婚約を断った
夜会の日がやってきた。すなわち、今日の自分の行動によって、明日から待ちに待ったリアムお兄様ルートへと突入することになる。
招待状を持ち、お兄様と共に王宮へ向かうと、大広間はすでに人で溢れ返っていた。
「リアム様!」
広間に入ってすぐにお兄様を呼ぶ声がする。この声はネリーだ。
「お会いできてうれしいですわ」
お兄様を見た瞬間ぽっと頬を染めるネリー。いつも降ろしている金色の髪をアップにまとめ、動くたびに少し巻かれた後れ毛がかわいらしく揺れている。
レースの多いピンクのドレスはピカピカで、今日の夜会のためだけに新調したのだろう。いつもよりかなり気合が入っているのがわかる。
絶対にお兄様の心を射止め、婚約に対する前向きな返事をもらおうとしている姿勢が窺える。
「ああ。俺もうれしいよ」
めずらしく、お兄様がネリーにそんな言葉を返した。
今までネリーに話しかけられたときは、「ああ」とか「うん」とか一言しか返していなかったのに。
婚約を断るから、最後の優しさのつもりなんだろうか。そういうのって、余計に相手を傷つけるだけなのに。
「リアム様、よろしければ、ふたりでゆっくりお話ししたいのですが……」
ネリーはそう言って、ちらりと私のほうを見る。遠回しに、私に空気を読んでどこかへ行けと言っているのだろう。
「……ミレイユ、少しの間、俺がいなくても平気か?」
今朝も散々お父様に「ネリーの相手をするように」と言われたこともあり、お兄様は誘いを断れないようだ。
きっとこれがふたりで過ごす最後の時間になるだろうし、今だけはネリーにお兄様を譲ってあげるとしよう。
「ええ。平気よ」
「……そうか。じゃあ、行ってくる」
そうして、ふたりは大広間を出てテラスのほうへ消えていった。
……さて、ひとりでなにをしよう。せっかくだから、たくさん並んでいる料理をひとくちずつ味わっていくのもありね。
「ミレイユ。きてたんだね」
ずらっと並んでいる美味しそうな料理を、どれから手をつけようか品定めしていると、私に声をかける人物が現れた。
「……エクトル様!」
それは攻略対象である第二王子のエクトル様だった。
赤みの強いブラウンの髪に、白と金を基調とした軍服モチーフの衣装がよく似合っている。
溢れ出るキラキラとした王子様オーラは、今日も会場にいる令嬢を虜にすること間違いなしだろう。そして、その隣には――。
「イヴァン様もご一緒だったのですね」
「……ああ。久しぶりだな。ミレイユ」
もうひとりの攻略対象、イヴァン様の姿もあった。
長い黒髪のに上下真っ黒の服。隣に並ぶとエクトルとのギャップがすごい。
「そういえば、僕とも会うのは少し久しぶりだね」
「言われてみれば……幼い頃は、もっと頻繁にお会いできていたような気がしますね」
「最近忙しかったしなぁ。君はちっとも王宮に遊びにきてくれないし」
「私が王宮へ遊びに行くなど、そんな厚かましいこと……」
「王家とも関わりあるオベール公爵家のご令嬢がなにをそんな謙遜してるんだ。それに、何度も招待しただろう?」
エクトル様はそう言って苦笑する。
招待状は何度か届いていたが、お兄様と過ごすのを優先してほとんど行かなかったことを思い出し、私も愛想笑いを返すことしかできなかった。
だって、一度エクトル様の招待で王宮に行くと言ったら、お兄様ったらめちゃくちゃ不機嫌になってたいへんだったんだもの。
あのときのお兄様、いつもは大人びているのにすごく子供っぽくてかわいかったなぁ……。
「ミレイユ、どうしたんだ? ひとりでにやにやして」
「へ? い、いえ。なんでもありません」
愛想笑いがいつのまにか思い出し笑いに変わっていたようだ。エクトル様につっこまれ、私は話題を変えるようイヴァン様に話しかける。
「イヴァン様、以前より背が伸びました?」
「……気のせいだ。変わっていない。それに成長期はとっくに過ぎている」
「そうですか? なんだか、前より逞しくみえます」
「……鍛錬を怠っていないから、その成果かもしれないな」
