8.カブトさん
「あなたは一体何がしたいんですか?」
私を見つめる黒曜石のような瞳を持つ魔獣に向かって問かけるけど、魔獣はそれに答える様子はない。でも敵意や殺意のような魔獣特有の嫌な空気を纏った感情は感じ取れないので、たぶん大丈夫だと思うけど……チャチャさんみたいに身体で感情を表現してくれたら分かりやすくていいのにな……
この魔獣が来てから三日たったけど、私に攻撃してくることはなく、いつもそばにいた。部屋で休んでいる時は入口の横でじっと待っていて、私が出れば後ろについて歩く。ゴキブリ討伐の時にうっかりゴキブリに接近されたら、その角で追い払ってくれたりもした。もしかして本当に私のことを気に入ってくれてるのかな?
昼間は寝てるってソウイチさんは言ってたけど、この魔獣も日中は寝てるみたい。目を閉じている訳じゃないので本当かどうかはわからないけど、物陰の暗いところに入ってじっとしてるから眠っているんだと思う。
「カブトさん、お食事ですよ」
「名前つけたんだ、ずいぶん安直なネーミングみたいだけど……シェリーちゃんがいいならいいけどさ」
ハツミさんが買ってくれたカブトさん専用の食事を用意すれば、一生懸命舐めてる。その姿を見ればこの魔獣が肉を食べないんだって理解できた。三日も一緒にいれば私も慣れるし、慣れれば雛鳥みたいに後ろをついてくる姿が可愛らしく見えてくる。大きさは雛鳥どころか怪鳥みたいな大きさだけど。
可愛らしく感じているのに魔獣とかカブトムシって言い方はどうかなって思って名前もつけた。名前は「カブトさん」。ハツミさんは呆れたような顔をしていたけど、私はとてもいい名前だと思ってる。カブトさんもどこか嬉しそうな感じに見えるのは気のせいじゃないよね?
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「あのカブトムシ、どう見てもおかしいよね? 大きさもそうだけど、シェリーちゃんの言葉がわかってるみたいだし。アタシが小さい頃飼ってたカブトムシなんて毎晩脱走してたのに」
「危害を加えるつもりはないみたいだし、いいんじゃないか? 確かに大きさはギネス級だけど」
茶々とカブトさんを従えて見回りのために居間を出て行くシェリーの後ろ姿を眺めながら、初美と二人で話し合う。話の題材はもちろんカブトさんについてだ。
カブトさんには色々と突っ込みどころがある。まずは大きさ、胴体だけでおよそ十センチ以上ある体長は間違いなく国内最大、いやカブトムシという種類に限って言えば世界最大だ。山の腐葉土がどれほど高栄養だったのかはわからないが、あんなに大きくなるようなことがあるのかという疑問。
そしてカブトさんがシェリーの言葉を理解しているかもしれないという疑問。初美が言うように、昔飼っていたカブトムシはすぐに飼育ケースから脱走していた。どれだけ初美が餌をちらつかせても脱走を繰り返し、ついには家の外に逃げてしまった。飼育ケースから逃げ出したいだけだったのかもしれないが、本能のままに外に出て行ったのは間違いない。となるとカブトさんがシェリーの傍を離れないのは何故か? 食餌という本能すら抑え込んで一緒にいる理由は何だ?
そして明らかに言葉を理解しているような行動。シェリーが右と言えば右に曲がるし、餌を貰っても待てと言われれば指示が出るまで待っている。犬ですら待てができない個体も多いのに、それをカブトムシがやってのけるということが信じられない。
「ギネスに申請してみるか?」
「止めてよ、そんなことしたら遠慮を知らない連中が押し寄せるよ。シェリーちゃんが見つかったら大変なことになるでしょ? ああいう連中が他人の迷惑を一切考えない人種だってことは『蛍』の一件でよくわかってるじゃない」
「……そうだな。悪かった、今のは笑えない冗談だった」
初美の言葉に幼い頃の記憶が甦る。夜な夜な幻想的な乱舞を見せてくれる蛍だが、実はうちのそばの側溝にしかいない。昔は村を流れる小川にたくさんいて、一時は村の名物として多くの人たちが見物に来たほどだ。だが次第にマナーの悪い人間が多くなり、蛍は激減した。観光客が無造作に捨てるゴミにより小川の水質が悪化し、さらに好事家たちが蛍の幼虫を乱獲したためにほとんど姿を見せなくなってしまった。今ではこの村に蛍目当てに来る観光客なんて一人もいない。
だがうちは集落からも距離があり、お世辞にも利便性が良いとは言えないということが功を奏したようで、側溝が汚れることもなく、また常に綺麗にしていたので蛍がいなくなることは無かった。そして両親はそのことを集落の一部、いつもお世話になってる渡邊さんの爺さんにだけ伝え、このままじゃ蛍が全滅しかねないからと誰にも言わないように頼んだ。そして渡邊さんの爺さんは今でもそのことを誰にも話していない。俺が渡邊さんを信頼してる理由の一つでもある。
もしカブトさんのような個体が発見されたと広く知られれば、必ず捕獲に来るだろう。勝手に山に入り、手当たり次第に荒らしていくのは明らか。だがそれで終わってくれるならまだいい、もしカブトさんのような個体が入手できなかったら、うちにまで勝手に入り込むかもしれない。
そういう連中は自分のことしか考えていない。他人の敷地に無断で入るくらいは平然と行う。時にはそれを咎めた者を攻撃したりする。そんな連中がシェリーを見つけたらどうなるか……吐き気を催すような未来を想像して気分が悪くなる。
「カブトさんがシェリーちゃんの言うことを聞くのにはきっと何か理由があるのよ。だって私が言っても全然言うこと聞かないんだから。だからカブトさんのシェリーちゃんに任せようよ」
「そうだな」
よくよく考えてみれば、シェリーのような存在そのものが常識の範疇から大きく外れている。それに比べればカブトさんはただ普通のカブトムシよりも大きく成長しただけ、偶然シェリーと波長の合っただけのカブトムシだと考えればいい。釈然としない部分はいくつか残るが、それを解明するだけの材料も知能も俺たちにはない。俺たちに出来ることといえば、不本意ではあるがシェリーとカブトさんのことを見守るくらいだろう。
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