88話 ヒロインと秘密の図書室①
2度目の長期休暇が終わり、今日から後期の授業が始まった。
結局聖女祭の後、ルーシーとは一度も会わなかった。ずっとクールソン家の屋敷にいたからそもそも会う機会もなかった。花束を受け取った時は戸惑ったが、あれはただの感謝の気持ちで渡されたのだろうということで落ち着いた。
――みんなの気持ちを知っているのに、私が花束を受け取ったなんて知られたら。
そう考え、小さく息をつく。寮に戻ってきても彼らの態度は相変わらずで、食堂でもみんなバラバラだった。ライアンとロニーも一緒にいる様子はない。
あんなに仲が良かったのにこうも変わるのか、と改めて複雑な気持ちになる。
セシルとは生徒会で時々顔を合わせていた。まったく会話をしないというわけではないが、どうしても違和感を覚えてしまう。
カロリーナもさすがに気付いたらしく、怪訝な顔をしていた。しかし、セシルに私のことは気にしないでほしいと願うのは無理な話だろう。
生徒会室に置いていた資料を持って図書館へ向かう。ロニーの訓練もなくなってしまったため、放課後はわりと自由な時間だ。
このまま図書館で本を探すか。夕食の時間もできるだけずらしたほうがいいなと考えていると、廊下の先から声が聞こえた。
「さっさと進めたいのに手頃な生徒がおらんな……」
マディの声だと気付き、反射的に廊下の壁に身を寄せる。角を曲がった先には学園長室がある。声はそこから聞こえてくるようだ。
辺りに他の生徒はいない。気配を消して耳を澄ませる。
「教師共にも効き目が薄くなってきおった。グレイが目覚める前に成功させねばならんというのに時間をかけるしかないとは。……数少ない魔道具を消費するか? いやいや、これはいざという時のために取っておかねば」
独り言のつもりらしい。それにしては声が大きすぎるのではと眉根を寄せる。部屋の扉を閉めているから大丈夫だと思っているのだろうか。もしくは、聞かれても記憶を消せばいいと考えているのか。マディは続けて不満を口にする。
「ゴーレムのせいで夜も動き難い。遠征計画はうまくいったが……王族がいると邪魔で仕方がないな。下手に警戒されて王家に睨まれたら面倒だ。せっかく自由に動ける地位を手に入れたのだから」
ガタンと大きな音が廊下に響く。学園長室の中で何をしているのだろう。部屋から出てくる気配はないのに、何故か彼の声は徐々に遠ざかっていくようだ。
「何が王子だ。何が火魔法の使い手だ。まったく忌々しい。魔力さえ少なければ真っ先に操ってやったものを……」
声は小さくなり、やがて完全に聞こえなくなった。部屋の中から音もしないし気配もない。移動したのか、と壁から離れて息をつく。
以前もマディは学園長室内に突然現れたことがある。もしかしたら、部屋からどこかに通じる通路があるのかもしれない。
それにしても、とその場で頭を捻る。魔力さえ少なければということは、保有魔力が多い生徒は闇魔法で操れないのだろうか。確かに創作呪文の授業で操られた彼らもみんな魔力は少なかった。
それと、と学園長室の扉に目を向ける。
――先生方に効かなくなってきたというのは、何だ?
