7.異変の始まり
「どうしてこんなことになってるの……」
街の至るところで冒険者たちが騒ぎ立てているのに、何故か街の秩序を守るはずの騎士団が出てこない。何がなんだかわからないけど、少なくともこの状況が私にとって決して好ましいものじゃないことくらいはわかる。カブトさんと街の外を目指しながらそんなことを呟くけど、誰も答えを返してくれない。
「ここは任せろ! お前は街を脱出しろ!」
酒場の親父さんが大斧の柄で冒険者の少年たちを失神させながら叫ぶ。それだけじゃない、元冒険者の人たちが総出で私の脱出路を確保してくれている。もちろん私も応戦しているけど、出来るだけ大きな怪我をさせないようにしなきゃいけないのがとても厄介だ。
「門は確保した! 右手方向が薄いからそこから行け! その魔獣なら突っ切れるだろ!」
「わかりました! カブトさん、右手方向に回り込んでください!」
誰かの言葉に了承の返事を返すと、カブトさんに指示を出してそちらに向かえば、数人の若い冒険者たちに指示を出している男がいる。冒険者の顔は大体覚えているけど、あの男は見覚えがない。見る限りでは質の良い装備を身に着けているのでどこかの貴族の私兵なんじゃないかと思うけど、今はそんなことを確認してる場合じゃない。
「カブトさん! 行ってください!」
風魔法で冒険者たちの攻撃を弾きながらカブトさんに指示を出す。カブトさんは了承の返事代わりにすぐ近くにいた冒険者を角で投げ飛ばすと、その集団に向かって進んでゆく。風魔法で守られたカブトさんの巨体による突進は凄まじいまでの迫力で攻撃を弾き、その威容に怯えた冒険者たちが我先にと逃げ出すが、指示を出していた男がその様子に激昂しているのが見えた。
「お前ら何をしてる! さっさと捕まえろ!」
「あんなの無理だ! 敵うわけない!」
冒険者たちの後ろに隠れるように声を張り上げる男。だけど冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまい、一人取り残された男は半ば自棄になったように剣を抜き放ってカブトさんに斬りつけるが、カブトさんの頑強な装甲に呆気なく弾かれる。
「貴様! ベーカー家の騎士である俺にこんなことを……」
「邪魔です!」
渾身の一撃が全く効かないことに驚いた男が腰を抜かしてへたり込みながら叫ぶけど、そんなものに耳を傾けている場合じゃない。カブトさんの角で投げ飛ばされた男は最後まで言い切ることが出来なかったけど、やっぱりベーカーが絡んでいるみたい。でも……もうそれも関係ないことだけど。
「いいぞ! 早く行け!」
「ありがとうございます! この御恩は忘れません!」
大きく開かれた街の門をくぐり外へ出ると、平原に夜の闇が広がる。だけど夜が得意なカブトさんは欠片程の躊躇いも見せずに歩いてゆく。追手も夜の追跡が危険なので来る気配もなく、カブトさんと二人きりで夜の闇を進む。目的地は……最果ての森だ。
「途中にあのダンジョンがありますから、そこで休憩しましょう」
「……」
カブトさんも疲れていると思うけど、今は休むべきじゃない。少なくともあのダンジョンまで行けば僅かばかりの休憩が取れるはず。カブトさんの背中で揺られながら、どうしてこんなことになったのかを改めて思い返す。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろ……」
疲れた身体に鞭打つようにして、今日起こった出来事を振り返ることにした……
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今日も酒場の一室で目を覚ました後、朝食を食べてから鍛冶屋と素材屋に顔を出すつもりだった。剣を盗まれたとはいえ、まだほかにも武器はあるし、それを見定めてもらわなきゃいけない。素材に関しても預けてあるけど、それをいくらで売るかの交渉もある。素材屋の話では裏市場に出したイタチの毛皮は即座に買い手がついたらしく、その売り上げも貰いに行く必要もある。今まではパーティの買い取り関連はギルドに一任するか、もしくは交渉事の得意なカルアが引き受けてくれていた。でもこれからはこういう雑務もこなしていかなきゃならないのかと思うとちょっとだけ気分が沈む。
朝食に出された野菜の煮込みを食べていると、突然酒場の扉が勢いよく開かれた。でも酒場はまだ営業時間じゃないし、親父さんが頼んだ食材の運び人でもない。そもそもこんなに勢いよく扉を開く意味がない。見れば使い古された革鎧に身を包んだ年若い冒険者が数人、きっとまだランクの低い駆け出し冒険者だろう。駆け出しの頃は新品の装備を整えるお金もなくて、他の冒険者の使い古しを安く譲ってもらうことがほとんどだから。
「いたぞ! シェリーだ!」
冒険者の一人が私を指さして言うや否や、そのまま店内に入ってきた。私に用事があるみたいだけど、その目は単なる相談事じゃないことは明らかだ。それにどう見ても年下なのに呼び捨てってどうなのかな? 君たちより絶対に年上だし、ギルドのランクだって高いんだよ?
「見つけたぞ! これでお宝は俺たちのものだ!」
「は?」
何を言ってるんだろうか? お宝って何? どうして彼らが私を探してるのかもわからない。何がどうなってるの?
「お前のポーチを寄越せ!」
私の目の前に来るなり剣を抜いて凄む若い冒険者たち。だけどその程度じゃ私を怯えさせることはできないよ? 剣を抜く仕草、目線、足捌き、体捌き、纏う空気、そして持つ武器の強さ、さらに言えば剣を向ける相手の力量を見抜く力。冒険者として必要なものを駆け出しの彼らは持ってない。そんなことで今の私を怯えさせることなんて無理。
あのイタチの動きは私の想像を遥かに上回っていた。魔法を避けて躱すという信じられない身体能力を前にして、私は死を確信した。チャチャさんがいなければ今ここに私はいない。ゴキブリは攻撃力こそ高くないけど、その敏捷性は目を見張るものがあった。そしてイノシシ、圧倒的な巨躯と突進力を併せ持つ獣はこの世界に現れれば街ひとつくらい容易に滅ぼすだろう。
それに比べれば目の前の冒険者なんて何の力も持たない雛鳥くらいにしか脅威を感じない。これはきっと巨人の世界で経験したことが私の力になっているからだと思う。その私が彼らに負けるはずがない。負けていいはずがない。
『風よ……』
「うわっ!」
風の魔法を使えば呆気なく吹き飛んでいく冒険者たち。だらしないことに、思い切り手加減した今の魔法で失神している冒険者もいる。そんなことでよく私に剣を向けようなんて思ったのかが知りたくなる。どうして私が持っているポーチを狙ったのかということも。
「くそ! 覚えてろ……」
「仲間を見捨てて逃げるなんざパーティ組む資格は無ぇな」
ただ一人失神しなかった冒険者が逃げ出そうとするけど、それは叶わなかった。突如入口に現れた人影が丸太のような腕を振るうと、その冒険者は膝からその場に崩れ落ちた。現れた人物は店内の冒険者たちを一瞥すると、安堵の息を吐いた。私に朝食を出した後に外出していた親父さんは、やや息を荒くしている。一体何があったんだろう?
「良かった、無事だったか」
「何が起こってるんですか? いきなり襲われましたけど?」
「いいか、落ち着いて聞けよ」
親父さんは私をじっと見つめながら、息を整えるように深呼吸を繰り返してから静かに言った。
「ギルドがお前を手配した。お前はこの街の冒険者に狙われてるんだよ」
「は?」
親父さんの言葉は私の全く想像していないものだった。思わず手にしたスプーンを落としてしまい、床に落ちる音が店内に響くくらいの静寂が訪れた。
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