5、上京
「ふんふんふーん♪」
隣ではフラムが流れてゆく窓の外の風景を眺めて鼻歌を歌ってる。確かフラムが最近お気に入りの深夜アニメの曲だったかしら。時々夜こっそりとスマホで見てる時に漏れてくる音のおかげで私も覚えちゃったけど。でも歌を歌いたくなる気持ちは私もよくわかる。だってどこかに向かうのにこんなに心が躍ったことなんて無いんだから。
「ソウイチさん! 速いです! チャチャさんと同じくらいですか?」
「今は高速道路だから茶々よりも速いぞ、いくら茶々でも自動車には追いつけないしな。今の茶々が本気を出したらこれよりも速いかもしれないけどな」
ソウイチさんが運転しながらも陽気な声で返してくれる。そんな私たちのことを、もっと大きな乗り物が競うように追い抜いていく。今までテレビでしか見たことが無かった光景を、実際に体験してる。出発した時はまだ空の端が明るくなりはじめた頃だったけど、今は昇る朝陽の輝きに照らされた大きな建物が別世界のような雰囲気。といってもソウイチさんの館も私たちにとっては別世界なんだけど。
私たちが進むにつれて次第に山々が姿を消し、石造りの建物が目立つようになってきた。私たちのいた場所では存在しなかった形の建物がびっしりと並び、その一つ一つに営みがあるなんて信じられない。だけどこれでもまだ少ない方だっていうから驚きよね。
「もっとトウキョウに近づけば、ビルと呼ばれる建物が多くなる」
「石造りの塔みたいな建物ね」
ずっと外を眺めていたフラムが私にそっと教えてくれる。私はテレビくらいしか外部の情報を知ることが出来ないけど、フラムはもう文字もほとんど覚えてることもあって、自分で様々な情報を集めてる。もちろん今回の旅についても情報を集めてたみたいで、ここ数日はまともに眠っていないんじゃないかしら。
「トウキョウはこの国の文化が集約された場所。きっと私が求めているものがそこにはある」
「……求めているもの?」
フラムが求めているもの……それは一体何なのかしら。魔法の研究? それともソウイチさんとのこと? いつもより興奮してるところを見ると、かなり重要な位置を占めることなんだと思うけど……
「アキハバラに行ってアニメ関連のグッズを探す。ネット通販では売ってないものがきっとある。でもそれだけじゃない。これは私とシェリーに共通することでもある」
「え? 私にも?」
「そう、これはきっとシェリーも必要に思う時が来る。でもまだ内緒」
それだけ言うとまた窓の外を眺めることに没頭するフラム。若干秘密主義なところがあるのは昔から変わってないけど、もう少し色々と話してくれないと困る時があるのよね。特にこうやって秘密にする時は何か大きなことを隠してることが多いし、私も必要に思う時が来るのなら、きちんと教えておいて欲しいわ。
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自動車の中は軽快な音楽と歌が流れて、いつもとは違った雰囲気の場所になってる。閉め切った場所で私たち三人だけしかいない、ゆったりと時間が流れるような錯覚さえ感じる、穏やかな場所。今まで経験したことが無かったけど、大好きな人と同じ時間を共有できることの素晴らしさを心の底から味わってる。
これは私だけじゃない、きっとフラムも同じことを考えてると思う。そのせいかさっきより言葉が少なくなってきてる。この時間とこの場所を噛みしめているに違いないわ。
大好きな人との他愛もない会話の数々は、この国に来るまでの過酷な生活の記憶を薄らげていく。何度も危険に遭遇して、命を落としかけることだって数えきれなかった。だけどそんな記憶ですら、今この時間の中では遠い過去の記憶となって朧げにしか思い出せない。
それが良いことか、悪いことかと問われれば、私は即座に良いことだと答えるわ。だって私とフラムが冒険者になったのは、心の安らぐ生活を求めていたから。冒険者になって実力をつけて、実績さえ残せれば、引退した後にのんびりと暮らすことだって夢じゃない。結果として今、私たちが想定していた結末とはかなりかけ離れているけど、安らぎと楽しさに満ちた暮らしを送ってる。これが悪いことははずがないわ。何よりも当事者である私たちがこんなにも幸せを感じているんだから。
「……フラム、寝てるの?」
「……」
後ろの席に陣取ったフラムが急に静かになった。夜更かしのしすぎで居眠りしたのかと思ったんだけど、動いてる気配があるからそうでもないみたい。振り向けば、ずっと窓の外を眺めてるんだけど……ちょっといつもと様子が違うのは、やっぱりこの旅に緊張しているせいなのかしら。
「もうそろそろ東京に入るぞ」
「じゃあもうすぐですか?」
「現地まではもう少しかかりそうだけどな」
「……」
ソウイチさんの言葉にも特段反応しないフラム。あれほど願っていたトウキョウだから、もっと大はしゃぎすると思ったんだけど、無言で外を眺めたままだ。
「…………い」
「え? どうしたの?」
ようやく口を開いたフラムだけど、その声はとても小さい。元々声が大きいほうじゃなかったけど、今は何とか絞り出してるって感じがする。その内容もほとんど聞き取れない。
「どうしたの? 何があるの?」
「どうしたフラム? 腹でも減ったか?」
ソウイチさんも彼女の様子がおかしいことに気付いて声をかけてくれるけど、まず空腹を疑うところはソウイチさんらしいわ。確かに私たちは何かを食べてることが多いけど、それはソウイチさんが用意してくれる食べ物がとても美味しいからいけないのよ。大好きな甘い果物をいつも用意してくれるから、嬉しくて食べすぎちゃうんだから。
「…………い」
「何? 聞こえないわ」
「…………るい」
何かを伝えようとしてるんだけど、声が小さすぎて全然わからない。言葉の最後は何とか聞き取れたんだけど、もうちょっとはっきりしゃべってくれないと……ソウイチさんも心配してくれてるし、こっちも不安になっちゃうじゃない。
「ソ、ソウイチ……」
「おい、大丈夫かフラム」
残った力を振り絞るようにしてソウイチさんの名を呼ぶフラム。まさか何かしらの異常が起こってるの?
「ソウイチ……キモチ悪い……吐きそう……」
「ちょっと待て、シェリー、そこの紙袋を渡してやれ」
「は、はい、これですね。ほらフラム、しっかりして」
フラムの異変は、乗り物酔いだった。そういえば冒険者をしていた時、船での移動の時はいつも苦しそうにしていたわね。まさかここでも同じようなことになるなんて……でもこの身体って魔力で構成されているはずなのに、乗り物酔いまで再現するなんて……隣であまり聞きたくない音を発してる親友はきっと凄い才能の持ち主なんだろうけど……
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