一話
朝目が覚めたら透明人間になっていた。……なんて突拍子もなく言われてもピンとはこないだろう。
具体的に言おう。人口1億3000万を超えるこの日本のどこにでもいる、しがない会社員の俺は、突然なんの前兆もなく透明人間になってしまっていたのだ!
自分でも何を言ってるのかまったくわからない。しかし、事実なのでもはやどうにもならない。
と、いうことで。
「……なるほどなぁ」
俺は今、東京・渋谷、そのスクランブル交差点のど真ん中に仁王立ちをしている。無論。全裸である。
もう一度言おう。俺は今! スクランブル交差点のど真ん中で! 全裸で! 仁王立ちをしているのだ! この切り出し方に既視感があるのは気の所為ではない。
自分自身は透明のようだが、身につける衣服までには透明にならず、また持つものも同様らしい。
「なので、俺は今、全裸である!」
俺は声を大にして叫ぶ。が、信号の点滅に急ぐサラリーマンやOLは俺のことなど気にもとめずに足を急がせる。
ふむ。どうやら声も届かないらしい。だが、透明だが形はあるのがこの俺。さきほどから見えない何かにぶつかるサラリーマンたちはだが気の所為だと頭をかいている。肩痛い。
つまり、俺は物体としては存在しているが、不可視で無音の透明人間。言ってしまえばゲームの進行の妨げになる脇道を塞ぐ見えない壁のようなものになっているようだ。
ならば話は早い!
この力を使ってあーんなことやこーんなことをしてしまおう!
ふと、この力は時限式になっていて、そういうことをした瞬間にタイムアップ! 不審者認定! みたいなつまらない漫画のような展開になるかもと想像をしたが構わん!
俺は俺のやりたいようにするのだ!
そう思い切って、辺りに視線を配る。さて、可愛い女の子はいないものか……。
いた。
その子は綺麗な黒い髪だった。
その子はセーラー服に身を包んだ少女だった。
その子は端正な顔立ちで、
その子はじっとスマートフォンを見つめて笑顔を浮かべていた。
だが、横断歩道の色は赤。誰も止めない。何も叫ばない。それだけならいい。
ーー少女を見て、止まるトラック。その背後の車から、ブーとクラクション。驚く少女。飛び出すその先の車線はーー先を急ぐ黒塗りの車。
俺は一目散に駆け出す。間に合うか? 間に合わんだろう。だが、駆ける。駆けつけねばならない。
届け、俺の手ーー!
「きゃっ?!」
ぐっと、少女のカバンの手応えを感じた。そのまま後ろに掴んだ右手を引く。
まさに間一髪。奇跡だ。火事場の馬鹿力というのは、他人の危機にも働くものらしい。
見えない何かに引かれた少女はそのまま尻もちを付き、ペタンと座り込む。しかし、少女よ。
そこ、まだトラックの前なんだ。
俺は、少女を引っ張ってなんとか車道の間の車のこないスペースまで移動させる。
「はっ、はっ、はっ……」
困惑というか、衝撃というか。とにかくショックを受けたであろう黒髪の少女は、ぐっと、カバンの持ち手を、いや、『安全祈願』と書かれたお守りを握りしめる。
「ありがとう、神様、ママ、パパ……!」
その隣には、『合格祈願』のお守りが揺れていた。




