10.護る者
『グルル……』
ドラゴンは唸り声を上げながら、私たちを見据える。いや、正確に言えば私たちの後ろを、だ。しかし攻撃してくる様子は見られないので、ほんの一瞬だけ背後を見れば、あの時のような大きな穴が開いていた。全く奥の見えない漆黒の闇もあの時のままだ。
しばしのにらみ合いの後、ドラゴンが動く。はっきりと殺意の宿った金色の瞳は私を獲物として認識したらしく、大きな口をあけて威嚇を始める。邪魔な存在を一掃するかのように、巨木のような尾が振り回される。私は風を纏って跳躍したから避けられたけど、カブトさんは直撃を受けて弾き飛ばされてしまった。
「カブトさん!」
固い甲殻のおかげで大きなダメージは無いものの、まともに食事をしていないせいで動きが鈍いカブトさん。何とか起き上がるけど、いつものような動きのキレがない。そしてドラゴンは私だけを狙うことにしたようで、カブトさんに目もくれずに私のことを爪や尾で狙おうとする。ブレスを使わないのは、焼き尽くしてしまったら血肉を味わうことができないからだろう。新鮮な血肉を味わうためにわざと爪と尾だけで攻撃してるんだ。
そんな私から興味を逸らすべくカブトさんが何度もドラゴンに突進するけど、簡単にあしらわれてしまう。ゴブリンやウルフはもちろんの事、オークだって相手にならなかったほど強いカブトさんがまるで子供扱いされている姿は見たくなかった。でもカブトさんは挫けることなくドラゴンに向かっていく。
一体どれくらいの時間が経ったんだろう、私の魔力もほぼ底を尽き、風を纏っての跳躍も出来なくなった。カブトさんもその動きは緩慢で、かろうじて歩いているといったほうが正しく思えるくらいに弱ってきている。ドラゴンも疲労してるのかもしれないけど、見る限りでははっきりと疲労を確認できるようなものはない。このままじゃ二人とも死んでしまうのは時間の問題だ。
岩壁に開いた穴はもうすっかり大きくなり、魔力も安定しはじめてる。何とかドラゴンの攻撃を躱して逃げ込めば、あの時と同じように助かるかもしれない。
「カブトさん! こっちへ!」
二人で逃げるべく、カブトさんに向かって声の限り叫ぶ。カブトさんは一瞬だけ動きを止めたけど、すぐに私のところに戻ってきてくれた。このまま二人で穴に入れば、ドラゴンから逃げきれるかもしれない。あの時みたいに……
でもカブトさんの動きが遅くて、それに気づいたドラゴンもこちらに向かって歩いてくる。このままではカブトさんと一緒に逃げるうちに追いつかれる可能性が高い。魔法で牽制したいけど、魔力がほとんど残っていないので対抗手段が無い。
「え? カブトさん? 何を?」
カブトさんが突然私の身体の下に角を滑り込ませた。一体何を考えているのかが分からずに混乱していると、カブトさんは角を跳ね上げて私の身体を放り投げた。カブトさんの力で投げられた私の身体は軽々と宙を舞い、穴の中へと転がり込んだ。痛む身体を何とか起こして穴の中から外を見れば、私の無事を確認したカブトさんが踵を返してドラゴンへと突進していく様子が見えた。ドラゴンはしつこく食い下がるカブトさんに痺れを切らしたらしく、その口に強力なエネルギーを集め始める。これは……ブレスの前兆だ。
「カブトさん! 早くこっちへ! ブレスが来ます!」
「……」
私の必死の叫びにもカブトさんは従うことなくドラゴンに向かってゆく。いつもは私の指示には絶対に従うのに、どうして今この時に言うことを聞いてくれないの? このままだとブレスを吐かれて……
そこで私はようやく気付いた。私と一緒に逃げれば、ドラゴンのブレスに焼かれて二人とも死んでしまうけど、カブトさんが自分に注意を引きつけている間は私に攻撃が向かうことはない。だからカブトさんは私をここに投げ飛ばしたんだと。そして万全を期すために再びドラゴンに向かって行ったんだと。
『ガァァァ!』
「カブトさーーーーん!」
ドラゴンのブレスはカブトさんを直撃せず、身体の右側を焼くに留まった。三本あった右側の脚は一本が完全に焼け落ちたけど、残る脚で尚も突進する。頑強な甲殻は所々が焼け焦げているけど、それでも歩みを止めない。ドラゴンもカブトさんがここまでしぶといとは考えていなかったと見えて、ブレスによる攻撃を諦めて直接攻撃に移行した。大きな顎がカブトさんを軽々と咥え上げ、勢いよく噛み砕いた。
「あ……ああ……」
バリバリと音を立てて噛み砕かれるカブトさんの姿を私は茫然と眺めていた。カブトさんが噛み砕かれ、ドラゴンに嚥下されていく姿を座りこんで見ていることしかできなかった。カブトさんの次は私……そう思った時、私の頭に何かがぶつかった。黒光りするそれは、カブトさんの角の先端だった。噛み砕かれた時に口から零れたものがここまで飛んできたのだろう。そしてようやく私は我に返った。
カブトさんは何のためにドラゴンに向かって行ったのか。勝ち目なんてあるはずもないのに、どうして突進していったのか。それは私をここから逃がすためだ。二人一緒では逃げきれないなら、どうしても勝てないのならせめて私だけでも逃げ切らせようという、カブトさんの命がけの思いを無駄にすることはできない。
「カブトさん、一緒に行きましょう」
カブトさんの欠片をきつく抱きしめると、私は暗闇のほうへと走り出した。体力も魔力もほとんど残っていないけど、喉も乾いてお腹もすいているけど、それでも走った。ドラゴンが追いかけてきているかどうかの確認なんてしない。そんなことをしている余裕があるなら僅かでも前に進む、その思いだけが私の身体を動かす。
どれほどの距離と時間を走ったかなんてわからない。それでも構わずに身体に鞭打って走り続ける。私が立ち止まってドラゴンに追いつかれれば、カブトさんの命はまったくの無駄になってしまう。それだけは絶対に嫌だ、カブトさんの命を無意味なものになんて絶対にしない。
やがて前方に小さな光が見えた。そして感じるのはあの世界の気配。あれだけ疲れ切った身体に自然と力が漲り、足取りは軽くなっていく。次第にその光は大きくなり、ついには私の身体を包み込んだ。そして……
「ワン! ワンワン!」
「チャチャ……さん……チャチャさん……うわああああああああ!」
私のことをいつも優しく守ってくれていたチャチャさんの姿を見た時、私はついに感情を抑えきれなくなって泣き出していた……
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