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五章

「どうかしたの? なんだか元気がないみたいだけど」


 晩御飯を食べているとお母さんが心配そうな顔をしていた。二日続けて沈んだ顔をしていれば流石に気になるみたいだ。


「ん……ちょっと気分が悪くて……」


 いじめられたなんてお母さんに言えない。

 みっともなくて恥ずかしいし、解決できるとも思えない。仮にお母さんたちに相談して解決したとしても、中学生にもなって親に頼っている風に周りに見られると、いじめられなくなっても今度は腫れ物に触れるような扱いになりそうで嫌だ。


「ごちそうさま」


 晩御飯のほとんどを残したまま席を立った。気にかけるお母さんから逃げるように台所を後にする。それ以上あれこれ聞かれるといつか泣きだしてしまいそうだった。部屋に戻る直前、「……明日、学校休む」とだけ言っておいた。何か言ったみたいだけど、今はそれを聞く余裕はなかった。



 次の日、起きるとラップのかかった朝食と書き置きが台所にあった。

『仕事に行ってきます。お昼御飯は冷蔵庫にあるのでチンして食べてください。学校には連絡しておいたのでゆっくり休んでね。母』

 正直休んでも宇野さんのいる学校に行ける気がしないあたしには、お母さんの心遣いが虚ろに響いた。


 レンジにかける気力もなく冷たいご飯をモソモソと食べる。

 朝ご飯を食べてから何もせずにただこれからどうしよう、と途方に暮れて昼になった。こうやって動かずにいる間も、頭の中では宇野さんの言葉が反芻されて気が滅入る。


「やめてよ……」


 気が付いたら声に出していた。

 自分しかいない部屋で言っても何の意味もない言葉。だけど直接言う勇気もない。我慢できずに吐き出すしか、今のあたしに出来ることはなかった。それがたまらなく悔しい。

 何もかもが嫌になってきた。


 いじめっ子に屈する弱い自分が、大した理由もなくいじめるクラスメートが、誰にも相談できない愚かな自分が、いじめに気付いてくれないクラスメートが……一体誰に手を伸ばせばいいのか分からない自分が……。


 いつしか床に伏せって涙を流していた。

 これからあの学校に通えるのか、心配する自分はもういなくなっていた。ただただ安全で安心できる場所にいたかった。理不尽な道理に付き合って心を傷つけられたくなかった。外に、危ない場所に踏み込みたくなかった。


 一度学校を休んでみると、そういう選択肢があることに気づいてしまった。選んだ選択肢は甘く優しく、逃げ出したあたしを包み込んで離さなかった。闇の毛布にくるまれ、あたしは考えることをやめてしまった。




どうやら本格的に「あたし」の出番らしい。あの宇野加奈という娘は宮本千絵のことを想像以上に嫌っている。放っておくと取り返しのつかないことになるだろう。




 ボールの転がる音で目が覚めた。


「ん……」


 音のした方を見る。リビングから廊下に続く扉が開いていた。前にパルクスと遊ぼうと思って用意していたボールがそこから転がってきたらしい。

 半開きの扉から白く小さな動物が顔を出した。


 その動物は雪化粧かと見紛うほどの純な白さを湛えていた。雪の結晶が寄り集まって生き物の形を作ったかと思わせる煌きは周りの空気を押しのけているかに見えた。

 ――ああ。

 直感した。


 今、あたしを救う存在はこの子の他にいるはずがない。小さな頃からずっと傍にいてくれた友達。ネコともウサギともつかない不思議な生き物。

 パルクス。


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