8.決意
「もういいから……わかったから……そんなに泣かないでよ……」
「だって……だって……うわあああぁん」
泣きじゃくるシェリーを宥める初美もまた泣きそうになっているが、二人で泣き出しては収拾がつかないことを知ってか、必死に涙をこらえている。
シェリーの話した内容は、俺にとっては理解の範疇をはるかに超えるものだった。泣きながら話したことを要約すると、やはりあの穴の奥がシェリーの世界とつながっていたのは間違いなく、今はその予兆ともいうべき魔力の収縮が始まっているらしい。ただしそれが通り抜けられるほどの穴になるにはまだ時間がかかるらしく、シェリーの見立てではおよそ十日くらいはかかるんじゃないかとのこと。
「……馬鹿野郎、あと十日も苦しむつもりだったのかよ」
「だって……皆さんの事が大好きで……悲しませたくなくて……」
「そんなこと言わないでよ……いきなりいなくなられたら、そのほうが悲しいよ……うわあぁぁん」
「ごめんなさい……ごめんなさい……うわあぁぁん」
ついに初美の涙腺が決壊し、収拾がつかなくなりはじめた。だがそれもお互いのことを家族として考えていたからこその別離の悲しみだ。かくいう俺も少々涙腺がやばいが、ここでまとめ役がいなくなれば問題の解決どころかただの先送りにしかならない。今口出しするのはさすがに気が引けるので、少し落ちつくのを待ってから話をするとしよう。
「すみません……もう落ち着きました」
「あのままじゃ話もできないからな。初美も落ち着いただろ?」
「うん、ごめん、お兄ちゃん」
ようやく泣き止んだ二人は酒の影響も抜けたようで、今は落ち着いている。さて、問題はこれからだ。
「穴が完全に開くまであと十日、それまでにどうするかを決めなきゃいけないわけだ。こればかりは俺たちが決められることじゃないんだが、シェリーの気持ちは決まってるんだろ?」
「……はい、私は戻ろうと思います」
この答えが出てくることは予想出来ていた。もしシェリーがこちらに留まるつもりなら、あそこまで悩むことは無かったはずだ。戻ることで俺たちと別れることを気に病んだからこそ、何も告げずに戻ろうとしていた。隠されていたことは少々複雑な気分だが、これも俺たちを傷つけまいとする思いやりが間違った方向に向いてしまったと思えばいい。
「やはり残してきた仲間が心配ですし、向こうでの活動の基盤もあります。皆さんには申し訳ありませんが……」
「気にしないでいいよ、私たちがもし同じような状況になったとしたら、帰りたいって思うはずだから」
「ハツミさん……」
ここでのシェリーの生活は心の底から快適では無かったと思う。というのも、他の誰かに見つかることを避けるために一人で家の中を出歩くことも出来ず、家の外などもってのほかだった。元々シェリーは冒険者、身体のサイズと比較すれば巨大なこの家でも、ずっと閉じこもっているのは精神的なストレスを感じていたに違いない。
そして何より、この世界にはシェリーの仲間がいない。どんなに理解しあえたとしても、根本的な種族の違いは避けられない。お互いの歩み寄りで価値観の齟齬は少なくなってきたとはいえ、完全なる理解者になることはできない。その立ち位置にいるべき者はこの世界には存在しないのだから。
「となれば基本方針は決まりだな。穴が空いてる時間がどれくらいかはわからないんだろ?」
「はい、開ききった状態の安定具合で判断しますから」
「ということは、定期的な状態の把握は必須だな。戻る前に穴が閉じるなんて笑い話にもならない」
「かといって魔力の渦なんてアタシたちには見えないからね、この役目は必然的にシェリーちゃんが受け持つことになるけど、いいの?」
「はい、ああいう類のものは一気に大きくなることは稀です。時間をかけてゆっくり拡げないと安定しませんから」
「そうか……忙しくなりそうだな」
「ワンワン!」
「チャチャさんもお手伝いしてくれるんですね……ありがとうございます」
「ワン!」
茶々が自分を蚊帳の外に置くなとばかりに吠える。茶々もうちの大事な家族であり、常にシェリーのことを見守り続けていた。詳しいことまでは理解できていないだろうが、なんとなくだがシェリーが旅立つことを把握してるようだ。しきりにシェリーの涙を舐めているのは茶々なりの励ましのつもりなのかもしれない。そんな茶々の顔をシェリーが優しく撫でている。シェリーにとっても大事なボディガードだったのだから、その労をねぎらっているのだろう。
シェリーがいなくなった後の我が家はどうなってしまうのかを考えると、胸が締め付けられる。だがこればかりは俺たちの我儘を押し付ける訳にはいかない。シェリーとて待ち望んだ帰還であり、彼女なりにとても悩んだのだから、俺たちに出来ることはシェリーが笑顔で戻れるようにするだけだ。そして俺たちも笑顔で見送れるように頑張らないといけない。皆が笑顔で終われることが一番良いのだから。
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