嵐がきた
花を踏み潰した犯人がお兄様か、マリンか、それともまったく別の人物なのかわからぬまま――私とお兄様、そして、それぞれの婚約者との不思議な関係は続いた。
私が王宮へ行こうとしたり、エクトル様と外出しようとすればお兄様は必ずどこかからその情報を嗅ぎつけてついて来ようとする。
エクトル様は「ミレイユの屋敷だとリアムがいるけど、ネリーがリアムを捕まえておいてくれるから」と言って、結局オベールの屋敷で過ごすことが一番マシという結論に至った。
お兄様がまた私に対して独占欲を剥き出しにしたことに、エクトル様は戸惑っているようだった。私の気持ちがお兄様に戻ることを懸念しているのか、エクトル様は以前より多く私との時間を作るようになり、ほぼ毎日のように屋敷に会いに来る。
ネリーはネリーで、お兄様の気持ちを取り戻すことに必死になっていた。彼女も相変わらず、毎日のように屋敷へ来る。その強靭なメンタルはある意味すごいと思う。お兄様もネリーのことをもう好きでないなら、婚約破棄してしまえばいいのに。それをしないことに、なにか意味はあるのだろうか。
「……すごい雨だな」
今日も屋敷でエクトル様と過ごしていると、窓の外を眺めながらエクトル様が呟く。
さっきまで少し曇っていたくらいなのに、いつの間にかどしゃ降りになっていた。雨だけでなく風も吹き荒れ、窓ガラスが割れそうなほどびゅうびゅうと強い音を立てている。
「もはやここまで来たら嵐だな……」
「夜までに収まればいいですけど、大丈夫でしょうか」
「本当にね。このままだと、迎えの馬車が来るのは難しいだろうし」
心配そうに窓の外を眺めるエクトル様。そして結局嵐が過ぎ去ることはなく、どうやって帰ろうかと悩むエクトル様に、マリンがこんなことを言い出した。
「エクトル王子も、それにネリー様も、今日はこちらの屋敷にご宿泊なさればよいのでは? リアム様、いかがでしょう?」
両親がいないので、今この屋敷の主はお兄様だ。なのでマリンは提案こそしたものの、判断は主であるお兄様に委ねたのだろう。
確かに、この天気では明日迎えを呼ぶほうが賢明だ。エクトル様と一晩過ごすというのは初めてで少し緊張するけど……ネリーもお兄様も一緒だし、こんな状況では仕方ない。
「このくらいの雨なら帰れるだろう? 馬車が無理なら傘を貸すから徒歩で帰ればいい」
……お兄様もきっと私のように仕方ないと腹をくくってくれると思ったが、私の考えは甘かったようだ。
「お兄様、さすがにそれは無理があると思うわ。無理矢理帰してふたりが怪我でもしたらどうするの。今日はマリンの言う通り、ここに泊まってもらいましょう?」
「……ちっ。仕方ないな」
こんなに人前で躊躇なく舌打ちをする人は初めて見た。
お兄様の失礼極まりない態度をかわりに謝ろうと思いエクトル様を見ると、エクトル様は口元を手で覆い、顔をほんのり赤らめている。
「エクトル様? お泊りの件、大丈夫でしょうか?」
「え? あ、ああ。もちろん。お言葉に甘えさせてもらうよ。……まさかこんな急に君と一夜を過ごすことになるとは思わなくて……。今少しだけ、嵐に感謝してる」
照れくさそうに笑うエクトル様を見ると、私まで恥ずかしくなってくる。
「ミレイユ様!」
すると、ネリーが物凄い勢いで私のところにやって来た。ネリーから私に話しかけてくるなんて、いつぶりだろう。
「よければ私に女性用のパジャマを貸していただけます? ……できればセクシーなものがよいのですが」
「セクシーって……どういうもの?」
「少し透け感があるものだったり、胸元が開いているものですわ」
「そ、そんなの持ってないわ!」
自分の屋敷で寝るパジャマに、そんなもの用意しているわけない。前世なんて、ジャージやスウェットで寝ていたような女だというのに。
