帰還?
幕間です。
「カブトさん、大丈夫ですか?」
「……」
一切の光などない暗闇の中、硬い鎧の感触に安心感を覚えていたシェリーはずっと歩き続けるカブトさんを気遣うが、カブトさんは視力が意味を為さないこの状況でも迷うことなく進み続けている。ソウイチに聞いた話ではカブトさんは匂いに敏感に反応するとのことだったが、ではなぜカブトさんが全く知らないはずのシェリーの世界の匂いを感じ取っているのかはシェリーにはわからない。ただカブトさんがシェリーのことを護ってくれていることだけは理解できたが。
一体どれほどの時間が経過しただろうか、暗闇の中に若干色褪せた部分が生まれ始めた。それはかつてシェリーが味わったことのある感覚で、心優しい人たちに出会うこととなった出来事と非常に似ていた。その人たちの笑顔が脳裏に浮かび、思わず零れそうになった涙を咄嗟に袖口で拭う。
「いけませんね、こんなんじゃ皆に笑われちゃいます」
シェリーは改めて心に思う。自分が強くならなければ、自分の行方を必死に探してくれているであろう仲間たちに、そして自分の無事を、これからの幸福を願って送り出してくれた『家族』に申し訳が立たない。そのためにはこんなところで泣いていてはいけないと自分を奮い立たせて闇が薄くなっている場所を見つめる。
闇は次第にその勢力を弱め、それに伴い光の強さが顕著になる。そして漂ってくるのは何度も夢に見た自分の世界の魔力の気配。間違いなく進む先には自分の目指している場所だと確信したシェリーは、自分の心が弾むのを抑えきれない。
「ああ、みんなが私のことを見たらどう思うかな? きっとカブトさんの格好良さに驚きますよ!」
はしゃぐシェリーを乗せたままカブトさんは暗闇を進む。そして暗闇が完全に晴れた時、シェリーは自分の記憶の中にあった存在を忘れていたことを思い出す。自分がソウイチ達に出会うことになった最大の要因、この世界において絶対的な強者の一角と出会った時のことを。自分の世界に戻れる喜びで心が埋め尽くされていたため、最も重要なことを忘れていたのだ。
「そうだ! ドラゴン! ドラゴンがいます……あれ?」
周囲には古ぼけた岩の壁、見上げればはるか高くに青い空。何もない広い部屋がシェリー達を出迎える。如何なる生き物も存在していないダンジョンの一室が。確かにあの時罠にかかった部屋ではあるが、その様子はシェリーの記憶にあるものとは異なっていた。そして最も衝撃的だったのは……
「穴が……消えてる?」
つい今しがた自分たちが出てきたはずの穴が消えている。そもそもその穴が魔法的な何かであることはシェリーも感じてはいたが、それでも目の前にある光景は尋常ではなかった。そこにあるのは岩の壁、もっと詳しく見れば、一部に苔が生え、触れれば埃が立つほどであり、誰かが触れた形跡は見られない。想定外の事象に混乱するシェリーをカブトさんが角で優しく窘める。
「はっ……そうでした、まずはここから出ないと。いつドラゴンが来るかわかりません……カブトさん、この扉通れますか?」
「……」
たった一つの出口である扉はシェリーならば余裕だが、カブトさんが通るには少々小さすぎた。それを理解したのか、カブトさんは扉ではなく壁際へと向かった。足の鋭利な鉤爪を岩へと食い込ませ、垂直な岩肌を何の苦もなく登ってゆくカブトさんは、少し上ったところで停まった。
「私が乗っても大丈夫ですか?」
「……」
喋れないのでその真意はわからないが、動かないことを了承と受け取ったシェリーはカブトさんの小さな角にしがみつく。するとカブトさんはシェリーに負担がかからないようにゆっくりと岩肌を登り始めた。そしてついにドラゴンと遭遇することなくダンジョンの外へと出たのである。
出た先は山の頂上とおぼしき場所、眼下にはダンジョンのある森、平原、そして遠くには街を取り囲む壁のようなものが見えた。シェリーにとっては忘れたくても忘れられなかった懐かしい光景が、以前と変わらぬままそこに存在していた。きっとその中には、心を許した仲間たちがいるはず。自分の帰りを待っているはず。そう思うと、もうじっとしていることなど出来なかった。
「カブトさん、あそこが私の街です! 急いで向かいましょう! 皆にカブトさんのことを紹介しなきゃいけませんからね!」
興奮冷めやらぬシェリーの指示に従い、山林を下りてゆくカブトさん。木々が邪魔になることはあるが、その自慢の怪力でなぎ倒しながら進む。途中で狼の魔物やゴブリンが襲ってくることもあったが、皆カブトさんの大角ではるか彼方に投げ飛ばされていった。カブトさんもシェリーの喜ぶ姿が嬉しいらしく、街までいけばもっとシェリーが喜ぶと認識したようだ。
「カブトさん凄いです! こんなに強いなんて!」
「……」
カブトムシにも天敵は存在するが、それはあくまで自分より遥かに大きな獣の類である。例えば狐、狸、そして猛禽類、イタチなどの小動物であるが、少なくとも自分と同じくらいの大きさの昆虫では相手にならない。襲い掛かってきたのはシェリーの身体よりやや小さな魔物ばかりで、カブトさんにとっては雑魚同然である。
魔物たちが襲撃してきた森を抜け、平原を進めば徐々に大きくなる街の壁。次第に大きくなってゆく懐かしい光景にシェリーの心は弾む。
「カブトさんの強さを知ったら皆驚きますよ! 皆喜んで仲間に入れてくれるはずです! だって誰もこんな強い魔獣を従えたことなんてないでしょうから!」
街へと続く道を悠然と闊歩すれば、旅人や商人はもちろん、屈強な冒険者らしき者までカブトさんの威容に恐れを抱いて道を開ける。その様子が騎乗しているシェリーにとっては爽快で堪らない。強い魔獣を従えることは冒険者としてのある種のステータスであり、それだけの存在を屈服させる実力を持つか、或いは心を通わせた証となる。何度も昇格審査に落ちているシェリーにとって、カブトさんを従えるということはギルドでも認められるに相応しいとさえ思っていた。
「もうすぐ門です、皆驚きますよ」
指示を出せば、カブトさんはそれに従い進む。そして門へと入ろうとした時、それは起こった。斥候として状況判断能力が問われるシェリーにしてはあまりにも迂闊なミス、だがようやく自分の世界に戻ることが出来た彼女に冷静でいろということが無理な話だ。だから誰もカブトさんのことを知らないという初歩的なことすら見落としていた。
「貴様! その魔物は何だ!」
門の横の詰め所から一斉に飛び出してきた門番たちがカブトさんに向けて槍を構える。だがそれも当然のこと、全く見たことの無い屈強そうな魔物が現れたのだから。そして騎乗しているシェリーは皆の共通認識ではダンジョンで死んだことになっているのだから。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私はシェリーです! アキレア王国冒険者ギルドの銀級冒険者です!」
「嘘をつけ! 冒険者シェリーは死んだと聞いている!」
「……は?」
シェリーはいきなりのことでしばらく思考が停止していた。そして門番が彼女の身に着けていた登録証に気付き、ギルドに報告してくれたおかげでようやく入国できたのだが、その時には既に日が暮れていた。しかし彼女はまだ知らない、もうここには彼女が思い描いていた仲間がいないということを……
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