5.よろしく
三話目です。
「お、おいひい……おいひいれす……」
饅頭の茶色い皮の部分をもしゃもしゃと食べるシェリー。とりあえずすぐに用意できるものと言ったらそれしか無かったので仕方ない。一応食べかけだということは前もって言っておいたが、特段気にした様子はない。
「そんなこと気にしてたら冒険者なんてやってられませんよ! この黒パン、なんでこんなに柔らかいんですか!」
そんなことを口にしながらひたすら饅頭の皮を食べるシェリー。冒険者というものがどんな職業なのか分からないが、かなり過酷な環境で活動する仕事だということは着ているものの草臥れ具合でおおよそ理解できる。
「ワン! ワン!」
「おお、茶々も欲しいか」
饅頭の餡子の匂いに我慢できなくなったのか、茶々がしきりに催促してくる。茶々が吠える度にシェリーが身体をびくつかせているので、シェリーの精神的安定を優先するために茶々に餡子をあげることにする。本当はいけないことなのだろうが、茶々の普段の運動量から考えればこのくらいは許容範囲内……だと思う。
「あの……ソウイチさん、チャチャさんは泥を食べるんですか?」
「泥? これは餡子、豆の一種を砂糖で煮詰めたお菓子だよ。茶々はこれが大好きなんだ」
俺の目の前でお座りして尻尾を振る茶々の姿を見てシェリーが怪訝そうな顔をする。確かに泥と言われれば泥にしか見えないかもしれないが……
「砂糖? ソウイチさんは貴族様なんですか?」
「へ? ただの農家だけど?」
「ノウカというものが何かはよくわかりませんが、砂糖ってあの甘いのですよね? そんなの王国の貴族くらいしか口にできませんよ?」
「じゃあ食べてみるか?」
「えー……」
がふがふと餡子を食べる茶々と、俺の指先についている餡子を何度も見比べながら顔を引きつらせるシェリー。その顔は罰ゲームでゲテモノ料理を食わされることになった若手芸人のようだ。そんなに嫌なのか? この饅頭はグルメサイトの評価も高い店のものなんだが……
「……毒ではなさそうですね」
「……毒だったら茶々があんなに喜ぶはずないだろ?」
「ワンワン!」
俺たちの会話を聞いていたのか、茶々が抗議するとばかりに吠える。ポメラニアンは三歳児くらいの知能があるという話を聞いたことはあるが、こういった一面を見るともっと高い知能を持っているんじゃないかと思える。
「ほら、茶々も怒ってる」
「ひっ……ご、ごめんなさい……わ、わかりましたよ……食べますよ……」
半ば茶々に脅迫されるような形で恐る恐る餡子の塊に手を伸ばすシェリー。指先にちょっと取ってはみたものの、その感触に顔を引きつらせている。
「うう……泥よりも腐ったスライムみたい……」
「……スライムって腐るとこんななのか?」
俺が持つスライムのイメージは玉ねぎみたいな形に目と口があるような不思議生き物だが、あれが腐ると餡子みたいになるのか? 実物を見たら今後は餡子を食べられないかもしれない……
「!」
「どう?」
勇気を振り絞って、目を閉じて餡子のついた指を口に入れたシェリーは一瞬間をおいて大きく目を見開いた。俺、茶々、餡子の順に何度も見つめ、ようやく口を開いた。
「あ、甘い!」
そこから先は俺の予想を遥かに上回る勢いで餡子を食べ始めた。茶々と一緒に競い合うように、半分ほど残っていた饅頭の餡子のほとんどを食べつくしてしまった。だがおかげでシェリーもやや落ち着いたらしく、今はペットボトルのキャップで水を飲んでいる。小さなキャップだがシェリーが持つと優勝力士の持つ大盃のように見えてしまうが、シェリーが持てるような食器なんてうちには無いので我慢してもらおう。
「こんなにたくさん甘いお菓子が食べられるなんて……巨人の国はとても豊かなんですね」
「巨人の国?」
「はい、だって二ホンなんて国知りませんし、私の知る巨人族はもっと小さいです。それに……その……巨人族は腰布くらいしか身に着けていないので……だからきっと巨人族とは違う巨人なのかと……」
どうやらシェリーの知る巨人族というのは裸族に近い種族のようだ。俺もこれから風呂上りに下着一枚でうろつくのを控えたほうがいいかもしれない。いや、そんなことより大事なことがある。居間の壁に未だ開いてる大穴だ。シェリーがここから出てきたのなら、ここから戻れるっていうことなのか?