逞しいと言われたのがうれしかったのか、イヴァン様はふいっとそっぽを向く。照れ隠しなのだろうけど、クールなのに時折そういうかわいらしい反応をみせるところが、イヴァン様の魅力といえるだろう。
「それを言うならミレイユ、君は前よりさらに美しさに磨きがかかっているよ」
「もう、お上手なんですから」
この流れで、さらっと私を褒めてくるエクトル様。冗談だとしても、言われて悪い気はしない。
「そういえば、ミレイユがリアムと一緒にいないなんてめずらしいこともあるんだね」
エクトル様は私がひとりだということを改めて確認するように、周りをキョロキョロと見渡しながら言った。
「ああ、お兄様なら夜会に来てすぐにネリーとテラスのほうへ行かれましたので」
「ネリー……バスキエ家の令嬢か。なぜふたりが一緒に?」
「ついこの間、ふたりの婚約の話が出たんです」
「「婚約!?」」
エクトル様とイヴァン様の声が重なった。ふたりとも、とても驚いている。
「まさか、リアムはその話を受けたのか?」
「いえ、まだです。今日明日にでもお返事をすると思いますけど」
「……あいつがお前を放ってほかの令嬢とふたりになるなど、考えられないな」
エクトル様にされた質問に答えると、イヴァン様がぼそっとそう呟いた。
たしかに今まではどんなに綺麗な人に声をかけられても、お兄様が私を置いてどこかへ行くことなどなかった。
今日ネリーの誘いを受けたのは、ほかの人から見てもかなりめずらしいことなのかもしれない。
「でも、リアムももう結婚を本気で考えてもいい年齢だしな。僕もそろそろ婚約者を見つけなきゃとは思ってるんだけどね。今年で二十歳になるし」
「エクトル様とご婚約したいご令嬢は山ほどいるでしょう」
今も、私との話が終わるのを待つように、エクトル様に話しかけるタイミングを見計らっている令嬢が周りに何名かいるのを確認できる。
エクトル様ほどの権力と美貌があれば、落とせない女性はいないだろう。重度のヤンデレお兄様フェチの転生女を覗いての話だが。
「うーん。どうかな。……イヴァンはそういう浮いた話は?」
「興味がない。そういう話は苦手だ。言い寄られても、こたえることすらできない」
イヴァン様だって、剣の腕は近衛兵の中でも群を抜き、見た目もかっこいいので言い寄って来る女性はきっと多い。
それを『興味がない』の一言で片づけてしまうなんて、余裕あるモテる男しかできないことだというのに、本人は気づいていないのだろう。
「ミレイユはどうだ? 君ももうすぐ十八になるだろう」
「ええ。昨日お父様とお母様に、まさにその話をされましたわ」
「そうか……。結婚は、したいと思ってる?」
「そうですね。いつできるかわかりませんが、好きな人とふたりでずっと一緒にいられるならば、この上ない幸せだと思います。できることなら、愛する人と結婚したいですわ」
そう、愛するリアムお兄様と……!
お兄様に軟禁されている自分のスチルを思い出しうっとりする私を見て、なぜかエクトル様が頬を染めている。
「そ、そうか。君は案外、かわいらしいことを言うんだな」
……エクトル様の瞳には、私が結婚を夢見る純情な少女として映っていたんだろうか。そうだったなら申し訳ない。
「も、もうエクトル様ったら、案外とはなんですか」
「あはは。ごめん。昔からかわいらしかったよ。ミレイユは」
無邪気な笑顔を見せるエクトル様。
ゲームをやっているときはリアムお兄様一筋で、全然興味のないエクトル様だったが、生で見るとイケメンだし、素敵な人だと心から思う。エクトル様のシナリオはあまり詳しく覚えていないが、ヤンデレ要素は皆無だったことだけは覚えている。
「あの、ミレイユ。時間があるなら、よければ僕とふたりで話をしないか? 普段はリアムがいて、なかなか話せないことが多かっただろう?」
「え……? はい。大丈夫ですけど」
「よかった。それじゃ、行こうか」
空気を読んだイヴァン様は、軽く会釈だけしてその場を去って行った。
さっきネリーが私にしてほしかったのが、今イヴァン様がとったこの行動だったことに気づく。
――この流れ、どうやら婚約を申し込まれるのは、エクトル様のほうみたいね。
