上下の上
地方の、ちょっと山の中にある美術館で興味深い講演があるので行くことを決めたのだが、終わったらすぐ別の場所に行かなくてはならなくて、講演の予約を入れたときから移動手段を考えていた。
一人で行くから誰かの車に乗せてもらうわけにはいかない、もう戻らないのでレンタカーは借りられない、その時間にバスはない、なので地図で、美術館から歩いて数十分のところにある駅まで歩いて行かなければならない。駅の時刻表を調べると数時間に一本しか電車がないが、ぎりぎり行けるかと決行することにした。美術館は山の入り口にあるので駅までは下り気味、すこし早歩きで楽ができそうだ。
講演が終わり、近くの人と談笑したり講師に話しかけたりしている人たちを背に、美術館を出る。
天気がよい幸運に感謝し、暑い中足早に動くことで風を感じないかと願いながら美術館の入り口特有の広い敷地を突っ切っていく。
歩道のない車道に出るのだが、地方でも特に外れにある場所のため、車も通らない。
地図で見ていたときは高さに気がつかなかったのだが、森を間にして向こうに海が見える。そして道を歩いているうちに、進行方向右側が山を見上げる崖、左側がすぐ海が見える崖になる。道幅も狭くなり、かなりぎりぎりのところを歩くのかと、遠くに来たことを感じさせられる。
十分を過ぎ、右の崖が途切れ、トンネルの口と線路となり、平行して歩くことになる。
さらに歩くと、道が真っ直ぐと右折の二叉となる。
地図で駅への行き方を調べていて、一番の考えどころがここだ。
今ではインターネットで地図を見ると航空写真モードがあるので変わってきたのだが、当時は絵だけなので、駅の入り口がどこにあるのかが解らなかったのだ。
絵では、線路が二本あり、その線路を挟むように上下線の各ホームがあるのだが、駅舎が存在しないようなのだ。
駅舎があればそちらに入り口があると判断できるのだが、無ければどちらから入れるのか、あるいは両方とも入れるのか、全く解らない。
私は劇場や美術館で初めて行くところは、通りに沿って歩いて行けばいい場合を除いて、つまりちょっと奥まったところや町中にあるときには、四辺があって三辺を歩いてから正面玄関に辿り着く運命にあるようで、一発で入り口に行けたことが人生で一度もないのだ。なのでこの駅にすんなり入れるかは非常に疑わしい。劇場や美術館だったら多少遠回りになっても笑い話で済むが、今回はただでさえ間に合うか微妙で、電車に乗り遅れたらかなり困ったことになるのだ。