10、重なった想い
「えー、せっかくお膳立てしたのに」
翌日合流した初美にホテルでのことを話すと、心底がっかりしたような顔で言われた。だががっかりされてもこればかりはどうしようもない。俺は弱った婚約者を無理矢理抱くような男にはなりたくないだけだ。
「ま、お兄ちゃんのそういうところを二人とも好きになってるんだけどね」
そう言って笑う初美の表情は、心の底から責めてる様子はなかった。おそらく自分の思惑通りに進まなかったことを責めてるのだろうが、それ以上にシェリーとフラムの体調を最優先したことへの理解が上回っているんだろう。
「ところでこれからどうするの? 東京見物する? アタシたちは今日明日も予定入ってるから付き合えないけど」
「元々一泊の予定だし、畑とハウスのことがあるから帰るよ」
「私はやっぱりいつもの場所がいいです」
「一刻も早く購入したものを吟味したい」
「そっか、じゃあ仕方ないね。気を付けて帰ってね」
帰りたい理由は三者三様、だがその理由はそれぞれにとっては大事な理由でもある。それを理解しているからこそ、初美は無理に引き留めたりしない。シェリーが自然に囲まれた場所のほうが落ち着くのも、フラムが自分が購入したものを楽しみたいというのも、イチゴ栽培が大化けしそうで手間をかける必要があることも、きちんと理解してくれている。我が妹ではあるが、よく出来たものだと思う。
初美と武君は展示即売会の二日目と三日目に参加するらしい。といっても自分のサークルの出展は昨日だけで、今日明日は知り合いのサークルの手伝いを兼ねた営業のようだ。手伝いに向かうサークルの作品のキャラに似せたフィギュアを作り、それをサンプルとして見てもらうという算段のようだ。
「意外と横のつながりって大きいの」
とは準備していた初美の談だが、あいつも着実に自分の夢を実現させつつある。いずれは正式に会社を立ち上げるつもりらしいが、実家を離れるのかと聞いたら、そんなことは全く考えていないらしい。
「ネットさえ繋がればどうとでもなるし、信頼のおける人に東京での仕事を任せるって方法もあるからね。少なくともアタシとタケちゃんはここを離れるつもりはないから」
そんなことを言われると嬉しくなるが、少なくとも二家族同居となるのだから、いずれ別家屋を建てることになるだろう。それがいつ頃になるかはあいつら次第だが、会社を立ち上げて軌道に乗れば、そう遠くないだろう。
「ソウイチさん、帰りましょうか」
「ああ、そうだな」
「留守番してくれたチャチャへのお土産も忘れちゃいけない」
名残惜しがるかと思っていたが、やはり二人には東京は合わなかったようだ。フラムの話ではいずれ対処できるようになるとのことだが、俺もあまり都会に出たいと強く思わなくなったので丁度いいかもしれない。朝まで話した中で今日の予定も話題に上がったが、出来ればすぐに帰りたいとのことだった。
「今度はきちんと楽しめるようにする」
「そうね、ソウイチさんと一緒にね」
「おいおい、俺が一緒なのは前提かよ」
「「もちろん!」」
既にメンバーに組み込まれているようだが、それに関して特段拒否するつもりはない。気持ちを通じ合わせた相手と一緒の旅行が楽しくないはずがないのだから。ただ出来れば一泊で勘弁してほしいと思う。何日も畑とハウスを放っておくことは出来ないからな。
**********
「ソウイチさん、おはようございます」
「ソウイチ、おはよう」
「ああ、おはよう」
「ハツミさんたち、今日戻ってくるんですよね?」
「二日目、三日目のサークルの作品がとても楽しみ」
窓から冬の柔らかな朝陽が差し込む中、シェリーとフラムの声が俺のすぐそばから聞こえる。シェリーの声は俺の右側、フラムの声は右側、それも布団の中からだ。
「ソウイチさん、寒くないですか?」
「大丈夫、こうしていれば寒くない」
左右から密着してくる人肌の温もりが、ここが天国ではないかとの錯覚を生じさせるが、見上げる天井がいつも通りの光景なのですぐさま現実に戻される。と同時に触れ合う素肌の感触が、絆がより深まったことを教えてくれる。
「ダメよフラム、ソウイチさんはお仕事があるんだから。私たちも出来ることをお手伝いしないと」
「むぅ……ずっとこうしていたいのに。シェリーは嫌なの?」
「嫌なはずないじゃない。こんなに幸せな時間ずっと続けばいいって思ってるわ」
「うん……もっともっと愛し合いたい」
三人が一つの布団に入り、そして三人とも衣服を身に着けていない。もちろん下着もだ。まぁつまり……そういうことだ。ホテルで何も出来なかったことをフラムがとても悔しがっていた(シェリーも少し残念そうな顔をしていた)が、俺がそこまで深く心配していなかったのは、帰宅しても俺たち三人水入らずの時間があると確信していたからだ。
初美たちは三日目まで東京にいる、ということは二日目の夜は俺たちだけになる。我が家であれば二人の体調の懸念はなく、普段通りの自分をさらけ出すことができる。茶々には別室で眠ってもらうことになるが、俺たちだけの時間が出来る。慣れない場所でより、心の落ち着く場所でなら、お互いを心の底から愛し合うこともできるだろう。
二人が言うように、俺もまたこの幸せな時間をずっと楽しんでいたいが、流石にそれは出来ない。年越しに向けての準備もまだ残っているし、色々と水面下で動いていることの段取りもある。まだまだ半人前の農家にとって、やらなければならないことは多い。
だが今だけは、あともう少しだけはこの幸せな空間に浸っていたい。心の底から待ち望んだ相手とようやく愛し合うことが出来た幸せに溺れていたい。これまでずっと頑張ってきたのだから、そのくらいの我儘は許してもらえるだろう。
**********
もう数十分も対向車が来ない山の中の道を走る一台の自動車。その車内でステアリングを握る武と助手席に座る初美は、若干疲れの色を浮かべてはいたが、自宅への道を急いでいた。
「うーん……東京の夜で盛り上がるかと思ったんだけどさ……」
「あの三人は世話を焼かなくても大丈夫じゃないかな?」
「だって心配になるじゃない。お互いに想いあってるのに、その想いを全部ぶつけられないなんて」
初美は宗一が結局東京での一泊時に何も手出しをしていなかったことを気にしていた。フラムの体調が悪かったという事情があってのことではあるが、なかなか三人水入らずの時間をとれない宗一たちの為を考えてのことだったので、このままずっとこの状態が続くのではないかと心配していたのだ。
「そうなるともう一度プランを練り直さなきゃダメかな?」
「それはなるようにしかならないから手出ししないほうが……あ、見えてきたよ。出迎えてくれてる」
「本当だ……って、アタシの取り越し苦労だったみたいね」
見慣れた佐倉家の入口には、宗一とその両隣を固めるシェリーとフラムの姿があった。だがその距離は今までで最も近く、宗一にしなだれかかるように立つシェリーとフラムの顔は、大きな壁を乗り越えたかのような自信に満ち溢れていた。同じ女性として、そして愛する者を持つ者としての直感が、初美の予感が杞憂に終わっていることを告げていた。
(よかったね、シェリーちゃん、フラムちゃん)
見ている者を皆幸せにするかのような、柔らかく充足した笑顔をみせるシェリーとフラムの笑顔を見て、初美は自分のことのように心の底からこみあげてくる嬉しさを味わっていた。
これでこの章は終わります。
次回は閑話の予定です。
読んでいただいてありがとうございます。