ほかの令嬢から羨望の眼差しを受けながら、ふたりで広間を抜けると、王宮の二階にあるバルコニーまでエスコートされる。
すっかり暗くなった空に浮かぶ星があまりにも綺麗で、これをお兄様がネリーと見ていると思うと、ちょっぴり妬けてきた。
「……綺麗だな。君とこの星を見れたことを、僕はうれしく思う」
「……あ、ありがとうございます。そんなお言葉、私にはもったいないです」
いけない。隣にエクトル様がいるのにまたお兄様のことを考えていた。
エクトル様は私にそっと近寄って距離を詰めると、バルコニーの柵に両腕を置いて話し始めた。
「ねぇ覚えてるミレイユ。僕たちが初めて会った日のこと。……第一王子の兄さんにみんなが群がるなかで、どうしてか君だけは、一目散に僕のところに走ってきたんだよね」
ああ、あれはたしか、初めて王家のお茶会に行ったときのことだ。
あのときは第一王子がもう婚約者を捜してるって噂が立っていて、お茶会に来ていた令嬢がみんな第一王子に飛びついてたんだっけ。
私はゲームキャラのエクトル様に会えたことに興奮して、近くで見たくてみんなとは逆に第二王子であるエクトル様に飛びついたのよね。
思い出すと、あのときのエクトル様、すごく驚いた顔をしていたわ。
「……あのとき、君の目には僕しか映っていないように思えて……そんなことないんだろうけど、うれしかったんだ。あのころは、いつも兄さんと比べられてたから。第二王子ってだけで、価値が下がったような扱いを受けてて、自分に自信もなくて、つらかったんだ」
「そんな……エクトル様はエクトル様です。誰かと比べる必要なんてありません」
「うん。そうだね。君が僕のところに来てくれたお陰で、僕はそのことに気づけたよ。それと同時に――僕はそれからずっと、君のことが気になってた」
エクトル様は腕を降ろし、私に向き合うとそっと私の手を取った。
き、きた。私今から、きっとエクトル様から婚約を――!
展開をわかっているのに、いざこの場面になると緊張でうまくエクトル様を直視できない。
ん? でも、ゲームだとエクトル様はこの段階だとミレイユを〝ちょっといいな〟と思ってるくらいで、婚約してからどんどん好きになっていく感じだった気がする。私が幼少期にとったひとつの行動のせいで、その辺りに変化が起きてしまっている……?
「……誰かに奪われる前に、ミレイユを僕のものにしたい。僕と婚約してほしい」
月明かりが空から私たちを照らし、まるでスポットライトのよう。そんな中手を握り合い、互いの瞳が熱くぶつかり合う。
こんなロマンチックな展開、女性なら誰もが憧れ、誰もが首を縦に振ることだろう。ましてや、相手は一国の王子であるエクトル様だ。
目の前にいるエクトル様は、今まででいちばんかっこよく見える。最高のシチュエーションに、おもわず雰囲気にのまれてしまいそう――。
そのとき、生暖かい風が私たちを吹き付けた。私はそれで意識を取り戻したようにはっとする。
なにしてるのミレイユ。私はお兄様と幸せになるために、どんなに心苦しくてもここでエクトル様を振らないとだめなのよ。
「……ごめんなさい」
「ミレイユ……」
いくら覚悟が決まっていても、傷ついたエクトル様の表情を目の当たりにすると心がズキッと痛む。
ゲームで何度も断ってきた告白なのに、現実となるとこうも感情が揺さぶられるなんて。
「エクトル様は素敵な人だけど、私にはもったいないですわ」
なんと言えばいいかわからず、ありきたりな断り文句しか出て来ない。
「……うん。そうか。なんとなく、君の答えはわかってたよ」
意外にもエクトル様はあっさりと私の曖昧な返答を受け入れた。切なげな笑顔に、私の胸まできゅうっと締め付けられる。
「やっぱり、僕の勝てる相手じゃなかったんだな」
握っていた手は僅かに温もりを残したままゆっくり解かれ、エクトル様は伏し目がちに消えそうな声でボソッとそう呟いた。
エクトル様の言っている〝相手〟が誰の事を言ってるか確信は得られないが、大体の予想はついている。
――私が前世の記憶を取り戻すことがなかったら、エクトル様との幸せな未来もあったかもしれない。




