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巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者  作者: 黒六
雨の暴食者
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10.旋風

 突如裏の扉が開いて、初美が包丁片手に飛び出してきた。初美の気持ちは分からないでもないが、俺にとっては家族の無事が最優先、そのためにはどうなろうと構わない。何のために一人で相対していたのか。


「ちっ、まずいな。初美に狙いをつけやがった」


 今までこちらに耳を向けながらもひたすら野菜屑をむさぼっていた奴は、ゆっくりとその顔をあげて初美を見た。蹄を踏み鳴らしているのは興奮の証、食事の時間を邪魔されたことに腹を立てて、その原因をつくった初美に狙いを定めたらしい。震える手で包丁を構える初美の足元に茶々の姿が見えた。


「茶々! 注意を引け!」

「ワンワン!」


 ほんの僅かでもいい、奴の注意を初美から逸らすことができさえすればいい。茶々なら全力で逃げれば奴も追えないはず、その間に奴と初美の間に身体を割り込ませれば……自分の身体を盾に出来る。今の状態では奴と初美の距離が近すぎて狙いがつけられない。万が一にも誤射でもしようものなら、一粒弾なので即死の危険性もある。そんなことになるくらいなら自分の身で護る。


「ワンワン! ワンワン!」


 茶々は必死に奴の注意を引こうと奴の背後で吠え続けるが、奴はそんなことお構いなしに初美に突進すべく数歩後退る。このままじゃ間に合わない、そう判断して銃を捨てて走り寄ろうとしたその時……通常ではあり得ないことが起こった。


 突如吹き込む強風。それは大型台風の直撃にも似た暴風へと変わり、初美の付近で雨粒を巻き上げながら旋風へとその姿を変えてゆく。自然現象ならば平然としているだろう奴も、この異様な状況に動きが鈍くなる。そして旋風は新たなる非自然現象を巻き起こした。


「ちょ、ちょっと! 何よこれ!」


 焦るような初美の声にそちらを見れば、片手でスカートの裾を押さえているところだった。包丁を手放せば両手で押さえられるが、やはり奴を相手に丸腰にはなりたくないらしく、ずっと片手に包丁を持ったままだった。


 そして抵抗空しく、初美のフレアスカートは風の勢いに負けて大きく捲れ上がる。半ば引き籠り状態のために白い肌に白い下着が露わになり、昼間とは思えない暗さの中に浮かび上がる。それはこの場において明らかに異質なもの。


「ソウイチさん! 今です!」


 シェリーの声に我に返れば、奴は状況の変化についてゆけずに動きを止めている。初美は恥ずかしさで家の中に逃げ込み、茶々はシェリーを咥えてこちらに向かってくる。絶好の機会が降って訪れた。


 家族を護るため、そう何度も自分に言い聞かせて静かに銃を持ち直す。光を失った奴の左目、それが狙い。整備は万全、講習会でも高得点をたたき出した銃ならば、そしてこの至近距離ならば出来るはず。


 再び立射の姿勢で銃を構え、照星を奴に合わせる。銃身に若干の癖があるので照準は心持ち右下に。奴が未だ動けなくなっているうちに一息吐いて引き金を引く。


 乾いた炸裂音とともに腕から肩にかけて走る一粒弾の反動は散弾の比じゃない。しかしそれに耐えて弾丸の行方を探せば、奴の白化した左目が赤い飛沫を飛ばすのが見えた。奴はその瞬間に身体を大きく硬直させる。そして動けなくなっているのを確認してもう一射、今度は奴の耳の後ろあたりに僅か数メートルの距離からの一撃。


 とどめの一撃を喰らった奴は四肢を強張らせたままゆっくりと横倒しに倒れた。近寄ってみても動き出す気配は見られない。頭部に空いた二つの銃創からと、鼻や口から流れる夥しい出血がその命の終焉を教えてくれる。


「……終わった」

「ソウイチさん、すごいです! こんなに強い武器があるなんて!」

「……ああ、そうだな」

「……ソウイチさん?」


 雨に濡れるのも厭わずにシェリーが称えてくれるが、俺にはその言葉すら耳に入ってこなかった。講習会で出会った資格者たちは皆一様に、狩猟の爽快感を口にするが、今の気持ちは爽快なんてものじゃない。初めて自分の意思で、大きな獣の命を奪ったという後味の悪さだけが残っていた。


 壮絶な戦いが終わったのを見計らったかのように、雨は弱まりはじめ夕焼け空が雲の隙間から見え始めた。豪雨により空気中の埃が洗い流された空は鮮やかな赤色に染まりつつあるが、俺の心は一向に晴れる兆しはなかった。



**********



 凄かった。他にあの様子を言い表す言葉が見つからない自分が恨めしくなるくらい凄かった。リョウジュウという武器が火を噴くと、イノシシは一撃で終わった。リョウジュウが飛ばした金属の塊は左目からイノシシの頭の中をこれでもかと?き回した。あんなものを喰らえばいくらあのイノシシの巨躯でもひとたまりもない。


「凄かったですね、チャチャさん!」

「ワンッ!」


 チャチャさんも嬉しそうにソウイチさんに駆け寄ると、ちぎれんばかりに尻尾を振って喜びを表してる。こんな巨大な獣を仕留めたら、私の世界では英雄になれる。間違いなくソウイチさんは私たちの英雄だ。


「疲れた、少し休む」


 そう言って部屋に戻っていったソウイチさんは、夕食の時にも部屋から出てくることはなかった。それほど壮絶な戦いだったんだと自分勝手に納得した。でもそれは私の自分勝手な想像でしかなかったんだ。