マディが使っている闇魔法だというなら、他に心当たりがあるのは記憶を消す魔法くらいだ。もしや使用に回数制限でもあるのだろうか。
制限がなければ強すぎるかと心の中で呟いたところで、学園長室の辺りに人影が見えた。先生かと構えたが、違った。桃色の髪を揺らして彼女が振り返る。
「あっ、アレン様!」
ルーシーは慌てて駆け寄ってくると、ちらりと学園長室に目を向けた。名前を呼んだ後なので意味がない気もするが、彼女は声を落として口を開いた。
「い、今のお話……アレン様も聞かれましたか?」
どうやら彼女もマディの話を聞いていたらしい。そういえばゲームでも、ヒロインがマディの独り言を聞いて訝しむ場面があった気がする。
ルーシーは辺りを確かめると、こわごわと私を見上げた。
「よくわかりませんが、もしかして学園長は、何か悪いことを……?」
王族を馬鹿にした発言をして、人に隠れて何かの計画を進めている。今の独り言だけでも疑うには十分すぎるだろう。今回は記憶を消されることもなかったから、ここで私が同意しても問題ないはずだ。
頷いて、彼女に答える。
「話を聞く限り、何かをしようとしているのは間違いないだろう」
「そ、そうですよね」
いつマディが戻ってくるか分からない。この場に長居するのは危険だ。図書館に向かって歩みを進めながら、周りに聞こえない程度の声で会話を続ける。
「どうしましょう。先生方やセシル様にお伝えするべきでしょうか」
「何が目的か分からない今の段階では、伝えても仕方がないな」
私は知っているが、彼の口から直接目的を聞いたわけではない。今伝えられるとすれば『学園長代理が怪しいことを言っていた』くらいだ。それでは、すでに先生方が抱いている不信感とそこまで変わらないだろう。
しかし、と隣を歩く彼女に目を向ける。
「……君からセシルに伝えるのは、効果があるかもしれない」
「え? どうしてですか?」
「聖女である君が、王族であるセシルに嘘をつく理由はないだろう。セシルも君のことを信用しているようだし、君が怪しいと言えば考えるはずだ」
ルーシーは目を丸くした。不思議そうな顔をして、首を傾げる。
「それなら、セシル様と仲のいいアレン様からお伝えしたほうが良いのでは?」
「いや、私は……」
そう言われ、口ごもってしまう。今の状態は『仲がいい』とは言い難い。以前なら私から報告しても信じてもらえたかもしれないが、今は難しいだろう。
黙っていると、ルーシーは何かを察したように優しく微笑んだ。
「わかりました。セシル様にお会いできたら、私からお伝えしておきます」
「……ああ。頼む」
廊下の角を曲がり、図書館続く渡り廊下へ向かう。何故か話を終えたはずのルーシーも、途中で別れることなく付いてきた。
「君も図書館に用があるのか?」
彼女は頷いて、苦笑を浮かべた。
「はい。聖女祭でアレン様に助けていただいて、自分が何もできないことを痛感したので……聖魔法に関することや神殿のことを、もっと知りたいなと思って」
ルーシーは子供を連れて袋小路に入ってしまったことを反省しているらしい。私が来なかったら、自分が囮になって子供を逃がすしかないと考えていたようだ。
本当に間に合ってよかった。神殿近くではあったが、魔物に襲われて大怪我をしていたら危なかっただろう。
図書館に入って資料を返却する。ルーシーはほとんど来たことがないらしく、辺りを見回していた。他に生徒がいないのか、図書館内はしんと静まり返っている。
彼女は彼女で好きに見て回るだろうと思い、歴史書が置かれた棚に向かう。定期的に確認しているが、まだすべてに目を通したことはない。
時々闇魔力や魔物についての情報が紛れているため、端から1冊ずつ手に取ってぱらぱらとめくる。
――そういえばルーシーは、『聖魔法』に関して知りたいと言っていたな。
先程の会話を思い出し、顔を上げる。彼女は魔法関係の本が置かれた辺りにいた。壁に沿って並んだ棚を見上げながら、首を傾げている。
聖魔法についての本はマディが全て処分してしまったはずだ。いくら探しても見つからないだろう。手にしていた本を棚に戻し、声をかけるため彼女に近寄る。
「ルーシー、君が探している本は」
と、言いかけた時だ。突然、ぐらりと大きく地面が揺れた。
咄嗟に本棚に設置された梯子を掴み、なんとか踏み留まる。ルーシーは短い悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。大きな揺れは一瞬だけだったが、波のように振動が残り、棚に並んだ本がいくつか耐えきれず飛び出した。
そこで、気付く。彼女が見上げていた本棚の上段で、数冊の本が傾いている。このままでは彼女に向かって落ちてしまいそうだ。
「危な……」
思わず駆け出そうとしたところで、梯子の脚に躓いた。
