8.悲しい夢
本日一話目です。
視点移動があります。
頬を撫でる優しい風が新緑の香りを運ぶ。ふかふかのベッドに寝ている私は自分の状況を確認した。誰もいない広い空間にぽつんと置かれた特上のベッド、遠く離れた場所で会話しているのは私の仲間たち。あのダンジョンの最奥で引き離された、何度も共に危険を潜り抜けてきたかけがえのない仲間たち。
「みんな! 私はここよ! 私は無事よ!」
声の限りに叫ぶ。きっとみんな心配してるはず、必死になって私を探してくれたはず、ドラゴンと遭遇する危険を顧みずにあのダンジョンに再び挑んでくれたはず。だから一瞬でも早く皆を安心させたかった。
でも私の声は届かない。皆私の声が聞こえていないのか、私に全く気付いていない。仲間の一人が一輪の花を置くのが見えた。置かれた花は小高く盛られた土の山の上。それは墓標。
「シェリー、お前は見つからなかった。お前が言っていた横穴なんて無かった。きっとドラゴンに喰われる恐怖で幻覚でも見たんだろう」
「遺品でもと思ったんですけど……何一つ残っていませんでしたわ」
「私たち……無力……」
彼らが立っているのは私の墓標の前だということがすぐにわかった。でも待って、私はここにいるの、ここにいるんだから!
「私は生きてる! お願い、気付いて!」
何度も何度も叫ぶけど、誰も気づく素振りはなく、やがて彼らは立ち去ってゆく。これが私たちの世界の日常とはいえ、今の私には受け入れられるはずもなく、声の限りに叫び続けるも誰一人振り向くことはない。どうして? あの時確かに横穴は開いていた、だから私はこうして生きているのに……
「いやだ……いやだよ……」
怖い。ただひたすらに怖い。それはドラゴンに遭遇したときよりも、巨人に遭遇したときよりも冷たくておぞましい怖さ。大事な仲間たちに忘れ去られてゆくかもしれないという恐怖。彼らの思い出の一つとなり、やがて消え去ってゆくのではないかという恐怖に全身が凍り付く。気づけば私は滂沱の涙を流していた。たった一人、知らない場所で恐怖に苛まれながら涙を流していた。流し続けていた……
「……夢?」
気付けば周囲は既に暗くなり、月明りが私を照らしている。巨人の国で見る月もいつも見ていた月と同じで、幻想的な輝きを見せている。色々と疲労がたまっていたようで、眠りに落ちたことも気づかなかった。
ふかふかで温かい寝床は今までに味わったことのない極上の感触、いつまでも包まれていたいと思える柔らかい毛が私の涙で濡れている。
「く~ん……」
「チャチャ……さん?」
炎を纏ったような毛色の獣が私を見つめている。でもその瞳には敵意はなく、むしろ泣いている私を気遣っているように見えた。いつの間にか私はチャチャさんの身体に寄り添うように眠っていたのだ。でもチャチャさんは自分の毛が濡れたことに怒る素振りもなく、涙で濡れた私の顔を何度も優しく舐めてくれた。不安に駆られる私を慰めるように、何度も何度も……
「お、起きたか」
「……ソウイチさん」
この館に来て初めて出会った巨人、ソウイチさんは優しく笑いかける。凶暴で残虐と言われている巨人族とは真逆の存在はゆっくりと立ち上がる。途端に夜だった部屋が昼になった。あり得ない現象に身体が強張る。一体どんな魔法を使えばそんなことが出来るのか、しかも魔力が使われた形跡はどこにも見られない。
「……昼になった……」
「灯りをつけただけだろ? それよりも晩飯の支度するからテレビでも見ててくれ」
灯り……確かに私たちの国でも灯りはあるけど、ここまで明るくない。灯りの魔法は蝋燭が十本くらい集まった程度の明るさが普通だし、それより明るくすると魔力の消費が大きくて使い勝手が悪い。でもそれより驚いたのは、ソウイチさんが黒い板のようなものを手に取ると、壁際にあった大きな黒い板が突如明るくなったことだった。
この大きな黒い板は何となくだけど使い方が理解できた。これはきっと遠くのものを映し出す魔道具だと思う、というのもさっきまではこの板に全く知らない巨人が映し出されていたから。以前探索した地下遺跡に似たようなものがあったから、きっとこれもその類のものなんだろう。
「……子供向けアニメでいいか」
「……あにめ?」
そこから先のソウイチさんの言葉は全く耳に入っていなかった。それほどまでに衝撃的だった。映し出されている内容は子供たちが喜ぶ絵本のようでもあったけど、何より驚いたのはその色彩の鮮やかさ。こんなにはっきりした綺麗な色が奔流の如く溢れ出る。私の知る絵本には色なんてない、ただの線画があるだけだ。巨人の国は私たちの国よりはるかに高い魔法技術を持っているのかもしれない、そう思いつつ、私は色彩の奔流に飲み込まれていった。
