6.新しい同居人
エアコンの効いた車内に甘く熟した果実の良い香りが充満する。カーフレグランスの如何にも合成された感の強い香りは苦手だが、こういう自然の香りは心が安らぐ。とはいえこの香りも今だけのもので、放置しようものなら数日で腐敗臭に変わる。
「今年はまだ桃を食べてなかったな」
渡邊さんのところに秋用のナスの大苗を納品しにいった帰りにレジ袋いっぱいの白桃を渡された。渡邊さんのところで昔から育てている白桃は販売所でも人気で、遠くから車で買いに来る客もいるらしい。最近では初美が協力して通販も開始するらしい。若干傷があるとは言っていたが、うちで食べる分には問題ない。
白桃も様々な種類があるが、もらったのは「あかつき」という種類の白桃だ。この近辺では今頃から収穫が始まるので、ちょうど旬だ。やはり旬の食べ物はいい、食べれば身体に力が湧いてくる気がする。特に果物はその傾向が強いように思う。
桃の香りを堪能しながら車を進めれば、山の緑が目に眩しい。今年の梅雨も程よく雨が降り、作物も含めた植物全般の生育が著しい。今秋の山の恵みも十分期待できるだろう。東京からこっちに戻ってきて数年、次第に感覚が幼少期のそれに近いレベルで戻ってきているらしく、山のことも少しくらいなら肌で感じ取れるようになってきた。戻ってきてすぐの頃は山菜採りに行っても何も採れずじまいのことが多かったが、今では必ず何か見つけて帰るようになっている。
「やっぱりここの暮らしが合ってるんだろうな」
ついそんな言葉が出てくるのは、都会の暮らしが合わなかったからということだけが理由じゃない。最近増えた新しい家族の影響が大きいと思っている。彼女のおかげで疎遠だった妹との関係も昔のように戻りつつあり、それが俺の精神的な支えになってくれているのを強く感じる。
無垢で純真で、強くてか弱い、とても小さな新しい家族は一度自分の場所に帰ったが、たくさん傷つけられて戻ってきた。たくさん泣いてたくさん苦しんで、そしてたくさんのものと決別する意思を見せた。それがどれほど辛い選択かなんて俺たちが全て理解できるかどうかなんてわからない。でもその選択をしたことで苦しむのであれば、出来る限り支えてやりたい。俺たちが彼女の純真さに、必死さに支えられてきたように。
しばしの山道のドライブの後、見慣れた我が家の屋根が見えてきた。庭の隅に駐車して家に入れば、居間からは茶々の吠える声が聞こえる。しかし迎えに出てこないのは、居間がエアコンを効かせているからだろう。ポメラニアンの茶々はこの暑い中で毛皮を着ているようなものなので、外に出たくないというのは理解できる。
「おーい、戻ったぞ」
「おかえり、お兄ちゃん」
まだ昼前だというのに初美の声がする。この時間に初美が起きているのは珍しい。いつもなら昼飯の匂いで目が覚めるか、徹夜のままでぼーっとしている初美にしてはやけにはっきりとした返事だった。滅多にないことに今日は雪でも降るんじゃないかと不安になるが、小さくシェリーの声も聞こえるので、二人で留守番してくれたのかと納得しながら居間に入る。
「渡邊さんのところで桃貰ったぞ、食後に……」
「あ、ソウイチさん、お帰りなさい」
居間に入れば、尻尾を振りながら擦り寄ってくる茶々の姿に、未だ寝間着姿のシェリー。そして同じく寝間着姿(といっても高校時代の体操着にハーフパンツ姿だが)の初美。そして初美の話を真剣に聞いている青い髪の少女がいた。ただしその少女は……
「おい、初美。そっちのは……」
「あなたがこの家の主人か。初めまして、私はフラム、シェリーの親友だ」
俺の姿を見て静かな口調で挨拶してきたその少女は、シェリーと同じサイズをしていた。
「シェリーの……親友?」
「シェリーのことを保護してくれたこと、心から感謝する」
「あ、ああ、そんなことは気にしなくていい。それよりも……」
「……私の姿がそんなに珍しい?」
珍しいと言われれば確かに珍しい。そもそもこんな小さい人間というものをシェリー以外に見たことがない。だがそれよりも……この場にいる皆は気付いていないんだろうか。
「私がどうかしたの?」
「とりあえず……これでも羽織ってくれ」
フラムという少女は最初こそ俺の言葉の意味を理解できていなかったようだが、ようやく理解したのか、顔を真っ赤にして俺の差し出したハンカチを奪い取るように掴むと、急いで身体に羽織った。身体のサイズからすれば大きすぎるが、取り急ぎ身体を隠すぶんには問題ないだろう。
「……ありがとう、感謝する」
「あの姿のままだとまともに会話にならなそうだしな」
フラムはハンカチに包まりながら恥ずかしそうに言う。いくらサイズが小さいとはいえ女の子だ、ほとんど下着だけの姿で男の俺と話なんて出来ないだろうし、それ以前に服もボロボロで見ていてこちらが辛くなる。余程過酷な道のりだったんだろうことはその格好から容易に想像がつく。
「それでね、お兄ちゃん。フラムちゃんはシェリーちゃんを探してここまで来たみたいなんだけど、やっぱりあの穴が何時開くのか分からないんだって。だからそれまでの間、シェリーちゃんと一緒に面倒みてあげたいんだけど……いいよね?」
「私からもお願いします。見回りはいつものようにしますから」
「頼む。私の出来ることであれば何でもする」
「ワンワン!」
初美の提案にシェリーとフラムが頭を下げる。その横では茶々が『当然だ』とばかりに吠えている。俺としては今更ちっこいのが一人増えたところでどうなる訳でもない。むしろフラムが来てくれたことは俺たちにとっても歓迎できることだ。
「ねぇ……どうかな? 部屋はアタシが用意するから」
「お願いします、ソウイチさん」
「ワンワン!」
女性陣が俺の答えを今か今かと待っている。シェリーが新しく家族になったとしても、違う世界に独りぼっちだという事実は変わらない。その寂しさを必死に抑え込んでいるということは日常のほんの一瞬の隙に見せる悲し気な表情から見ても明らかで、それを見ていることしか出来ないもどかしさを俺たちは常に抱えていた。だが今のシェリーの顔にはそんな気配すら感じられないのは、心許せる親友がここにいるという安心感の賜物だろう。
家族として、彼女の心の平穏を望むのは当然のことであり、そして今そのための解決策が示された。ならばここでそれに乗らない手はない。多少賑やかさが増すかもしれないが、そもそも周囲は山林で虫と獣の声しかしないから、騒がしいくらいがちょうどいい。だから俺の答えは当然……
「改めてこちらこそよろしくな、フラム」
答えを聞いて抱き合って喜ぶシェリーとフラム。ほっとした表情の初美に駆け回る茶々。間違いなくこれがここにいる皆が望んだ答えだ。フラムを受け入れることで困る者なんていないのだから。少なくともシェリーの心の底から嬉しそうな表情を見ることが出来ただけでも、間違いではないはずだから。
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