「はぁ。そうですよね。ミレイユ様って色気がありませんものね。ま、だからリアム様が手を出す心配がなくて、こちらも安心できるのですけど。ミレイユ様ってリアム様に可愛がられていますが、所詮妹ですもの」
「……言いたいことはそれだけ?」
「あら。気分を悪くされたなら謝りますわ。私、ミレイユ様とはこれから仲良くなれそうな気がしてるんです。エクトル王子という婚約者ができたようですし、お互い恋の相談とかできたらなって。リアム様と私がうまくいくように、応援してくださいね」
ずいぶん遠回しな言い方だが、要は『お前にはエクトル王子がいるんだから、私とリアム様の邪魔をするなよ』ということか。
セクシーなパジャマを要求してくるのも、今夜お兄様を誘惑する気満々で、同じ貴族の令嬢としてちょっとどうかと思う。
ネリーは品の良い令嬢と聞いていたけど、発言からしてとてもそうとは思えない。パジャマはマリンに適当に選んでもらい、後でネリーに渡してもらうことにしよう。
◇◇◇
食事をとり終わると、私はみんなより早めに入浴を済ませた。
まだ少し髪に水気が残った状態でエクトル様のところに行くと、エクトル様は私を見てぼーっとしている。
「エクトル様、どうかしました?」
「いや……なんだか今のミレイユがやけに色っぽくて、見惚れてた」
「! もう、お世辞が上手なんですから」
「本当だよ。……こっち、おいで?」
両手を広げてエクトル様が言う。遠慮がちにその胸に飛び込めば、エクトル様はぐいっと私を抱き寄せた。
エクトル様の体にすっぽりと収まる私の体。おずおずと、私は大きな背中に手を回す。
「……ミレイユの髪、すごくいい香りがする」
エクトル様は髪の毛に鼻をうずめ、右手の人差し指に私の湿った髪の毛をくるくると巻き付け弄ぶ。
そのまま髪にちゅっと口づけられ、私は久しぶりのエクトル様との甘い時間に酔いしれそうになる――わずかに開いた扉の向こうで、こちらを凝視するお兄様の姿に気づくまでは。
「っ!」
声にならない恐怖だった。もはやホラーだ。声をかけてくるわけでもなく、隙間からじっとこちらを見るお兄様。耐え切れず、私はエクトル様に声をかける。
「エクトル様……扉の向こうに、その、お兄様が」
「え? ああ本当だ……見られちゃってるね」
エクトル様はあんなホラーなお兄様に驚きもせず冷静にそう言うと、私の腰をさらに抱き寄せてきた。
「エクトル様!?」
「たまには見せつけてもいいだろう? 僕はいつも、リアムに君との仲を見せつけられてきたんだから」
「で、ですが……後々面倒なことに……」
「……僕にこうされるのは、嫌?」
――そんな子犬のような目をされたら、例え嫌だったとしても嫌と言えるわけないじゃない。
「嫌じゃ、ないです」
「……よかった。好きだよ。ミレイユ」
安心したように微笑むエクトル様が、私に顔を近づけてくる。
「エクトル王子、浴室を案内いたしますよ」
その瞬間、お兄様が部屋の中へと入って来た。
「……リアム、君って空気読めないんだね。今の僕たちを見てたなら、これからすることはわかってたはずだろう?」
「さあ? なんのことだか。それより早く来てくれますか? なんなら、俺と一緒に入って男同士語り合ってもいいですよ」
「遠慮しておくよ。イヴァン以外の男と風呂を共にする気はなくてね」
「そうですか。残念です」
え、イヴァン様と一緒にお風呂に入ることあるの!? そこにツッコミを入れそうになったが、それこそ空気が読めない気がしたのでやめておく。……イヴァン様、元気かしら。今度王宮に行ったとき、久しぶりに会いに行こう。
「――あ、それとミレイユ」
エクトル様の肩をがっしり掴み、部屋の外へ強制的に連れ出したお兄様が、扉から顔を出して私の名前を呼ぶ。
「嫌なときはちゃんと嫌って言わないと、ね?」
……そう言うお兄様の顔は笑っているようで、まったく笑っていなかった。