 チャチャさんと夜の見回りに行こうとして、廊下の大きな窓が開いているのに気付いた。よく見れば月明りに照らされて縁側に座っているのはソウイチさんだった。ただぼーっと月を見ているその姿に、どうしようもなく嫌な感じがした。だから……


「どうしたんですか?」

「ああ、シェリーか。何でもないよ」

「嘘です。何でもないならどうしてそんなに生気のない顔をしているんですか?」


 どう見ても今のソウイチさんはおかしい。だからつい声をかけてしまった。力なく笑う顔にはいつもの優しさが感じられない。辛いのに無理に笑っているのがすぐにわかった。


「ソウイチさん、嘘はつかないって約束ですよ?」

「ああ、そうだったな。情けない話だが、大型の獣の命を奪ったのはこれが初めてなんだよ。爽快どころじゃない、後味が悪くてどうしようもない」


 ソウイチさんはそう言って力なく笑った。でもその気持ちはわかる気がする。ソウイチさんは植物を育てることを生業にしてるのであり、決して命を奪うことを本業にしているんじゃない。でも今日はハツミさんや私たちを護るため、仕方なく戦ったんだ。本当は戦いなんて無いほうがいいと思ってたんだ。


 そんなソウイチさんを見て、ふと自分の昔の記憶が頭によぎった。決して自分から望んでいない戦いをして、そして同じように悩んだ私の記憶が。


「ソウイチさん、私、人を殺したことがあるんです。元の世界で、ですけど」

「シェリー……」

「私がまだ駆け出しの頃、仲間と辺境へ探索に行った帰りに盗賊に襲われている集落を見つけたんです」


 この世界に盗賊がいるかどうかはわからないけど、私の世界では盗賊が出没することは決して少ないことじゃなかった。


「盗賊はですね、襲った集落を滅ぼすんです。男や老人は皆殺し、女と子供は売り払われます。大勢で襲い掛かるので、小さな集落の男たちでは護りきれません。売られた女は娼館に安く買い叩かれ、男の子は労働力として連れていかれます。そして成長した子供は盗賊の生き方を刷り込まれ、新たな仲間になります」

「……女の子はどうなる?」

「小さい女の子が好きな好事家に売られます。でもそうやって売られた人たちが生きて帰ってきたという話はないんです」


 盗賊はアキレア王国でも国策として討伐されるくらいに悪辣で、移動しながら次々に集落を襲う。売りさばこうとした人たちが邪魔になればその場で殺し、他の集落で新たな獲物を手に入れる。百害あって一利もない存在。


「だから冒険者には常に、盗賊を見つけ次第討伐する義務があるんです。相手が多数の場合は改めて出直したりしますけど、その時は私たちで対処できる人数でした。最初は人を殺すなんて、と思っていましたけど、盗賊に蹂躙される集落を見て思ったんです。もしこの悪意が自分の大事な人たちに向かったらどうしようって。自分が尻込みしてたせいで大事な人たちが殺されたら、どう言い訳すればいいんだろうって」


 最初はとても嫌だった。人肉を切り裂く剣の手応えほど吐き気を催すものはないと思う。でもやらなければ他の誰かが殺される。それが大事な人かもしれないと思ったら……だから無理矢理身体を動かした。


「終わった後、ソウイチさんみたいに自己嫌悪しました。でも、私たちが助けた集落の人たちが言ってくれたんです。あなたたちがいなければ皆死んでいた、護ってくれてありがとうって。あなたたちがしたことは悪いことじゃないのはここにいる皆が知っていますって」


 ソウイチさんは黙って私の話を聞いている。月が雲に隠れたのでその顔色はわからないけど、私は続ける。


「ソウイチさんがハツミさんや私たちを護ろうとしたことを私は知っています。それが正しいことだということも知っています。だから悩まないでください。ソウイチさんのおかげで今こうしているんですから」

「そうだよ、お兄ちゃんがいてくれなかったらどうなっていたかなんて想像したくもないわ」

「ワンワン!」


 いつの間にかハツミさんも起きだしてきていた。ハツミさんだってチャチャさんだって今日のソウイチさんの姿を見てる。決して自分の享楽のために命を奪うのではなく、大事な家族を護るために戦った姿を。それは誇るべきことであり、決して悩むべきことじゃない。


「もし他の誰かがソウイチさんを責めても、私たちはどんなことがあっても味方です。それだけは忘れないでください」

「そうよ、そんなふざけたこと言うヤツはネットに晒して大炎上させてやるから。ね、茶々?」

「ワンワン!」

「そうか……そうだな。誰かに認められたくてしたんじゃないしな。お前たちが無事ならそれでいいか」


 ソウイチさんが微笑む。でもその笑顔はさっきまでの乾いたものじゃなく、いつもの優しい雰囲気を纏った微笑みだった。大きな手でそっと頭を撫でられれば、その温もりがとても心地よい。


「シェリーを助けるつもりが助けられちまったな」

「えへへ……」

「あー、ずるい! 今の笑顔私にもちょうだい!」

「ワン!」


 ようやくいつもの騒がしくも温かい雰囲気が戻ってきた。これでやっと恐ろしい獣との戦いが終わったんだ。後は……あの立派な獣の解体が待ってる! 今から明日が楽しみで仕方がない。今日見回り終わったら眠れるかな……

読んでいただいてありがとうございます。

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