蓮の伝説7
千砂は先ほど以上に困惑していた。
晴彬の母・美衣に会い晴彬自身に会い、見知らぬ部屋に連行され、美衣がどこかにいってしまい、待っていても美衣は戻ってこない。
晴彬がいる分先ほどまでの不安は無いが、沈黙の続く空間が居心地が良いわけがない。
「み、美衣様って可愛い方ですね」
千砂は空転する思考を自覚しつつも何とか言葉を捻り出す。必死に考えてこの程度か、と自己嫌悪に陥る。
晴彬が驚いたように千砂を見ているのが良く分かる。自分の母親を「可愛い」と評される男性の身になって考えると、千砂は半ば冷や汗が流れる。
「と言うよりも……」と口走る。
「お若くて、…小さくて…」
喋ると喋るだけ墓穴を掘っているような気がして千砂は口を閉ざす。
「千砂様も十分可愛いと思いますが…」
晴彬の言葉に千砂がまじまじと晴彬を見る。その視線は思いっきり「何言ってんだ、この人…」だが、晴彬は気にすることなく、にこやかに微笑すると千砂は視線を外す。
「わ、私は…可愛くなんかありません。女性にしては長身なほうですし…」
「私にとって自分や勝春や高脩より低ければ、十分小さい方ですよ」
千砂はもう一度晴彬を見る。晴彬、勝春、高脩の三人のかなで一番背が低いのは高脩だが、それでも千砂に比べると頭一つ高いのだ。
千砂はくすりと一瞬笑う。
「晴彬様にとって大きい方は、ほとんどいらっしゃらないのではありませんか?」
晴彬は目を細めて千砂を見る。
「そうですね。私の回りは大きいのばかりです」
千砂は晴彬のおどけたような言い方に、笑みを深くする。
「随分笑ってくれるようになりましたね。三年前は全く笑っていなかった」
晴彬が三年前に千砂と会ったときに強烈な印象を受けたのは、その突飛な行動力もそうなのであるが、そのときの表情と行動力の不一致のような違和感を感じたのだ。
晴彬の言葉に千砂は目を見開いている。少し戸惑ったあと千砂は言う。
「…………四年程前から……笑うことが極端に減った…というより笑い方が分からなくなって…」
千砂は一呼吸すると複雑な表情のまま笑おうとする。
「笑っていても、うまく笑えているか、分からなくて……」
晴彬は自分の出した話題から思わぬ千砂の発言に、何と声をかければ良いか一瞬迷う。
出来てしまった沈黙を破ったのは、第三者だった。
突然部屋の戸が開くと、肩で息をしている高脩が風千代の手を握った状態で立っている。いつも元気な印象のある風千代が今にも泣きそうな顔をしている。
高脩は晴彬を認めると片ひざをついて頭を下げる。
一瞬晴彬の顔が歪んだのを千砂は見た。
「晴彬様、美衣様が…」
高脩がそこまで言うと、晴彬の表情が険しくなる。
晴彬は何も言わずに立ち上がる。千砂が驚いて晴彬に声をかける。晴彬は少々乱暴に千砂の腕を掴むと立ち上がらせ、部屋を出ようと引っ張る。
高脩の前を通り過ぎるとき高脩と目があったのだが、何か問う暇さえない。千砂は二・三度晴彬に呼びかけたのだが、反応がなく諦めて晴彬について歩く。
何処をどう歩いたのかすら、千砂には分からない。
が、突然、晴彬の足が止まる。
「…晴彬様?」
相も変わらず晴彬の反応はない。千砂の方を見ようとすらしない。
千砂は仕方なく矛先を変える。
「高脩様、…美衣様が…どうかなさったのですか?」
風千代を抱えて晴彬を追っていた高脩は風千代を下ろすと、晴彬を一瞥し口を開く。
「……先ほど、倒れられました」
「た、倒れた?え??倒れた?嘘でしょう??さっきまで私と話して……」
独り言のような千砂の口調に彼女の動揺がよく分かる。
「…元々、体の弱い方で…」
千砂はその言葉に一瞬気を失いかける。完全に気を失わなかったのは、晴彬が千砂の腕を強く握り締めたからだ。その痛みに千砂は我に返れる。
千砂は晴彬の手を見て驚く。かすかに晴彬の手が震えている。
千砂は晴彬の手を振り払うと、前に回り込むようにして立ち真っ直ぐに見上げる。
「晴彬様!!美衣様は大丈夫です!少しお疲れになっているだけです」
高脩と風千代が驚いたように千砂を見る。二人の視線に気付き、千砂は我に返る。赤面すると俯いてしまう。
「あぁ、そうだな…」
晴彬は青白さを隠すように手で顔を覆う。千砂と視線が合うと無理に微笑もうとする。晴彬の声を聞いた千砂はかすかに首を振っただけだった。
晴彬は目を閉じて二三度深呼吸をすると、千砂の腕を掴み直す。
ゆっくりと目を開けると、晴彬は部屋の戸を開ける。
そこには千砂の知らない人がほとんどだったが、彼らは千砂を気にすることなく晴彬以下三名に対し頭を下げる。しかし、晴彬はそれをしぐさで止める。
千砂は邪魔にならない場所に行こう晴彬から離れようとするが、晴彬は構わず千砂と上座に向かう。
そこに移動する途中、千砂は美衣が硬く目を閉ざして横になっているを確認する。
千砂は晴彬の斜め後ろに目立たないように座る。美衣の様子を伺うが、よく判らない。千砂は一瞬眉を潜める。
「お疲れになっていたようですね。少し休まれたなら十分ですよ」
美衣の近くにいた薬師と思しき人物がそういうと、千砂は安堵し元の位置に座り込む。
そして千砂は晴彬を見る。晴彬の様子が安堵とは少し違うのに気付き、千砂は静かに問い掛ける。
「晴彬様…?」
その声が聞こえたのか、晴彬の隣にいた勝春の視線が千砂に向く。思わず勝春の方を見た瞬間、千砂の視界が激変する。
と、頭上からかすかな声が聞こえる。
「良かった…」
晴彬にかなり無理な体勢で抱きしめられていることに気付いたのは、かなり時間が経ってからのことだった。