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俺が昼寝から目覚めてしばらくするとシェリーが目覚めた。さっきまで眠りながら涙を流していたので、そのまま茶々に預けていたんだが、どうやらしっかりと面倒みてくれているようで、しきりにシェリーの顔を舐めていた。灯りをつけた時にはかなり驚いていたようだったが、暇つぶしになるだろうと思ってつけたテレビの子供向けアニメを食い入るように見ていたな。
「晩飯か……シェリーの分はパンと果物と他一品程度か? 俺のは……適当でいいか」
俺一人だけなら米だけ炊いてあとはあり合わせで済ませるが、シェリーの口に合うものをかんがえなければならない、主にサイズ面だが。パンは耳を切り落として小さく切って、フルーツの細かく切って、あとは……ソーセージでも焼いて薄く切ればいいと思う。俺は残ったパンでソーセージと野菜をはさむ程度で済ませよう。足りなければ何か追加すればいいだけだ。
八枚切りの食パンをさらに半分の厚さにスライスし、耳を落として将棋の歩の駒くらいの大きさに切る。フルーツはイチゴとオレンジを五ミリ角くらいに切り、ウィンナーソーセージは三ミリくらいの厚さの輪切りにしておく。味付けの好みがまだわからないので、パンには薄くバターを塗る程度にしておいたほうがいいかもしれない。
シェリーの分を小皿にのせて、俺の分は残ったパンにソーセージと生野菜とマヨネーズを挟んだ簡単なものにした。たぶん足りないが、かといって大量に作って余らせるのは俺の主義じゃない。少し物足りないくらいが丁度いいし、いつも食後はフルーツを食べる習慣があるのでその分を考慮してのことだ。
「晩飯の準備が出来たぞ……ってまだ見てんのか」
まさに釘付け、という表現があてはまるくらいの勢いでアニメを見ているシェリー。そういえば初美の小さい頃もこんな感じだったな。晩飯に全く集中できないことに怒った親父がニュースにチャンネルを変えてしまい、大泣きする初美を慰めながらお袋が飯を食べさせてた。目を皿のようにして画面を見ているシェリーの姿に、ついついそんな昔のことを思い出してしまった。この家に家族の団欒があったあの頃のことを……
「ワンワン!」
「あ……すみません、つい夢中になっちゃって……」
「気にすんな、それより晩飯にしよう。あり合わせのもので悪いが」
「そんなことないですよ! ダンジョン探索中は干し肉が中心でしたから」
小皿に盛られたフルーツを見て目を輝かせているシェリー。傍では茶々が物欲しそうな目でそれを見ている。ちなみに今は食卓は使っていない。食卓を使うとシェリーが届かないし、シェリーを食卓に乗せるという方法もなくはないが、万が一にも食卓から転げ落ちたら大怪我しかねない。畳に直置きは少々、というかかなり行儀が悪いが、俺一人我慢すればいいだけなので問題ない。
「ほら、お前の分もあるぞ」
「ワンワン!」
茶々の前にはカリカリと温野菜を刻んだものを混ぜたものを乗せた皿を置く。だが決していきなり食べ始めたりはしない。ちゃんと俺が頂きますを言ったのをい確認してから食べる賢い子なのだ。それまで皿の前で伏せをしながら尻尾をぶんぶん振り、上目遣いでこちらを見てくるその姿がとてもかわいいので、少々お預けさせたりすることもあるが。ただ今日の食事はいつものような二人きりではないので自重しようと思う。
「いただきます」
「ワン!」
「……それは何かの儀式ですか?」
合掌した俺の様子を不思議そうな顔で見るシェリー。何も知らない側からすれば意味不明の儀式に見えるのか。
「これは……生き物の命をいただいて日々の糧にすることの感謝だな」
「神に祈るんですか?」
「神……とは違うかもしれない。例えばこのフルーツだって植物の宿した次の命とも言えるし、このソーセージに使われている肉は動物を殺すことで得られるものだろ? そうやって死んでいった動物や植物に対しての感謝の意味があるんだ。あなたたちの命で我々は生きていけます、ありがとうございますってな」
「……感謝」
「そう、殺された側にとっては迷惑な話かもしれないけどな」
「……いただきます」
見よう見まねで両手を合わせて目を閉じるシェリー。敢えて神ではないと言ったのは、シェリーにしてみればどうしてこんな場所に来てしまったのかと神を恨んでいるかもしれないという懸念があったからだ。俺は宗教には全く興味はないが、かといって宗教を拠り所にする人たちを否定するつもりもない。要は自分たちの信仰をこちらに押し付けなければいいだけのこと。幸いにもシェリーは俺の拙い説明でも納得してくれたようではあるが。
こうして始まった夕餉の時間、それは数年続いた俺と茶々の二人きりの夕食の時間が終わったことを意味していた。
後一話更新します。