16.戻ってきた日常?
「ちょっとお兄ちゃん! まだ静養してなきゃダメだよ!」
「うるせぇ! そんなこと言ってられるか!」
背後からしがみつく初美を振り切ろうとするが、いかんせん体力が落ちているので振りほどくことができない。だがこんなところでのんびり待っている場合じゃない。相手は手段を選ばない連中、いったいどんな卑怯な手段でシェリーとフラムを狙うかわからない。
「だからって猟銃持ち出すことないでしょ! 下手したらお兄ちゃんのほうが犯罪者になっちゃうわ!」
「それがどうした!」
今までこんなに感情的になったのは数えるほどだ。だが決して怒りに我を忘れている訳じゃない。俺が怒っているのは、シェリーとフラムだけを戦いの場に送り出してしまったことだ。考えれば考えるほど、自分の不甲斐なさに腹が立った。いくら呪いをかけられていたとはいえ、大事な婚約者を、それも二人を狙っているであろう連中と戦わせるなんて。
あの男の持つ雰囲気は、とても危険な感じがした。そしてあの時、二人を見たあいつの値踏みするような視線、そして極上の獲物を見つけた獣のような顔。あの男が二人をどうするつもりかなんて、余程の平和ボケをしていなければわかるだろう。
まだ間に合う。今からでも間に合う。二人が陥れられる前に、あいつらを……感情を爆発させて初美を引きずり、玄関に向かった時、突然扉が開いた。そこに居たのは、俺の怒りの業火など一瞬で鎮火させてしまう笑顔を湛えた二人の少女だった。
「ソウイチさん、戻りました」
「ソウイチ、ただいま」
「二人とも……無事だったんだな」
「あの……これでも私たちは冒険者なんですよ? あんな盗賊まがいの連中に負けるわけありません」
「ソウイチにも私の雄姿を見せたかった。見たら絶対に惚れなおす」
可愛らしく頬を膨らませるシェリーと、若干鼻息を荒くしているフラム。いつもの小さな体ではなく、俺たちと同じようなサイズの少女たちは、俺の姿を見て驚き、というか呆れの表情を見せる。
「ほら、やっぱりじっとしていなかったじゃない」
「ソウイチ、どうして静養していない?」
「それはだな……二人のことが心配で……」
「それは嬉しいですけど、ソウイチさんは今何をしなきゃいけないのかわかってるんですか?」
「早く体力を取り戻すための静養が必要だと何度も言ったはず」
「けど……しかし……」
自分たちが信頼されていないと思っているんだろう、二人とも少しばかり怒りの表情になった。いや、信頼していない訳じゃないんだ。ただ、大きくなった二人がどれほどの強さを持っているかを俺は知らない。だからとても不安になったんだ。もし二人に何かあったらと思うと、じっとしてることなんて出来なかった。
今の俺が行ったところで、足手まといになるだけかもしれない。だが二人だけに戦わせて、俺はそれを待ってるだけなんて、受け入れられるはずがないだろう。それなら一緒に戦いたい、そう考えるのは不自然なことじゃないはずだ。
「はぁ……わかりました。ソウイチさんが私たちのことをとても大切に思っているということは」
「でもソウイチ、私たちもソウイチのことを大切に思っているから、危険なことはしてほしくなかった。それは理解してほしい」
「あ、ああ……」
シェリーとフラムの気持ちは痛いほどわかる。大切に思うからこそ、危険の及ばないところにいてほしいということも。もし俺が二人の立場なら、きっとそうする。間違いなくそうする。だけどこれは……言わば男としての矜持のようなものなんだ。大事な女を自分の手で護りたいという、自分勝手なプライドなんだ。それくらいはわかってほしい。
「とにかく、問題はこれで解決です。ソウイチさんの出番はありません。となればソウイチさんは何をしなきゃいけないのか、分かりますね?」
「まだソウイチの体力は復調しきってない。ならそれを取り戻すのが最重要課題」
そう言うと、上がり込んで俺の両腕をそれぞれに掴んで動きを拘束する二人。もがこうにも、信じられないことだが全く振り払えない。ただ為すがままに引き摺られていく俺を、茶々が情けないものを見るような目で見送る。