しまった、と思った時には遅かった。大きく視界が回転する。バサバサと床に落ちてきた本が、視界の端で勝手に開く。
ぶつからずに済んだが、今はそれどころではなかった。両手と膝を床に着いた体勢のまま固まってしまう。
目の前の床には、乱れた桃色の髪が広がっている。不思議そうに私を正面から見上げる金色の瞳が、ぱちくりと瞬いた。
彼女と目が合った瞬間、ぶわと顔が熱くなった。
「……っすまない!!」
弾かれるように上体を起こし、姿勢を正す。うっかり躓いたせいで彼女を押し倒してしまった。しかもこんな床の上に。
事故とはいえ、男である私が女性であるルーシーを押し倒すなんて。身分差を考えても、とても許されることではない。
「い、今のは故意では……!」
クールキャラということも忘れ、慌てて弁明する。ルーシーはきょとんとしたまま起き上がると、小さく頷いた。
乱れたせいであちこち跳ねている髪を見てハッとする。言い訳なんかより先に気にすることがあった。自分を落ち着けるため深く息をついて、改めて口を開く。
「す……すまない。怪我はしてないか?」
「だ、大丈夫です」
彼女の手を引いて、立ち上がる。ルーシーはしばらく呆然としていたが、じっと私を見て嬉しそうに笑った。
「アレン様でも慌てることがあるんですね」
う、と言葉に詰まる。ヒロインに情けない姿を見せてしまった。しかし、今のはさすがに慌てない方が無理だろう。こほんと軽く咳をして、顔を逸らす。
足元に落ちていた本を数冊拾い上げ、辺りを見回した。
「怪我をしていないならいい。かなり大きく揺れたからな」
「そうですね。何の揺れだったんでしょう……?」
ルーシーは不安そうな顔をして、同じように周辺に落ちた本を拾い上げた。埃を払って棚に戻しながら、こちらに顔を向ける。
「確か、私たちが遠征に行っていた時も揺れたんですよね」
生徒たちが噂していたのを聞いたらしい。目についた本を棚に入れ、頷く。
「ああ。今回も原因は同じかもしれない」
マディが門に何かをしているのだろうとは考え付くが、はっきりとした原因はまだ分からない。先程の独り言から察すると、彼はあの床を作動させるために違法魔道具を使用するしかないと考えているようだった。
数は少ないと言っていたが、わざわざ生徒を操って魔道具庫に連れていかなくても、門に近付く手段を持っていることになる。
――私たちを遠征に行かせて生徒たちの喧嘩騒ぎを起こしたのは、門に近付くためだと思っていたが……。
あの時、マディは何をしたんだろう。今も同じように揺れたということは、彼は門の傍にいるのだろうか。
しかし、今は学園内に騒ぎは起こっていないしルーシーもいる。魔道具庫内で違法魔道具を使用したら、すぐに先生方が飛んできそうなものだが。
そう考え、ふと思い出す。
マディは『時間をかける』か『魔道具を消費する』かと言っていた。つまり時間をかけさえすれば、あの床に違法魔道具を使う必要はないということだ。
――遠征の時……もしやマディは、それ以降『門に近付かなくても』計画を進められる仕掛けか何かを……?
「あれ?」
いつの間にか考えに集中していたらしい。ルーシーの声で我に返る。彼女は棚に設置された梯子の上で、落ちてきた本を片付けているところだった。
スカートで上らせるなんて申し訳ないことをしたなと思いつつ、彼女に尋ねる。
「どうかしたのか」
「下からは見えなかったんですが、壁にボタンのような物があって」
「ボタン?」
何故そんなところにと疑問が浮かぶ。本を取り出さないと見えないようになっていたということは、隠されていたのだろうか。
とりあえず、できるだけ上を見ないようにしながら声をかける。
「下手に触らない方がいいだろう。本を置いたら下りてこい」
「あっ……す、すみません」
ルーシーは申し訳なさそうにこちらに顔を向けて、言った。
「本を置いた時に、押しちゃいました……」
「え?」
カチッと小さな音が図書館に響く。
それを合図に、壁に沿って置かれた棚の一部がゆっくりと動き始めた。じわじわと前に迫り出し、次いで横に移動する。
ルーシーも私も、呆然としたままそれを眺めることしかできない。
棚の一部が移動したことで壁が見えるはずが、そこにはぽっかりと大人1人分の穴が空いていた。暗い中に、下へと続く石造りの階段が伸びている。
ルーシーはそっと梯子から下りてきた。
「これは……アレン様、ご存知でしたか?」
「……いや」
去年から図書館には入り浸っていたが、こんな仕掛けがあるのは知らなかった。
でも、とこっそり息をつく。
――この状況は、次の展開が読めてしまうな。
誰もいない図書館に、隠された通路。ヒロインと攻略対象2人きり。
これがイベントでなくて何なのだろうか。
桃色の髪を揺らして、彼女が振り返る。
「この先に下りてみませんか……!?」
向けられた金色の瞳は、好奇心にきらきらと輝いていた。