7、重なる想い
冬の潮風が肌を刺すが、そんなものどうでもよくなるくらい、気分が高揚している。すれ違う者は皆シェリーの容姿に目を奪われ、カップルの男が連れの彼女に叱られる姿が度々見られた。そんな彼女が今、俺の右腕に腕を回して寄り添うように歩く。これで高揚しない男などいないだろう。
「たくさんの石で固められて、緑の少ない場所……なんだか不思議な感じがします」
「こういう場所は初めてか?」
「巨大な遺跡都市では時折見かけますけど、ほとんど生活してる人がいないのが普通なんです。こんなにたくさんの人が集まるなんてことは滅多にありません」
殺風景なビル群を眺めながら、シェリーはどこか寂しそうに言葉を漏らす。確かにこの風景は自然に囲まれている我が家に比べれば別世界だろう。見かける動物といえば鳩や雀、烏くらいで、それがより一層寒々しい印象を与えてくる。
「もしソウイチさんが一緒じゃなかったら、こうして出歩くことも出来なかったかもしれません」
「俺もこの風景は未だに慣れないよ、我が家のほうがずっと温かみを感じる」
「ソウイチさんもそう思うんですね……」
右腕にかかる力が強まり、それがシェリーが不安と戦っている証であることに気付く。通り過ぎる人たちから向けられる好奇の視線もまた、不安に拍車をかけているのかもしれない。
「来ないほうが良かったか?」
「ハツミさんにはいつもお世話になていますし、フラムはとても乗り気でしたから……ずっと親友だった彼女が落ち込む顔は見たくありませんから……」
「そうか……無理するなよ?」
「無理なんて……でもこうしてソウイチさんを独り占めに出来るなら、少しくらい無理してもいいかなって思うんです」
右腕にかかる力が弱まり、それに続いて右肩あたりに柔らかな温もりが伝わる。太陽が西に傾き始め、茜色の陽射しに染まるシェリーの顔がすぐそばにある。吐息すらはっきりと感じられるくらいに近い距離は、否応にも意識せざるをえない。
「ソウイチさん、私ソウイチさんに出会えてとても幸せです。私たちのことを優しく受け止めてくれるソウイチさんが大好きです。何度も危険な目に遭いましたけど、それすらも霞むくらいに、今とても幸せです」
右肩に頭を預けつつ、さらにシェリーは続ける。
「冒険者をしていた時は、いつも生きるのに必死でした。狙われることも多くて、のんびり暮らすことなんて全然出来なかったんです。誰かを好きになるなんて、一生無いんだと思っていました。でもここにきて、私の欲しかったものがどんどん手に入って、時々すごく不安になるんです。こんなに幸せでいいのかな、って……」
シェリーが抱えている漠然とした不安は理解できなくもない。俺もまた同じような不安に襲われることがあるからだ。シェリーがやってきて、さらにフラムもやってきて、それから俺の生活は変わった。茶々と二人で畑とビニールハウスに行くだけの、何の変化もない生活。それを辛いと感じたことはなかったが、かといって満ち足りているかと問われれば間違いなく否だ。
何の因果か知らないが、二人は俺たちの前に現れた。小さな身体で必死に生きようと頑張る二人の姿に、僅かずつではあるが、俺の心に生じた変化。それは消えることなく心の中に蓄積し、最早それが無いほうが不安になるくらいまで俺の心を支配している。
これまで生きてきた中で、ここまで誰かを愛おしいと感じたことはあるだろうか。もちろん両親のことは好きだったし、初美のことも好きだが、それはあくまで身内への愛情だ。しかしシェリーとフラムに対してのものはそれとは全く違うものだ。ユカリに振り回されていた時でさえ生まれることのなかったこの感情をどう伝えればいのか、残念ながら恋愛経験の少ない俺にはうまく表すことが出来ない。
「ソウイチさん……」
「シェリー……」
シェリーが潤んだ瞳で俺を見つめる。以前宝石店で見た途轍もなく高価なアクアマリンですらガラス玉に思えてしまうくらいに透き通った綺麗な瞳に、思わず言葉が紡げなくなった。そしてゆっくりと瞼を下ろす。いくら鈍感な俺でも、ここまでされれば何を期待されているかはわかる。それに応えるべく、俺はシェリーをゆっくりと抱き寄せで顔と顔を近づけていく……
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人のごった返す建物を抜けて、寒風の吹く屋外へ向かうと、ソウイチさんは海辺で寒そうに身体を震わせていた。こんな寒い中ずっと待たせていたことに心苦しさを感じて、暖を取ろうと魔法を使おうとして、昨夜にフラムから注意されたことを思い出した。
「シェリー、トウキョウでは魔法を使っちゃダメ」
「元々使うつもりはないけど、どうして?」
「この身体は山の精霊から魔力を譲り受けて構築している。でもトウキョウにこれほどの濃密な魔力が存在するとは思えない。もし魔法を使えば身体を維持できなくなる危険性が高い」
「……うん、わかったわ。気を付けるわ」
フラムの構築した魔法は高度すぎて私には完全に理解できていないけど、そのフラムが言うんだから本当のことだと思う。もし迂闊に魔法を使ってソウイチさんに迷惑を掛けちゃいけない。でも寒そうなソウイチさんを温めてあげたいし、どうすればいいのかしら……
ふと行き交う人たちを見ると、女性が男性に身体を寄せてる。こんな往来でちょっとはしたない気もするけど、私たちは婚約者なんだし、少しくらい大胆になってもいいわよね?
ソウイチさんの右腕に左腕を絡めて、身体を密着させると、少しだけソウイチさんの身体が火照ったような気がした。はっきりと言い切れないのは、私の身体のほうがもっと火照ってるから。それを誤魔化すように私のことを話すけど、話すほどに私の気持ちが高まって、火照りが収まらない。
もっとソウイチさんと一緒にいたい。ソウイチさんの優しさと温かさに包まれていたい。もっともっとソウイチさんのことを体で感じていたい。今までは漠然と感じていた気持ちが私の心の奥底から沸き上がって止まらない。
「ソウイチさん……」
「シェリー……」
言葉が詰まってしまい、無言でお互い見つめ合うと、抑えきれない感情が爆発しそうになる。こういう時はどうすればいいの? 何とか記憶を辿っていくと、フラムと一緒に見た恋愛物語を思い出した。あの時、男女がしていたこと、そして女性がどういう状態でいたか。
お互いの気持ちを確かめ合うための口づけ、それを強請る時、女性は目を閉じて待っていた。私もソウイチさんと気持ちを確かめ合いたい。その気持ちで心がいっぱいになって、ゆっくりと目を閉じた。以前口づけした時はソウイチさんの意識がはっきりしていなかったけど、今は違う。きちんとお互いを認識した上での、気持ちを確かめ合う行為。
ソウイチさんの息遣いを間近に感じて、いよいよその時が来るのを予感する。胸の鼓動が早まり、早鐘のように激しくなるけれど、でもそれを心地よく感じている自分がいる。きっとそれは、私がこの瞬間を待ち望んでいたからだ。ずっとこうなりたいと願っていたことが、今現実になろうとしている。その喜びが胸の鼓動となって表れているんだ。
ようやく私の望みが叶う、そう思った。あともう少し、あともう少し、待つ時間がとても長く感じる。そしてついに……
「あー! キスしてるー!」
耳に飛び込んできた声に我に返って慌てて距離をとる私たち。これがもし全く覚えのない声なら、構わず続けていたと思う。でもそうできなかったのは……
「シェリーだけずるい! 私もする!」
息を切らせながら声をあげたのは、私の大切な親友だった……
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