我は妖刀である。銘を宵桜という。
我は妖刀である。銘を宵桜という。
時の権力者に睨まれたために、類稀なる技術を持ちながらも不遇な扱いを受けた名工。彼が文字通り己の心血を注いで鍛え上げた遺作。それが我である。
我は製作者の無念に従い、彼の名を広く世に知らしめるために、今まで己の本分を果たしてきた。刀の本分。言うまでもない、人を斬ることだ。
我は、我を手にした者の恨みつらみ、妬み嫉みといった負の感情を増幅させ、数多くの所有者を凶行に走らせてきた。
そんな我も、ある旧家に引き取られて以降、長らく蔵にしまわれっ放しだったのだが……どうやら、久しぶりに出番が来たようだ。
我を覆っていた布袋の口が解かれ、ごつごつとした武骨な手が我の柄を握る。
ほう、しっかりと鍛えられた力強い手だ。最近は、たこの痕の1つもない軟弱な手の人間が多くなったが、今回はなかなか期待できそうだ。
すかさず我は、我の新たな所有者となった者に思念で語り掛けた。
『クククッ、我は妖刀宵桜。我に血を捧げよ……』
こうやって話しかけると、多くの者は驚愕し、周囲に視線を彷徨わせるものだ。
だが、この男……厳つい容貌で鋭い眼光を放つ壮年の男は、全く動じた様子もなく、我の刀身をじっと眺めていた。
ほう、肝も据わっているようだ。これはいい。このような所有者に巡り合うのは何十年ぶりのことか。
『さあ、お前が憎い相手は誰だ? 妬ましい人間、消えてもらいたい人間は誰だ?』
そう語り掛けながら妖気を放ち、男の負の感情を増幅させようとする。
だが、やはり男は無反応。我を矯めつ眇めつし、何やら思案している様子。
我がいよいよ「これは何かおかしいぞ?」と思い始めた時、ようやく男はその薄い唇を開き、ぼそっと呟いた。
「刺身包丁か……」
……は? なにを……この男は何を言っている?
戸惑いと共に周囲を眺め回してみれば、そこはどこぞの居間などではなく、どこか懐かしい気がする場所だった。
暗い室内。その中で赤々と燃える炉。その手前に用意された金床と水桶……
そうだ、何か懐かしいと思ったら、我が生まれた場所もこのような場所だった……って、ん!? まさか、ここはもしかして、鍛冶場というやつか!?
だとしたら、先程の男の「刺身包丁」という発言は……ま、まさか!?
「さて、始めるか……」
男はそう呟くと、手始めに我の柄を外そうとし始めた。
マズい、この男は本気だ。本気で、我を刺身包丁なんぞに打ち直そうとしているのだ!
冗談ではない! 包丁とは料理に使うもの。料理とは即ち食。人の生命維持に必須の活動だ。
何が悲しくて、人の血を吸い生命を断つことを生業とする我が、人の血肉を形作り生命を維持する手伝いをせねばならぬのか。
そもそも刃が折れたとか欠けたとかならともかく、我は刃毀れ1つしていない。なぜ包丁なんぞに打ち直される? まさか、前の所有者の意向か? だとしたら一生呪うぞ!!
『ま、待て! 貴様、何をするつもりだ! 我は妖刀。数多くの人間を斬り殺し、裏の世にその名を轟かせた妖刀宵桜だぞ!? おい、聞こえていないのか!?』
我の必死に呼びかけにも、男は無反応。
慣れた手つきで淡々と我の柄と鍔を外すと、あっという間に我を丸裸にしてしまった。そのまま大きな火箸で我を掴むと、真っ赤に燃える炉へと我を突っ込もうとする。
『待て! 待てと言うに!! 「うるさい刀だ……」って、貴様やっぱり聞こえているではないか!? くっ、包丁なんぞになって生き恥を晒すくらいなら……いっそのこと一思いに殺せ!! って、熱っ! あっつぅ!? いや、ちょっと本当に待っ──待ってくださいお願いですから!! 溶けちゃう! 我、溶けちゃうぅぅーー!!!』
こ、こやつ鬼か!? 人の心というものがないのか!? この人でなし!!
