初期車両
頭に霧がかかったように何も思い出せない。私はいつからここにいたのだろうか、と言うかここは一体何処なのだろうか。分からない。ここが何処かも、自分が何故ここにいるのかも…自分の名前さえも。
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トトントトン、と小気味好いリズムで揺れている。私は心地の良い夢から目を覚ますと寝ぼけ眼で車窓を見つめる。すると車窓には一人の見知らぬ綺麗な長髪を持つ男が写っていた。その男に私は少し見惚てしまう。暫くそうしていると、私はとあることに気が付いた。私が動くと車窓の男も同様の動作をするのだ。例えば、私が髪をすく動作をすると車窓の男も同様の動作をするというように。どうやら車窓の男と私は同一人物のようだ。車窓の男、いや私以外の他に誰か居ないのかと思い、周囲を見渡すが人影すら見当たらない。そもそもここは何処なのだろうか。周囲を見渡した限り何処かの列車内ということは分かったが、車窓からの景色は何処までも暗く今がトンネル内なのか、はたまた夜なのか朝なのかまでは分からなかった。
私は何故ここに居るのか、ここは何処なのだろうかということを幾ら思い出そうとしても、頭に霧がかかったように出てこない。
寝起きなので仕方がない、慌てても仕方がないと自分自身に言い聞かせ、取り敢えず現在の時刻を確認しようと自然と左腕を見るが腕時計は見当たらず、代わりに携帯電話は無いのかとポケットや手元にあった鞄をひっくり返したがそれらしき物も落ちてこない。鞄から落ちた物は少なく財布と一冊の本、そして一つの飴しか入っていなかった。何か自分の身分を証明する物でもないかと鞄の中身を物色したが、財布の中身は空で身分証明書らしき物すら見当たらず、本は表紙に馬が描いてある『うとまうそ』という何の変哲もない小説だった。
ふと、この鞄が本当に自分の物なのか、ただ手元にあっただけの他人の鞄なのではないのかという疑問が頭に浮かんできた。だがそれを疑っても答えは出てこない上に、他に自分の所有物らしき物が何一つ無いので一応持っておくことにし、鞄の中に財布と一冊の本、一つの飴を仕舞った。
他の車両には誰か居るかもしれないと淡い期待を胸に抱きながら一歩一歩確実に歩みを進める。車両は思っていたよりも長く、先程から歩き続けているがまだまだ端に辿り着く気配がしない。ここは一見すると普通の車両のようだが、本当は異次元空間なのかもしれない。この考えを誰かに聞かれたのならばきっと鼻で笑われてしまうだろうが、この異様な状況下では誰もがこのように考える筈だ。特に代わり映えもしない車両内をただひたすらに歩く。チラッと車窓を見ても写っているのは暗闇と反射している車内のみ。車体が揺れているのでこの列車は走行はしているのだろうが、車窓だけ見ると停車しているように見える。
(何処まで続いてんだか)と考えながら歩いていると遂に貫通扉に辿り着いた。