3.価値観
「じゃあやっぱり砂糖って貴重品なの?」
「はい、貴族くらいしか使いませんね。平民は麦から作った甘い汁を甘味に使います。それと貴族が使う砂糖はここのものみたいに白くないです。もっとこう……土みたいな色です」
「麦を使ってるってことは麦芽水あめかな? それと土みたいな砂糖ってことは黒砂糖……いや、キビ糖よりてんさい糖のほうが近いかな?」
「それとこのスパイス類も貴重品ですね、この黒いのが本当にコショウならこれだけで一財産作れますよ」
ハツミさんに聞かれるがままに、私の世界の価値観で答えていく。目の前に並ぶのは砂糖やスパイス、ハーブ類。私のよく知るものもあれば、見たことのないものもある。ここに無いものはハツミさんの『ぱそこん』で大きな絵を映してもらって確認していく。
正直言って、砂糖がこんなに白いものだなんて思わなかった。ハツミさんの言うテンサイトウというものが近いような気がする。ハツミさんに見せてもらったサトウキビという植物は見たことがなかったし、テンサイという植物は似たようなものが極まれに見つかることがあるくらい。原料が少ないから価値も高いのは当然よね。
スパイスについても、実物を見るのは数年ぶりだった。そもそもスパイスは遠方と交易のある一部の豪商しか取り扱っておらず、当然のごとく貴族や王族にしか販売されない超貴重品だ。なのにソウイチさんは料理でたくさんのスパイスを使っていて、はじめは信じられなかった。実を言うと、後で高いお金を要求されるんじゃないかとか、もしかすると身売りを要求されるんじゃないかとか考えていた。それをソウイチさんに打ち明けた時は思い切り笑い飛ばされたけど、その時に初めてスパイスがごく当たり前に買える国だということを知った。それもパン等と大して変わらない金額で。
「塩も貴重?」
「塩は出回っていますけど、あまり良質なものは無いですね。土が混ざらないものは高価で手に入りません」
「それって山で採れる塩よね? となると海塩は無いの?」
「アキレアは海に面した国じゃないのでわかりませんけど、海に面した国では塩が容易に手に入るようです。アキレアでもそういった国々から塩を購入していますが、ほとんどは王族か高位貴族が購入しています。でもここの塩のように綺麗なものは無いと思います」
「それはたぶん製造方法の違いだろうね」
「塩にも色々あるんですねぇ……」
この世界に来てしばらく経つけど、未だに驚かされることばかり。塩の作り方なんて今まで考えたことも無かったし、そもそも海で塩が採れると知った時だって信じられなくて、親友のフラムと大喧嘩したくらいなのに、それがここでは当たり前のように知られてる。この家から海まではおても距離があるらしいのに、それでも塩が手に入るというのは私たちからすれば考えられないこと。
食べ物のことばかりじゃない、ハツミさんが使う『ぱそこん』という道具だってそうだ、ハツミさんは当たり前のように使っているけど、その情報量は王国の図書館を遥かに凌ぐ。一体どうすればあんなに小さな板にそれだけの情報を詰め込むことができるんだろう、もしかしたらあの板は伝説のアーティファクトなのかな?
