蓮の伝説3
「先ほどは、申し訳ありませんでした」
勝美と勝春と高脩は微妙な表情のまま、複雑な表情のままの千砂に頭を下げる。千砂は居心地悪そうに言う。
「私の方こそ、事前に都合も聞かずに押しかけてしまいまして・・・・」
四人は仕方なく苦笑して沈黙する。
すると、とたとたとた、と小さな子どもが走ってくる気配がする。ぱっと現れた風千代は、ぱぁ、と顔を輝かせると千砂に向かって突進する。
「風千代様!!」
座っている千砂に抱きついた風千代に三人が同時に慌てる。
「…気にしないで下さい」
少し驚いたような表情をしていた千砂は、風千代の笑顔に少し表情を和らげる。
勝美が口を開く。風千代のお陰で少し話しやすくなったと感じたのは勝美だけではなかったようだ。
「少々お聞きしたいのですが、私や高脩とお会いにしたこと…ありますかな?」
勝美の言葉に千砂はその視線を、風千代から質問者に変える。
「いえ、私はこの中では勝春様とだけお会いしました」
「……覚えて、らしたのですか?」
勝春が呆然と呟くと、千砂は驚いたように勝春を見る。
「あの時、あの場にいた誰よりも勝春様は晴彬様を案じておられました。覚えないわけありません」
勝春はさらに微妙な顔をして沈黙する。勝美は問う。
「我らのことはどうしてご存知なのですか?」
「勝美様と高脩様のことは聞き知っております。十歳以下で晴彬様のそばにいるのは風千代様だけですし」
筋は通っている、というより、さすがは白良領主の次女といったところか、情報の齟齬はない、と勝美は思う。途切れた会話に風千代が尋ねる。
「千砂様、兄様とどこで会われたのですか?」
「晴彬様の初陣の合戦の場です。勝春様ともそこでお会いしました」
「三年も前のことなんですね。でもそんなところにどうして千砂さまはいたのですか?兄様にお会いに行かれたのが合戦の場…????」
「…、そう、ですね。でも…ちゃんと自分の意思で会いに行ったのですよ?」
「……、どういう意味ですか?」
千砂は神妙な顔をして沈黙する。風千代はそんな千砂から視線を外し、勝春を見る。
勝春も何とも言えない表情で口を閉ざす。風千代は、高脩に視線を動かす。
「高脩はそういう意味だと思う?」
「そうですね~。自分の意志、合戦の場、ということは、千砂様が晴彬様に手合わせを願いに来たと考えるのが妥当ですね」
勝美は困ったような声で高脩を咎める。
「高脩。何バカなことを言っておる。勝春もさっさと否定せんか」
しかし、勝春は何も言わない。寧ろため息を付く。そして呟く。
「お前、何でそんなに勘が鋭いんだ?」
この時代、女が剣術などを行うのはよく見られる風景だった。しかし、戦場に向かうためではなく、城を守ることが主だった。
だが、千砂は単身晴彬の前に現れたのだ。
勝春は今でもその時のことを鮮明に覚えている。正直、勝春は人の顔を覚えているのは稀ではあるが、千砂が勝春に与えた影響はかなり大きかった。
「正式に腕試しがしたい、と申し出ても実現することはありますまい。この非常時に託けて、腕試しに参りました。もし、難しいようでしたら後日にお約束を頂ければ今日は引きます」
と、千砂は名乗った後そういったのだ。
あの時は、椋実の山を挟んで反対側との戦いだったためさほど混乱は起きなかった。しかし、その腕試しをするしないの押し問答をしているときに、晴彬の軍は攻め込まれてしまう。
千砂は微力ながら参戦しろうとしたが、晴彬はそれをきっぱりと断ったのだ。
「千砂様が?……兄様に??」
「えぇ、腕には少々自信がありましたから。お強いと名高い晴彬様に会いたかったのです」
勝美は、千砂の言葉に呆然とする。
高脩にいたっては、自分で言っておきながら千砂の言葉の意味が理解できず、彼の頭上で回旋しているような顔をしている。
どちらにしろ、なんて女性なんだ、と心の中で叫んだのだろう。勝春は、随分前に思ったことなのだ。
「で、勝敗は?」
そんな中、嬉々として尋ねる風千代に三人はなんとも言いがたい表情をした。
「うらむやになってしまった感は否めませんが、私の負けでしょう」
「あの時救われたのは、私のほうですよ」
晴彬の突然の登場に、勝春、勝美、高脩の三人が伏礼する。千砂も三人にならい頭を下げようとしたが晴彬が止める。三人が頭を上げたところで、千砂は立ったままの晴彬を見上げて尋ねる。
「救われた……とは?」
「千砂様のお陰で、守るものの大切さを知りました」
千砂は、形の良い眉を潜める。晴彬はさらに言葉を重ねる。
「千砂様を守ろうと思ったのです」
晴彬は、国を守る予定で戦には出た。国を守るという意味が、人を守ると直結したのはその時だったのは事実ではある。
「確かに私は、晴彬様に守られました。しかし、それが原因で怪我をされたではありませんか」
「さほど、深い傷ではありませんでしたよ」
千砂は鋭い瞳で穏やかに微笑んでいる晴彬を見る。
「私が原因で怪我をしたのに、私がそのことを気にしないとでもお思いなのですか!!」
千砂の厳しい声に、晴彬以外の人間が息を飲む。
「私さえ、あの場に居なければ、晴彬様はお怪我なんてすることは無かったのです。私がいたから、晴彬さまは余計なお怪我をされたのです」
晴彬は千砂の前に移動すると、片ひざをついて千砂を見つめる。
「では、千砂様が居なかったら私は死んでいたかもしれない、とはお考えにならなかったのですか?」
「…え……?」
「千砂様がいたから、戦えた」
「でも……」
怪我をしたのは事実です、と言おうした千砂を止めたのは勝春だった。
「晴彬様は千砂様を汚したくなかったのです」
「……汚…す?」
「か!…勝春!!」
晴彬の静止を無視して勝春は続ける。
「白い着物を着ていらした千砂様を血という色で汚したくなかったのです」
千砂は俯いて沈黙する。長くない沈黙を破ったのは風千代だった。
「兄様の好きな色って知ってる?」
誰ともなく問い掛ける。高脩は、誰も答えないことを予測してため息と同時に答える。
「白、ですか?」
「うん、白って、勝利の女神様の色なんだって。兄様が言ってた」
勝美は、固まって動かない晴彬と俯いたまま表情がわからない千砂を見比べる。
「つまり、晴彬様の女神は千砂様、なんですね」
具体的に言葉にされ、千砂が晴彬を見つめて言う。
「…勝利なんて…私は、そんな大層な存在ではありません」
一同は、絶句した。彼女は勝春の言葉を言葉の通りに受け取ったのだ。敢えて「勝利の」を外したことは些細なこととさらっと流されてしまったようだ。