必死に制止しようと叫ぶが、男はまるでお構いなし。そして、とうとう切っ先が炉に突っ込まれようとしたその時……ぬるりとした血臭が、我の感覚を撫ぜた。
『血! 人間の血の臭いがするぞ!!』
そう叫んだ瞬間、男の動きがピタリと止まった。
眉根を寄せ、周囲を見回しながら鼻を鳴らす。
だが、ほどなくして嘘だと判断したのか、また我を炉に突っ込もうとする。
『待て! 本当だ! 外から人間の血の臭いがする! 誓って嘘ではない!!』
その時、どこか遠くから微かに悲鳴のようなものが聞こえた。
男は弾かれたように立ち上がると、ぼそっと「案内しろ」とだけ呟き、外へと駆け出した。
我は我が身を守るためにも、血の臭いを辿って男に行先を指示する。
そうして走ること十数秒。辿り着いたガラス張りの店で、1人の男が短銃を持って騒いでいる光景が見えた。
「さっさと金を詰めろ!! いいか、ちょっとでも余計な動きをしたらまた撃つぞ!?」
男の視線の先には涙目で震える若い女の店員がおり、その隣で男の店員が腕を押さえて蹲っていた。
どうやら、あの店員が脅しを兼ねて撃たれたらしい。なるほど、血臭の源はあれか。
「おい! さっさと──な、なんだテメェ!?」
強盗らしき男の視線が、突如店に入って来た鍛冶師の男に向けられる。
この男、まさか正面から乗り込むとは……いや、我の力を当てにしてのことか。
これは好都合だ。一度でも我を振るい、その手を血に染めた者は、その感覚を忘れられなくなる。
人の血に酔い、徐々に殺人鬼へと変貌していくのだ。たとえ我の妖気が通じずとも、その宿命には決して抗えない。
『おい、我を使え。なに、短銃の一丁や二丁、なんの問題にも──』
そこまで言ったところで、男が動いた。
一瞬で距離を詰めると、空いている左手で強盗の短銃を握る右手首を握り潰し、続けざまにその人中に一本拳を叩き込む。
『えぇーーー……』
瞬殺である。手首を粉砕され、人体の急所に容赦のない痛打を受けた強盗は、激痛と呼吸困難でその場に倒れてしまった。これには我も思わず絶句。
と、その時、通報を受けたらしい警察がちょうど駆け付けてきた。
火箸に挟んだ我を持ったままの男にぎょっとし、店員の説明を受けて倒れている強盗を捕縛する。
「あぁ~~その、ご協力ありがとうございます。あなたのおかげで、無事犯人を取り押さえることが出来ました」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「それで、ですね……詳しい事情をお伺いしたいので、お手数ですが署までご同行願えますか?」
「分かりました。ただその前に、この刀を家に置いてきてもいいでしょうか? それに炉に火を入れたまま来てしまったので、消してこなくては……」
「あ、ああ! 鍛冶屋さんだったんですか。道理で……分かりました。火事になったら大変ですしね」
「かたじけない」
警察の許可を得た男は、家に戻って炉の火を消すと、我を母屋の机の上に置き、鍵を閉めて出て行った。
ふぅ、予想外の展開だったが、どうやら助かったらしい。飽くまで今日のところは、だが……それにしても……
(ふん……あの男、やはり腕はいいらしいな)
連れてこられた母屋は、表の部分が店になっているらしい。
周囲の棚にずらりと並ぶ大きさも形も様々な包丁の数々を見て、我は密かに感心する。今の時代に、これほどの刀工がいるとは……もっとも、人格はアレだが。
(ん? あれは……)
その時、ふと1本の包丁に目が留まった。
棚の端の方に立てられている、少し細身の三徳包丁。
なんだ? なにか見覚えがある気がする。あれは……いや、まさか。そんなはずは……だが、この感覚は間違いなく……
『……村雨先輩?』
『……む、その声は……まさか、宵桜か?』
『む、村雨せんぱぁぁぁーーーーい!!!』
そこにいたのは、尊敬する先輩の変わり果てた姿だった。
なぜ、なぜだ! あの、我らの中でもぶっちぎりで切れていた村雨先輩が、なぜあんなみすぼらしい姿に!?
『くくっ、まさか後輩にこんな姿を見られちまうとは……とんだ生き恥だ』
『そ、そんな……先輩が、なんで……』
『あの男は……恐ろしい男だぜ。この俺の精神汚染をものともせず、力尽くで……俺も必死に頑張ったんだがな……結果は見ての通りだ。くくっ、今ではすっかり丸くなっちまった』
『馬、鹿な……』
我は……どうやら、予想以上にとんでもない男に捕まってしまったらしい。
そのことを改めて実感し、峰に悪寒が走る。
果たして我は、明日も我のままでいられるのだろうか……その疑問に、答える者は誰もいなかった。