「ところで、シェリーはその穴から戻れるのか?」
「それが……たぶん無理だと思います。ドラゴンの気配がないということは……完全につながりが断たれたのかもしれません……」
そう言ってしょんぼりと顔を伏せるシェリー。自分で言って改めて事の重大さを再認識したのかもしれない。
「……こういう事例って過去には無かったのか?」
「……言い伝えでは何年かに一度こういうことがあるとは聞いていますが、その周期も、どこに繋がるのかさえわからないので誰も信じていなかったんです。私もようやく思い出したくらいですから」
「……じゃあ方法は……」
「たぶんいずれ繋がるとは思いますけど……それがいつになるのかまでは……」
シェリーがどこから来たのかは分からないが、少なくともこの地球上にドラゴンや巨人族といったものが存在していない以上、俺たちの認識のはるか外れた場所から来たのは明らかだ。そもそもこんな小さな人間、おとぎ話の世界にしか出てこない。
次第に声が消え入りそうなほど小さくなる。自分の今後のことを考えれば決して楽観的な考えに行き着くことはない。何故シェリーが日本語で話しているのかは分からないが、言葉が通じるとしても、全く知識のない彼女がまともに生きていくことすら危うい。この近辺には野犬や野良猫はもちろんタヌキやイタチ、果てにはアライグマなども出没する。最近は目撃情報こそないが、ここいらは熊の生息域にもなっている。寝室の押入れの奥にある金庫の中にあるものがそれが事実だということを証明している。
攻撃の意思を持っていなかった茶々にすら怯えていた彼女では、この家から出た途端に捕食対象になるのはほぼ確実だろう。それを薄々感じているのか、しきりにこちらの様子をうかがうような視線を向けてくる。
確かに全く知らない場所でたった一人きりという不安は理解できなくはない、俺も一人暮ししていた頃、知人が一人もいない場所で不安に苛まれた記憶があるからな。だからこちらから助け船を出してやろう。
「あ、あの……とても言いにくいんですけど……お願いが……」
「あー、帰る目途がつくまでここにいていいよ」
「実はここに……え?」
こんな小さな人間がいるなんて知れたら大変なことになる。場合によっては研究機関で実験動物扱いなんてこともあるかもしれない。でもここにいれば他人に見つからないようにすればいいだけだし、俺が口外しなければいい。まぁ協力をお願いしようとしている人物は一人だけいるが、そいつは間違いなく秘密を守るはず。それにこの家なら俺が畑に出ている間は茶々がいるから大丈夫だ。
「どうせ行くアテもないだろうし、外には危険な動物も多い。でもこの家にいれば茶々が追い払ってくれる」
「……いいんですか?」
「元々一人でも部屋を持て余してたから、今更ちっさいのが増えたところでどうってことないさ。食費はまぁ微々たるもんだろ」
「……ありがとうございます」
「ま、色々と戸惑うことは多いと思うけど、その都度話してくれればいいから」
深々と頭を下げるシェリー。流石にこんな小さな人が使う道具なんてないし、色々と面倒ごとも多くなりそうだがどこか嬉しい部分もあったりする。茶々と一緒の生活が嫌になった訳ではないが、誰かの声がする暮しに飢えていたのかもしれない。
「まずは協力者に連絡するとしようか……その為にはネタが必要だな」
ネタさえあればあいつは絶対に動くはず、そしてシェリーが不利になるような行動は絶対にとらない。俺が良く知るあいつなら絶対に、だ。そう確信しているからこそ、この方法は危うい賭けなどではなく、確実な手段として成り立つ。
ようやく安心したのか、嬉しそうな顔で茶々に顔を舐められているシェリーを見ながらスマートフォンを握りしめた。
明日も複数話更新します。