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検証?

幕間です。

「これまたデカいの仕留めたなぁ」

「ああ、俺もこんなの初めて見たよ」


 宗一の自宅から数キロメートル離れた農家の庭先で軽トラックの荷台に載せられた猪を眺めている二人の男。一人は宗一、そしてもう一人はこの家の主人、渡邊である。宗一は仕留めた猪を見せる為、そして捌いてもらうためにここまで運んできたのだ。渡邊はもう還暦近く、親の代からこの集落のまとめ役として佐倉家のことも面倒を見ていた。


「親父さんも時たまデカいの仕留めてたけど、こいつは別格だな」

「でも渡邊さん、こいつ雌だった」


 宗一の一言で何かに気付いた渡邊は猪の身体を触る。頭から背中、そして腹まで触ったところで口を開く。


「宗ちゃん、うりんぼはいなかったんか?」

「ああ、こいつだけだった」


 うりんぼとは猪の子供のこと。今の時期であれば大概の雌は出産を終えており、子供連れで移動するのが通常である。そしてそれは宗一も思うところだった。


「身籠っていないにしちゃ乳房の張りが良すぎるんだよな、こいつ」

「いんや、この腹の感じじゃ産んでる。たぶん先々月くらいじゃねぇかな。ただこの時期のうりんぼが母親から離れるこたねぇはずなんだけどよ」


 渡邊は猪の腹を触り、そう結論づけた。だがそうなると矛盾が生じる。産まれた子供はどこに行ったのか、そして母親だけがどうして単独行動で徘徊していたのか。


「雌は普通縄張りの中をうろつくもんだ。群れを作ることもあってな、どこかで巣をつくってその周辺をうろうろしたりすんだよ。だけどよ、宗ちゃんとこは茶々がいんだろ? 本来猪は犬の仲間の匂いは嫌うんだ」

「でも来たぞ? 忌避剤撒いても平気で野菜食ってた」

「宗ちゃん、コイツ手負いだろ? もしかしたらそれが原因かもしれねぇぞ?」


 渡邊の推論を待つ宗一。確かにこの猪は手負いだった。白化した左目は撃ち抜いてしまったため、その周辺の皮膚はぼろぼろになっているが、渡邊は微かに残った傷跡に触れる。


「これ見ろ、微かにだけど爪の痕みたいのあるだろ? その周りがなんで爛れてんのかわかんねぇけど、この傷のせいでおかしくなっちまったんじゃねえかな」

「子供をほったらかしてか?」

「いんや、それよかもっと厄介かもしんねえ。たぶんうりんぼは喰われたんだ。この傷は取り返そうとしてやりあったときに出来たんじゃねえかな」

「マジかよ……」


 渡邊の推論はとてもじゃないが考えたくないものだった。うりんぼ自体が狐や野犬、鷲や鷹といった肉食動物に狙われることは珍しいことではない。そして子供を害されそうになった母親はとても危険である。時には熊すら追い払うこともあるくらいに凶暴化する。そんな猪に深手を負わせるような獣がいるなど考えたくない。


「ま、もしかするとどこぞの車に撥ねられた傷かもしれんけどな。そんで親だけ生き残っておかしくなっちまったって考えたほうがしっくりくるべ?」

「……そうだよな、こいつに手傷負わせるなんて熊でも難しいぞ」

「ああ、ここ最近じゃ熊が出たって話は聞かねえけどな」


 もし本当に熊であれば洒落にならない事態である。だが宗一の知る限り、この近辺の山で熊が目撃されていたのは戦後まもなくの頃までで、それ以降は目撃情報が出ていない。もし熊と対峙した場合、散弾銃で対処するのは難しい。今回のようなミスをすれば、宗一の命すら危ぶまれる状況に陥るはずだ。


「ここまで肥えたのはこの傷のせいでネジが外れたせいだろ。手負いの考えることはわかんねぇからな」

「ああ、茶々の牽制にも反応しなかったしな」

「ま、とにかく仕留めてくれて助かったよ。ちっと待ってな、親父呼んでくるから」


 宗一がここに猪を持ち込んだのは、仕留めた報告もあるが、それ以上に渡邊の父が目的だった。渡邊の父は若い頃から頻繁に猪を捌いており、宗一が望むものも対処してくれるだろうと考えてのことだった。


「頼みがあるんだけどさ、出来るだけ綺麗に皮剥いでもらいたいんだ。それから牙も欲しい」

「毛皮なんかどうすんだ? 牙なんて何に使うんだよ」

「記念だよ、記念。初めて仕留めたからな」

「まあいいけどよ。こんだけデカい雌なら美味いぞ、親父も喜びそうだ」


 

 こうして猪は綺麗に捌かれ、宗一は半分以上の肉と毛皮、そして牙を手に入れた。実のところ宗一には仕留めた記念などという考えはない。毛皮と牙は出がけに喧嘩したままのシェリーのご機嫌取りのためだ。段ボール箱に肉と一緒に毛皮と牙を放り込み、車に積み込んで向かうのはビニールハウス。いつものようにイチゴを収穫して帰るつもりだったのだが、駐車スペースに駐車して下りたところで足が止まった。


「……次郎」


 やや離れた場所からじっと宗一を見つめる屈強な雄猪、次郎。今の宗一には捌いた猪の血の匂いがついている。その匂いに反応して襲い掛かられる可能性が高いが、宗一の不安を他所に次郎は静かに踵を返すと山の中へと姿を消した。


 そこで改めて宗一は考える。何故あの猪が手負いになったのか、その理由をだ。渡邊は車に接触したと推測したが、宗一はその可能性はほとんど無いと思っている。


「車にぶつかってあんな焼け跡が付くか? エンジンに顔を押し付けでもしなけりゃあんなに爛れたりしないだろ」


 野生動物が自動車にぶつかることはよくある。だがその時についた傷は打撲が主であり、爪のような痕がつくことはない。バンパーが大きく破損し、その破片で傷つくこともあるかもしれないが、自動車のバンパーを大破させるような衝撃を受けて生き延びることなどあり得るのか、と。


 それにうりんぼ達を襲ったのが野犬や狐かもしれないとのことだが、他の山ならともかく、少なくとも宗一はこの近辺でその類を見ていない。ならば一体何者があの親猪をあそこまで狂わせたのか。いくら考えてもその答えは出てこない。


「まあ終わったことだし……それよりシェリーに機嫌を直してもらうほうが大事だな」


 思い出すのはシェリーの気落ちした顔。どれだけ期待していたのかがはっきりと読み取れるその顔を思い出し、毛皮と牙で何とかなるのかという不安が宗一を襲う。ならば出来るだけのことはしておこうと考えを切り替えると、あの猪のことはそれ以降思い出すことはなかった。

次回から新章です。


読んでいただいてありがとうございます。

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