9.騎乗
「カブトさん、今夜もありがとうございました。後はお食事してゆっくりしてください」
「……」
見回りから戻って労いの言葉と共にカブトさんの食事を用意すれば、すぐに寄ってきて食べ始める。相変わらずカブトさんは無表情なので喜んでいるのかどうかはわからないけど、嫌がってはいないと思う。でなければこんなに大人しく従ってくれるはずない。もし私が従魔師だったらカブトさんの気持ちが読めるのかもしれないけど、従魔師としての勉強をする伝手がなかったのがとても悔しい。少しでも勉強しておけば、もっとカブトさんと絆が深められるのに……
「……カブトさん、ちょっと汚れてますね。身体を拭きましょう」
日中は物陰で寝てるせいか、身体のあちこちが埃で汚れてる。ソウイチさんが言うにはカブトさんはお風呂に入れないし水浴びも苦手だということなので、よく絞って水気を切った布で身体を拭いてあげることにする。元の世界にいた時に馬の世話をしたことがあるけど、その時のことを思い出していた。
「カブトさん、そっちの足をあげてください」
うまく拭けないのでちょっとお願いすると、カブトさんは黙って足をあげてくれる。刺々しい鎧をつけたような足は僅かでも触れれば肌が裂けてしまいそうな恐怖感を覚えたが、カブトさんはそんな私に気を遣うように、出来るだけ足を動かさないでいてくれる。次いでお腹、背中、そして頭、最後に立派な角を拭くと、カブトさんは姿勢を低くして止まった。相変わらず黒曜石のような瞳は何もかたりかけてこない。だけど言わんとしていることは何となくわかった。
「もしかして……乗っていいんですか?」
恐る恐る話しかけてみるけど、言葉を話すどころか鳴き声すらあげられないカブトさんは沈黙を守ったまま。だけど何となく拒絶は無いように思えた。従魔師ではない私の勘違いかとも思ったけど、カブトさんは姿勢を低くしたまま動かない。
「それじゃあ……ちょっとだけ……」
カブトさんの小さな角を掴んで背中に乗ると、カブトさんはゆっくりと歩き出す。その動きは乗っている私が振り落とされないように配慮されているようで、鋭い爪を床に食い込ませながら速度を上げることなく進む。もしかして私が慣れやすいようにしてくれてる?
「そうだ、ソウイチさんたちにも見せてあげましょう。カブトさん、そこを右に進んでください」
カブトさんは私の指示を間違えることなく、部屋を出ると右に向かった。行先は居間、たぶんまだソウイチさんとハツミさんがいるはず。カブトさんのこの雄姿をぜひとも見てもらわないと!
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「シェリーはどうした?」
「カブトさんと一緒に部屋に戻ったわよ。ずいぶんお互いの距離が縮まったみたいで、まるで子犬が飼い主についていくみたいだったよ」
「仲良くなれたならいいことじゃないか」
「それがさ、シェリーちゃんの夜の見回りって夜半までくらいでしょ? その後シェリーちゃんが部屋で寝てる間は部屋の前でじっとしてるのよ? 置いてある餌も食べないでさ、まるで門番みたいなのよ。カブトさんって本当にカブトムシなのかな? 何か違う生き物のような気がするんだけど」
「いや、あの見た目はどう考えてもカブトムシだろ。大きさや行動はわからないけどな」
煎餅を麦茶で流し込みながら、考え込むように話す初美。その横では茶々が眠そうな欠伸をしきりに繰り返している。シェリーとの見回りを終えて、そろそろ眠る時間だ。
確かにカブトさんは行動が理解不能なところがあるが、そもそも虫の行動原理なんてものが人間に理解できるとは思わない。もしかしたらシェリーが違う世界の人間だということが関係あるのかもしれない。何がどう関係あるのかは全くわからないが、そうとでも言わなきゃ辻褄があわないだろう。
「ま、アタシとしちゃシェリーちゃんが楽しそうだからいいんだけどさ。お兄ちゃんだってもう深く追求するつもり無いでしょ?」
「まあな」
初美の言う通り、最初はカブトさんのことを色々と考えていたが、正直なところを言えば「もうどうでもいい」という気持ちのほうが強い。わからないことだらけなのに、それを考えたところで新しい何かが見つかることはない。ならあるがままを受け入れたほうが楽だ。シェリーが楽しそうならそれでいい。そんなことを考えつつテレビで深夜のスポーツニュースを見ていると、不意にシェリーの声が聞こえた。もう寝てるはずじゃないのか?
「あ、ソウイチさん、ハツミさん、見てください」
「どうしたのシェリーちゃん、こんなに遅い時間に……」
声をかけた初美の言葉が途切れて沈黙が訪れる。聞こえるのはカチャカチャと硬い何かが床板に当たる音のみ。何の音かと声の方を見れば、そこにはシェリーとカブトさんの姿。だが……
「何それ可愛い! しまった! その発想はなかったわ! そうよ、カブトさんくらい大きければシェリーちゃんの騎馬に出来るじゃない! いや、騎馬じゃなくて騎カブトムシ? こうしちゃいられないわ、カメラカメラ!」
勢いよく立ち上がると自分の部屋へと駆け込む初美。しかしそんな初美にもカブトさんは驚くことなくシェリーを乗せてこちらに近づいてくる。カブトさんに乗って楽しそうなシェリーの姿は絵本から飛び出してきたかのようだ。
「ソウイチさん、カブトさんが乗せてくれました。どうです? 勇ましいでしょう?」
「……ああ、格好いいな」
はっきり言おう、凄く羨ましい。男なら誰しも少年時代に夢見たことがあると思う。飼ってるカブトムシを見ながら、もしこいつが大きくなったら乗れるんじゃないかと。それをシェリーは実践している。嬉しそうな顔がとても眩しい。
「お待たせシェリーちゃん! その勇姿を是非ともファインダーに収めさせて!」
「はい! お願いします!」
一眼レフにレフ板その他の撮影機材一式を持ってきた初美は息を切らしながらも機材のセッティングを始める。いつも撮影されているのでシェリーも慣れた様子でファインダーに収まっている。
「シェリーちゃん! こっちに目線ちょうだい! そこで剣を構えて!」
「はい!」
突如始まった深夜の撮影会、初美のノリ具合はいつもより激しいが、シェリーもそれに全く負けていない。それどころかカブトさんまでどこか誇らしげに見えるのは俺の目の錯覚か?
ちなみにその撮影会は明け方まで続いたらしい。俺と茶々は付き合いきれないので途中でリタイアしたが。
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