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九章

 お母さんは取り乱した。今まで見たことのないくらいにわんわん泣いて、帰ってきたお父さんに慰められていた。お父さんも事情を聞くと重苦しくて気まずそうな顔をしていた。

 あたしはすぐに病院に連れて行かれた。


 お医者さんがいた。みんな優しかった。

 お母さんが泣きながらあたしはおかしな子供じゃなかったのに、どうしてこんな、なんてことを喚き散らしていた。


 あたしはこのときようやく気づいた。

 他の人にはパルクスが見えていないんだ。

 しばらくの間、入院することになった。


 お母さんは目に涙を浮かべたまま、すぐに良くなるから、変なものなんて見えなくなるからね、大丈夫だから、といった。本当? と聞くと、大丈夫、きっといなくなるから大丈夫、と何度も繰り返した。

 食い違っていることには、すぐに気付いた。


 違う。違うよ、お母さん。あたしはパルクスが見えなくなるなんて嫌。消さないで。パルクスを消さないで。お願い。あたし、パルクスが居ないと駄目なの。パルクスがいない生活なんて耐えられない。生きていけない。

 何度も訴えた。泣いて縋りついた。お見舞いに来る度にお願いした。だけどお母さんはあたしの言うことを聞き入れてくれず、ただ、良くなるから大丈夫としか言わなかった。あたしは声が涸れるほど泣いて、縋りついてなんとかパルクスを消してしまわないように懇願した。その度にお母さんは大丈夫と言った。


 ふと気が付いた。

 パルクスが発覚してから、お母さんがあたしにかけた言葉は「大丈夫」だけだった。あたしが何を話しても、何を言っても生返事ばかりで、ただパルクスを消すことで頭がいっぱいのようだった。

 そのことに気付いた時、お母さんとあたしの間に薄い膜が張られた気がした。パルクスという幻覚ばかりを相手取って、目の前に存在するあたしの声は届かないことが、とてつもなく悲しかった。


 それから病院で何週間か過ごした。

 その間は、ずっと見張られていて、あたしはパルクスと触れ合うことが出来ない日々を送った。

 ある日を境に、パルクスがいなくなった。知らない土地で死んでしまったかのように、その姿を見ることは無くなった。いなくなったことは、不思議な感覚だったけど、心のどこかに確信があった。


 パルクスは、いなくなったのだ。

 同時に、あたしの世界が一つ、ガラスが割れるようなぱりん、という音とともに崩壊した。

 そしてあたしは幻覚を見なくなった。パルクスを見なくなった。

 その事を話すと、そろそろ退院ね、とお母さんが嬉しそうに喋っていた。

 だからだろう。

 あたしは……


 朝起きて、ご飯を食べて、パルクスと話す。やっぱりこの時間が一番楽しい。だけどそこにはパルクスはいない。それは少し寂しくて虚しい。だけどあたしは話し続ける。そこにいないパルクスに向かって。撫でたりくすぐったりする。だけどそこには何もいない。パルクスはいない。だけど話し続ける。いない。パルクスはいない。だけど話す。話し続ける。


 パルクスがいなくなって残ったのは、あたしだけ。

 見えない幻覚と遊ぶ、あたしだけ。

 あたしの退院は延期された。

 なにも見えていないはずなのに。幻覚が見えていたからあたしは入院していたはずなのに。幻覚が見えなくなっても病院に留めるだなんて、おかしな話だった。

 お母さんも、お父さんも、お医者さんも、幻覚でも見えているんじゃないのだろうか。




 緊急事態だ。宮本千絵は壊れかけている。

 このまま放っておくわけにはいかない。「あたし」が生まれた理由からは外れた行動を取ることになるが、もうそんなことは言っていられない。

 終わらせよう。


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