じ呪文を使っていたらさすがに覚えていただろう。
それこそ、ヒールやホーリーライトと同じように。
「ホーリーライト……」
ちょうどその呪文が書かれたページを読んでいたらしい。
小さな声で、彼女が呟いた。呼応するように白い本が薄く光り、室内にふわりと柔らかい風が起こる。
驚いたルーシーが本を取り落としたため、横から手を伸ばして受け止めた。
「す、すみません! 急に本が光るからびっくりしちゃって」
「魔法を発動したのか?」
「いえ、そんなつもりはなかったんですが……」
本の光は消えていて、すでに風も止んでいる。ルーシーが魔法を使ったわけではないのなら、彼女の聖魔力に反応したんだろうか。
それとも、と彼女に視線を向ける。
――本に宿っていた聖魔力が、ルーシーに吸収されたとか……?
この本に聖魔力があるかはわからないが、きっとこの場でこの本を読むことがヒロインの成長イベントだったのだろう。
すぐに使いこなせるわけではないかもしれないし、私が覚えている限りでは1度だけだが、彼女はゲームでもホーリーライトを使っていた。
そこで、疑問が浮かぶ。セシルルートでは生徒会室かどこかでホーリーライトを覚えていたはずだ。少なくとも、こんな隠された図書室ではなかったと思う。
新しい呪文を覚える場所はゲームと同じというわけではないのだろうか。そう頭を捻ったところで、鐘の音が聞こえてきた。
はっとして本を閉じ、ルーシーに向き直る。
「時間だ。戻るぞ」
「えっ、もう18時ですか!?」
不思議そうな顔をして本を眺めていた彼女は慌てて顔を上げた。この時季は18時でもまだ明るい。しかし、油断しているとあっという間に真っ暗になってしまう。
本を元あった場所に戻し、また暗い階段を上る。途中で足を滑らせた彼女を支えたり、念のため後ろも警戒したりしつつ、無事にいつもの図書館に辿り着いた。
軽く息をついて、すぐに近くの梯子に足を掛ける。誰かが来る前にこの場所を隠しておいた方がいいだろう。
ルーシーが言っていた通り棚の一番上、本に隠れる位置にボタンがあった。彼女が離れていることを確認して、押し込まれた状態になっているボタンを再度押し込む。カチリと音がして、ゆっくりと棚が戻の位置に戻っていく。
私が梯子から下りると、ルーシーが「あっ」と声を上げた。
「忘れてました。あの、これ……ありがとうございました!」
彼女が礼と共にポケットから取り出したのは、聖女祭で彼女に渡したハンカチだった。きちんと畳まれていて、かすかに花の香りがする。
わざわざアイロンまで掛けてくれたのかと苦笑してしまう。
「当日に下ろしたものだから、別に貰ってくれて構わなかったんだが」
「新品だったんですね。すみません……本当なら新しいものを買うべきなんですが、すごく上等なハンカチだったのでお返ししたほうが良いと思って」
申し訳なさそうに眉を下げる彼女に首を振る。平民である彼女からすればこのハンカチもそれなりに高いだろう。仕方なく受け取って、小さく笑う。
「君は意外と律儀だな」
「い、意外とって……」
ルーシーは少しだけむっと口を尖らせると、気を取り直したように微笑んだ。
「アレン様、今日はありがとうございました。さっきの図書室のことは、誰かに聞かれるまで内緒にしておこうと思います」
彼女はこれから寮の食堂で手伝いをするらしい。私に向かってぺこりと頭を下げると、「お先に失礼します」と駆け足で図書館を出て行った。
寮まで送るべきかと迷ったが、まだ明るいし大丈夫だろう。暗くなる前に私も帰ろう。そう思い、足を踏み出した時だった。
ドクンと音を立てて、突然心臓が跳ねた。
「……っ!?」
咄嗟に口を押さえ、なんとか声を出さずに済む。が、心臓はドクドクと跳ねるばかりで落ち着く気配がない。一気に血流が巡り、顔が熱くなる。
なんだこれはと考える余裕もなかった。
おかしい、ということだけは分かる。これは自分の意思じゃない。頭は冷静なのに、心臓だけが勝手に暴れているようだ。
何かの病気だろうか。それにしてはどこかが痛いわけでもない。ただ『気持ち悪い』だけだ。胸を押さえ、大きく息をついて、落ち着けと頭の中で繰り返す。
どうして急に。さっきルーシーと話していた時はなんともなかったのに。
――『ルーシー』と、話していた時は……。
嫌な予感がした。
ぽたりと汗が落ちる。棚に背をつけてその場に座り込む。ようやく落ち着いてきた心臓の前でぐっと拳を握る。まさか、と口から呟きが漏れた。
「この世界にもあるのか? ……『好感度』が」
それはおそらく、多くの乙女ゲームに搭載されているシステム。前世でこのゲームをプレイした時も好感度は存在していた。
攻略対象ごとに分かれていて、ヒロインの行動によって変化していく。
――乙女ゲームの世界とはいえ、現実だから関係ないと思っていたのに。
このゲームはバッドエンドに行くほうが難しい。なぜなら、攻略対象と出会うだけで自動的に好感度が上がる仕組みになっているからだ。選択肢を失敗しても、出会いさえすれば勝手に仲が深まっていく。
それは事前に従姉妹から聞いていた。会話するだけでそのルートに入ってしまうから、攻略したい相手以外のところには行くなと。
もしこの世界でもヒロインと出会うだけで好感度が上がるのだとしたら。
私は今まで、何度彼女に会ったのだろう。
今までのイベントを振り返って、気付く。そういえば他の攻略対象である彼らは、長期休暇中にルーシーと会ったのだろうか。
休み前、セシルの誘いを彼女は断っていた。あの時はその理由がわからなかったが、もしかして長期休暇中に彼女と出会ったのは私だけなのではないだろうか。
そう考え、ある可能性が頭に浮かんだ。
――まさかルーシーは……私のルートに来ているのか?
思わず息をのむ。そうだとすれば、一体いつから? あの青い花束を貰った時だろうか。もしくは遠征の帰りか。いつの間に彼女は、私を選んでいたのだろう。
攻略対象の中で唯一、恋ができない私を。
黒い靄のように、不安な気持ちで心が覆われていく。ゲーム通りに進んでいれば、最後のイベントは攻略対象の好感度がマックスの状態で始まるはずだ。
告白シーンはすべてが終わった後にあるが、2人で門を押さえる時には、すでに攻略対象とヒロインの心が通じ合っている状態だということだ。
もしこの世界に、乙女ゲームのシステムが反映されているのだとしたら。
お互いに『恋』をしている状態でないと、門の封印ができないとしたら。
どうあがいても恋にはならない私のルートでは、駄目なのではないだろうか。
好感度システムによって心臓は高鳴るが、気持ちが付いて行かない。自分の意志と乖離しすぎていて、とてもこれが恋だと勘違いすることすらできそうにない。
「ここから、どうすれば……」
――『ハッピーエンド』に持っていける?
無意識に零れた呟きは、誰もいない図書館に虚しく響いた。