9.再び
「カブトさん、大丈夫ですか?」
「……」
カブトさんは相変わらず何も言わずに私の傍でじっとしている。街を出てから三日目、私たちはあのダンジョンの最奥の部屋にいた。最果ての森を目指そうとした私たちだったけど、ベーカーの私兵の動きが予想以上に早く、道は全て塞がれていた。何とか突破したけれど、増援を呼ばれたせいで戦闘が多くなってカブトさんの動きが明らかに悪くなった。
「花の蜜でも採りにいければいいんですけど、今外に出るのは危険ですから……ごめんなさい」
「……」
私が謝ると、気にするなとでも言うように身体を優しく擦りつけてくる。ソウイチさんたちに用意してもらったカブトさんの食事はもう底をついてしまっていた。本当なら花の蜜や木の蜜をたくさん集められるはずだったのに、それもできない今の状況ではカブトさんはどんどん弱っていくだけ。
ベーカーの私兵たちは私がこのダンジョンに逃げ込んでいることをまだ知らない。このダンジョンについてはギルドにも報告してないし、冒険者たちがここを突き止めるにはまだ時間がかかるはずだけど、この周囲を徘徊してるのはわかってる。無闇に外に出て見つかるわけにはいかないんだ。彼らがここを離れるまではこうして息を潜めているしかない。
「カブトさん、帰りましょうか。ソウイチさんのところへ」
「……」
ついそんな言葉が零れる。フラムのところまで戻れれば安心だけど、少なくともこのダンジョンから十日くらいはかかる。何も食べていないカブトさんではそこまで耐えられないかもしれない。カブトさんはその巨体を維持するためにたくさん食べなきゃいけないんだけど、昨日から何も食べてない。だったらここからソウイチさんのところに帰ったほうがいいかもしれない。だけど……
「どうして穴が開いてないの……」
私たちが出てきた時、なぜか穴は消えていた。いずれ開くだろうと思っていたけど、そんな気配もない。ただ埃っぽい岩肌があるだけのダンジョンの最奥の部屋でカブトさんと二人きり、最悪の想像が頭をよぎる。
このままカブトさんが動けなくなってしまったらどうしよう。一人きりのところをベーカーの私兵に見つかってしまったらどうしよう。私の持ち物について拷問されたらどうしよう。そんな考えが頭の中を駆け巡る。ソウイチさんたちのことは絶対に秘密にしなきゃいけない。でも拷問にかけられたら、話してしまうかもしれない……
「ダメ……それだけは絶対にダメ……あんなに良くしてもらったのに、迷惑かけられない……」
いつ再び開くのか全くわからないあの穴を待ち続けるということは、私の心に重い負担を強いていた。前向きで明るい未来など欠片も想像できなくなってしまうほどに……
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「カブトさん、こんなものですけど食べてください」
「……」
ポーチの中に入っていたクッキーを水で溶かしたものを差し出せば、カブトさんが弱弱しい動きで食べ始める。こんなものじゃお腹の足しにもならないかもしれないけど、何か食べてもらわないと本当に死んじゃう。少しでも食べて何とかこの場を乗り切って、そして穴が再び開いたらソウイチさんたちのところへ帰るんだ。私のことを待ってるだろうフラムには申し訳ないけど、今の私たちじゃあなたのところへ行くのは無理みたいだから。
今のクッキーが最後の食べ物。もうこれで後がない。でも待つしかない、再び穴が開くその時を。
「カブトさん、ごめんなさい。私のせいでこんな苦しい思いさせて。でももう少しだけ頑張りましょう」
「……」
「どうしましたか?」
食べている途中でカブトさんが動き出す。まるで私を押しのけるように動くカブトさんは私の疑問に答えることなく動き続けるけど、一体どうしたんだろう。何かから遠ざけたいみたいだけど……
「……あれ? この感じは……」
今までとは異なる感覚にふと岩壁を見れば、ソウイチさんのところで見たのと似たような魔力の渦があった。でもその渦の動きはあの時よりもはるかに速く、私たちが通り抜けられる大きさになるまで時間はかからないように思えた。
「カブトさん! もうすぐ穴が開きます! 帰れますよ!」
「……」
助かる。その嬉しさに声が弾む。だから大事なことを忘れていた。最初にここからソウイチさんのところに行った時、この場に何が存在していたのかを。圧倒的なまでの力を有した、この世界の最強の一角を。
カブトさんは私の声に反応することなく、周囲を警戒するように歩き回る。そして突然歩みを止めると、再び私のところに戻ってきた。カブトさんの行動が理解できなくて困っていると、それは突如現れた。強固な鱗に身を包んだ、巨大な翼を持つ異質の存在。
「ど、どうしてこんな時に現れるのよ!」
そんな愚痴が思わず口から零れだす。何故こんなタイミングで現れるのか、まるでどこかでずっと眺めていて、ここぞの時を待っていたかのようにそれは現れた。圧倒的なまでの威圧感を振り撒きながら、それは私とカブトさんを見据える。その金色の瞳からは何を思っているのかを推し量ることはできない。
かつて遭遇した絶望の象徴、ドラゴンが再びこの場に現れた。
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