8.貪る者
「大変! 雨降ってきちゃった! 洗濯物取り込まなくちゃ!」
ハツミさんがばたばたと足音をたてながら外に出て行った。外を見れば先ほどまでの晴天が嘘だったかのように、鈍色の雲が広がっていた。時折聞こえるのはぱたぱたと雨粒が屋根を打ち付ける音。
「なんとか間に合った! でもこの様子だとかなり降りそうな感じね」
「また雨ですか?」
「うん、もう少し晴れるかと思ってたんだけど仕方ないわよ。雨戸も閉めておいたほうがいいかもね」
「ソウイチさんは?」
「この天気だともうすぐ帰ってくるんじゃないかな?」
ハツミさんが窓に木戸をはめ込もうとしている。私はチャチャさんと一緒にその様子を眺めていた。遠くのほうで低い唸り声のようなものが聞こえるけど、あれは何の魔物だろう。
「魔物の鳴き声がします」
「魔物かぁ……あれは雷よ。確かに魔物っぽいけど、れっきとした自然現象ね」
「雷……あんな音がするんですね」
「茶々はちゃんとシェリーちゃんの傍にいてあげてね」
「ワンワン!」
チャチャさんが任せろとばかりに吠えると、明り取りの窓から空に閃光が走るのが見えた。一瞬遅れて轟く雷鳴は私の世界の雷よりもっと大きく、まるでドラゴンの雄叫びのようにも聞こえた。恐怖に身体を竦ませれば、チャチャさんが私に身体を擦りつけてきた。私が不安に思っていることを察知してくれたんだと思う。
「今のは近くに落ちたね。うわ、土砂降りになってきた」
ハツミさんの声がうまく聞き取れないほど強く打ち付ける雨。こんなに雨が降ったら水浸しになっちゃうんじゃないかと心配になってくる。そんな考えが顔に出ていたのか、ハツミさんは優しく微笑みかけてくれる。
「大丈夫よ、この辺りは水はけいいから。これじゃ外にも出られないし、ゆっくりしましょ」
「はい……」
そう言ってくれるけど、私の心の不安は拭い去ることができない。何が不安なのかわからないことがとても不安。何か恐ろしいものが近づいてる、そんな気がしてならない。
「あ、お兄ちゃん帰ってきた」
ハツミさんがそう言い終わるよりも早く、ソウイチさんが飛び込んできた。とても焦った様子で、全身ずぶ濡れになっていることにも気づいていないみたい。
「大丈夫か! 何ともないか!」
「どうしたの? 何があったの?」
「たぶんあの猪が近くに来てる! 絶対に表に出るなよ!」
「お兄ちゃんはどうするの?」
「家の周りを見てくる。いや、その前に銃の準備だ」
「わかった、戸締りしてくる」
ソウイチさんはハツミさんといくつか言葉を交わすと、自分の部屋に入っていった。リョウジュウという武器の準備をするみたい。ハツミさんは慌てた様子で家の出入り口を確認しはじめた。
「チャチャさん、私たちも見て回りましょう」
「ワン!」
チャチャさんはそう一声吠えると、私を先導するように歩き始めた。どこからか冷たく湿った風が流れてくるので、そこに連れて行くつもりなんだと思う。チャチャさんはお風呂場の横を通り抜けて、家の裏手の水場へと出る扉の前へと向かった。少しだけ扉が開いていて、そこから雨が吹き込んでいる。あの扉は私の力じゃ閉めるのは無理みたい。
「ハツミさーん! ここの扉が開いてます!」
「わかったー! 今行くからー!」
声をかければハツミさんの返事が聞こえる。これで安心……
ばり……ごり……
打ち付ける雨音に混ざって聞こえるのは、何かが砕かれるような音。雨粒の勢いが強すぎて聞き取り辛いけど、確かに雨音とは違う異質な音が聞こえる。一体何の音だろうと思って扉の隙間から外の様子を窺って……凍り付いた。
朝にハツミさんが外に出していた野菜屑を貪り食うそいつは、イタチなどとは比べ物にならない威圧感を振り撒いている。激しい雨に打たれるも全く意に介さず、ひたすら喰らう姿は私の恐怖心を煽る。まるで鎧のように見える筋肉に身を固め、自分の庭のように振る舞い続けるそいつから目が離せない。
「グルルル……」
「チャチャさん……」
チャチャさんが怒りの形相で唸り声を上げるけど、イタチの時のように飛び掛かったりしない。でもその目はそいつから全く離そうとしない。
「どうしたの? 雨が入ってきてるじゃない?」
「ハ、ハツミさん……あ、あれを……」
「え? どうしたの……」
様子を見に来たハツミさんが扉の隙間からそいつの姿を確認して黙り込む。その目はいつも私に向ける優しいものではなく、明らかにそいつが危険であると認識してる厳しい目だ。
「……茶々、シェリーちゃんを頼むね」
そう小さくつぶやくと、音を立てないように静かに扉を閉める。やはりあれは危険な存在なのだろう、いつもより顔色が悪く見えるのは見間違いではないはず。
「お兄ちゃんに教えないと……猪が出たって」
私はこの時、初めてソウイチさんが先ほど焦っていたのかを理解した。『のーとぱそこん』で見たのより遥かに大きなイノシシ、あんなものが徘徊しているなんて……
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