「むしろアタシにとっては魔法に関するもののほうが驚かされるんだけど」
ハツミさんはいつもそういうけど、私にはその意味がよくわからない。生まれた時から魔法は当たり前のようにあったし、精霊の力だって感じることができたから、この世界に魔法が存在しないということのほうが驚かされる。これだけ技術が進んだ世界なのにどうして魔法が存在しないんだろう。
「この国でもはるか昔は呪術とか占術が国を動かす源になってた時代はあるし、完全にそういうものが存在しないとは言い切れないんだけど、でも少なくともアタシの知る限り魔法なんて無いのよ。胡散臭い紛い物はいくらでもあるけどね」
ハツミさんが言うには、人を騙すのに魔法っぽいものを信じ込ませることがあるらしい。魔法には必ず魔力が動くので、私が見ればそれが本物か偽物かはすぐにわかるだろうけど、魔法が無いこの国では真偽を見定めることも難しいんだろう。そして魔法が存在しない国だからこそ、それが魔法じゃないと証明することもできず、証明したところでそれが本当のことなのかすら判別できない。
「魔法という概念がないだけで、こんなに技術に違いが出るものなんですね」
「治癒魔法みたいなものもないから、一つの病気の治療法だけでも数えきれないほどの人命の犠牲のもとに成り立ってるの。ううん、病気だけじゃないわね。今アタシたちが便利に暮らせてるものは皆、先祖の犠牲のもとに成り立ってるってことを忘れちゃいけないのよ」
「そう……ですね」
そうだ、この世界が進んでいるのは魔法という便利なものが無いからこそなんだ。治癒魔法が無ければ、些細な病気でも死んでしまう。そんな恐怖を克服するために、長い年月をかけて工夫し続けた結果なんだ。志半ばにしてその生涯を終えた人たちの遺志を受け繋いだ結果なんだ。
「……そんなに深く考えることないよ、考え方の根底にあるものが違いすぎるんだから。それにさ、もしその考え方が間違っていたらここまで発展してないでしょ? シェリーちゃんのいた国だって滅んでないんだし」
「それは……考える必要が無いということですか?」
「アタシは学者じゃないから深いことは言えないけど、どちらが間違ってるかなんてわからない。というよりはどっちも正しいことなんだと思うよ?」
「……」
確かにこの世界はとても心地よい世界ではあるけど、かといって私たちがここに馴染めるかどうかは疑問に思う。それは以前見た死の世界のような光景。表情を失くした巨人たちが石の建物に吸い込まれていく光景は未だに背筋が寒くなる。ハツミさんはあの光景を受け入れているけど、私には無理だと思う。私たちには間違いだとしても、ハツミさんたちには正しいことで、これがどっちも正しいということなのかもしれない。
いつか元の世界に帰るとき、私は馴染むことができるのかを考えると不安になる。でも……きっと仲間たちに会えば、すぐに以前と同じような暮らしに戻ることができるはず。今のこの暮しの様子を、酒場で酒を酌み交わしながら、楽しい土産話として話すことができるはず。皆は私の生還を心の底から喜んでくれるはず。
でもそれはソウイチさんたちとの決別を意味する。確かに私は元の世界に戻るべきなんだろうけど、後ろ髪を引かれるような思いを抱くくらいには心の繋がりが出来ていると思う。そんな状態でどちらかを選ぶなんて私に出来るのかな……
本当はどちらかを選ぶなんてことはしたくない。欲張りだと指差されても、どちらも手に入れたい。だけど私はこの世界では異物にすぎなくて、元の世界には私の居場所があって……
「……シェリーちゃんは自分の幸せだけ考えてればいいのよ」
「ハツミさん?」
「アタシたちも出来ることならシェリーちゃんと一緒にいたいけど、それが叶わないことだっていうのは理解してる。だってシェリーちゃんが伸び伸び暮らせるのは元の世界でしょ? であればシェリーちゃんが自分らしくいられるほうがいいから……」
「……はい」
ハツミさんの言葉は私の心の迷いを見透かしたかのようだった。ううん、きっと見透かされてる。ここでの暮らしは快適だけど、でも私は独りきり。そのせいで夜更けに涙を零したことは何度もある。うまく隠したつもりだったけど、しっかり見抜かれていたみたい。だから……私のことを考えて言ってくれたんだ、私たちのことは気にしなくていいよ、って……
やっぱりここの人たちはとても優しい。私が苦しまないように、優しく導いてくれる。だからこそ、ありえない想像をしてしまう。そんなことは絶対に起こるはずのない、荒唐無稽な想像を。
読んでいただいてありがとうございます。




