8、不調
今までテレビでしか見たことのない凄まじい人波が、目当てのサークルの作品を入手するべく蠢く。そんな中、ハツミに手を引かれながら飲み込まれないように注意しつつ歩く。
「ちょっと反則だけど、関係者ってことで取り置きしてもらってるから安心して」
「うん……ありがとう……」
何だろう、あれほど楽しみにしていたのに、いざとなると緊張するとでも言うの? ううん、違う、これは予見できていたこと。シェリーには厳しく釘を刺しておいたのに、私のほうが浮かれて大事なことを失念していた。ここは周りに自然のものがとても少なく、魔力らしきものもほとんど感じない。当然ながら、この身体を維持するための魔力も補給できない。この倦怠感は魔力が足りなくなっている証拠だ。
「フラムちゃん、予定していたサークルはあと2つだから」
「うん、頑張る」
私がやや不調な姿を見たハツミが、安心させようと声をかけてくれる。私が何も言わなくてもわかってくれるあたり、やはりハツミとソウイチは兄妹なんだと改めて思う。私にもシェリーにも血を分けた家族がいないから、それがどんなものかを深く理解することは難しい。でもいずれ私もシェリーもソウイチと心をより深く通わせるようになりたいと思う。
「こんにちはー、頼んでおいた新刊ありますか?」
「あ、佐倉さん、きちんと残してありますよ。そっちの子は新しいスタッフ?」
「ま、そんなとこかな」
最後の一つのサークルで事前にチェックしておいたサークルの新刊を受け取る。委託販売分を通販で入手することもできるけど、こうして発売当日に実物を手にすると、だるい体に再び活力が漲る。状況が解決した訳じゃなく、あくまでそう感じてるだけなのはわかってるけど、今だけはこの場を乗り越える助力にしたい。
出来るだけ早くこの場を離れたい。無機質な空間が私の身体から魔力を奪ってゆくのを止める手段がない。シェリーは僅かだけど精霊から力を分けてもらえるから、消耗はするけど私ほどひどくないはず。消耗することは想定の範囲内だけど、まさかここまで激しいとは思わなかった。
「フラムちゃん、外に出ようか。お兄ちゃんもシェリーちゃんも待ってるから」
「うん……」
人波をかき分けながら、何とか建物を出るとソウイチが待っているはずの駐車場を目指す。海から吹く風が冷たいけど、建物の圧迫感から解放された身体にはとても心地よく感じる。少しだけ復調したけど未だ重い体で歩くと、海辺で寄り添うソウイチとシェリーの姿が見えた。ソウイチの右腕に腕を絡ませ、しなだれかかるように体を預けているシェリー。ソウイチとの二人きりの時間を楽しんでいる様子が遠くからでもはっきりとわかる。きっと幸せに蕩けた表情を浮かべているんだろう。
そう思いながらも、やはりここはシェリーの顔を立てて邪魔をしないようにしようかと歩く速度を緩める。きっとシェリーのことだから寒空の下ソウイチと一緒にいたはずで、そこに割り込むような無粋な真似をするような私じゃない。こころの広い私に後でいっぱい感謝をしてもらおう。
「え……もしかして……」
「うわ……シェリーちゃん大胆……」
「ちょ、ちょっと待って」
突然シェリーがソウイチの顔を見上げながら目を閉じた。あれは間違いなく……キスを待ってる状態だ。いくら親友でもそれは見逃せない。そういうことは一緒にって約束したはずなのに! そう考えたらもういてもたってもいられなくなった。
「あー! キスしてる! シェリーだけずるい! 私もする!」
大きな声で駆け寄れば、慌てて距離をとるソウイチとシェリー。ハツミの溜息が聞こえてくるけど、悪いけどこれだけは譲れない。だって私たちはこれからずっと一緒だって約束したんだから。
「フ、フラム、もう欲しいものは買ったのか?」
「そ、そうよ、買い忘れがあったら大変でしょ」
「大丈夫、もう全部買った。二人とも抜け駆けはずるい」
「わ、悪かったわよ、そ、その……つい……」
「わかった、もうこれ以上は言わない」
いきなり駆け出したのと大声を出したせいで、再び身体のだるさが激しくなった。すこし安静にしておけば大丈夫だと思うけど、ここでこれ以上騒ぎ立てるだけの気力が無い。せめて何か魔力を補給できる方法を見つけないと……明日には家に帰れるとしても、今夜を乗り越えられるかどうかがわからない。だけどこれをシェリーに打ち明けるわけにはいかない。シェリーだって今回の旅行をとても楽しみにしていたんだから。大切な親友の楽しみを奪うような真似はできない。
大丈夫、あとは食事をして宿に泊まるだけ。そしてとても大事な時間が待っているはず。私たちにとって何物にも代えられない時間が。
『フラムちゃん、今夜は頑張ってね』
サークルを見て回りながらハツミが耳打ちした言葉の意味、最初はわからなかったけど、少し考えてみて何となく理解した。きっとそういうことなのだろう。それ自体は問題があるわけじゃない。いずれその時が来ることは覚悟していたし、むしろ待ち望んでいたくらいだ。それはシェリーも同じだと思う。
心配なのは、私が不調な状態でソウイチを受け止められるかということ。不調をあからさまにすればきっとシェリーも遠慮する。そうなるとチャンスはまた遠のく。それだけは絶対に避けたい。
自分にその時が来るなんて一度も考えたことなかった。きっと研究に明け暮れて、ひっそりと森の奥で一生を閉じるとばかり思っていた。シェリーはスタイルがいいから、誰かに見初められるかもしれないけど、私みたいな凹凸の少ない体を好む者なんていない。だからずっと独りだって諦めていた。
そんな私が誰かを愛し、そして愛される時が来る。大事な人の真剣な想いをこの身で受け止める時が来る。そのための準備も出来てる。ハツミに作ってもらった『ショウブシタギ』という最強の装備も用意してある。そのためにも今は少しでも不調を治しておかなくちゃ。
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