「これで看病に専念できます」
「必要なら添い寝も子守唄もしてみせる」
二人が俺たちと同じサイズになったことで、嬉しい気持ちがあったんだが、そこにほんの僅かだけ恐怖心が芽生えた。もし俺が二人の機嫌を損ねるような、例えば浮気でもしようものなら、絶対に敵わないんじゃないか、と。もちろん浮気なんぞするつもりは毛頭も無いが……
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「チャチャさん! こっちですよ!」
「ワンワン!」
「おいで、クマコ」
「ピィ!」
晩秋の風が弱まり、暖かな陽射しの中、シェリーとフラムが自由に動ける喜びを謳歌している。シェリーは茶々と一緒に庭を走り回り、フラムは初美に作ってもらった鷹匠が使うようなグローブにクマコを掴まらせて満面の笑みを浮かべている。その様子を縁側に腰かけて眺めている俺。
ユカリたちの一件が終わってから数日は、何もすることなく床について過ごしていた。シェリーとフラムの二人掛かりの献身的な看病を受けて、体調は快方へと向かっていった。毎食どちらかに食べさせられるというのはかなり気恥ずかしいものがあったが、二人も俺のことを想ってくれてのことなので、何とか堪えた。流石にフラムが口移しで食べさせようとしてきた時は丁重にお断りしたが。
おかげでこうして外の風に当たっても問題なくいられるようになった。今は手入れを任せているが、畑とビニールハウスの管理が出来るようになるのも近いだろう。数日前までは立ち上がると少しふらついていたが、今はそんなこともなくなった。
「やっぱり二人とも可愛いよね?」
「ああ、そうだな」
隣に座る初美が一眼レフカメラを手にして、感心したように言う。それは俺も激しく同意できる。一度だけ会社員時代に接待で銀座の一流クラブに行った時、働いている女の子たちのレベルの高さに驚いたものだが、シェリーとフラムの今の姿を見ると、今までの美的感覚が間違いだったと改めて気付かされる。もしユカリと付き合う前に二人を知っていたら、絶対にあんなことにはならなかったはずだ。過去のことを言っても仕方のないことだが。
「でもさ、これで二人には世界が広がるんじゃない?」
初美の言っていることはよく理解できる。田舎で訪ねてくる者もごくわずかとはいえ、万が一のことを考えてシェリーとフラムは基本的に外出できない。俺と一緒に畑やビニールハウスに行くことはあるが、それ以外は自宅待機がほとんどだ。
だが身体が大きくなったことで、彼女たちの行動圏も必然的に広くなる。いつまでたっても家の中という訳にもいくまい。彼女たちの精神衛生上よくない。フラムはずっとアニメやネットで遊んでいそうな気もするが、シェリーは外で体を動かすことが好きなようだし、窮屈な暮らしを強いるのは俺としても望んでいない。
「ねぇお兄ちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」
不意に初美が切り出してきた相談は、二人に関わるものでもあった。初美の仕事の一環でもあるんだが、そこに二人の力を借りたいという。初美には二人も面倒みてもらっているし、男の俺ではカバーしきれない気遣いにとても助かっている。二人にとって危険じゃないのであれば、俺は拒絶するつもりはない。何より二人の意思が重要なのだから。
「チャチャさん! くすぐったいです!」
「ワンワン!」
「クマコ! 取ってきて!」
「ピィ!」
シェリーは茶々との追いかけっこに負けたようで、しきりに顔を舐められている。フラムはネットの動画で見たのか、鷹匠のようにクマコに放り投げた棒を取ってこさせている。二人ともいきなりの環境の変化に戸惑いつつも、今まででは味わえなかったものを楽しんでいる。
出会った当初から、二人の笑顔にずっと支えられてきた。挫けそうな時も、二人の笑顔を思い出して乗り切った。この笑顔を護るために、恐ろしい相手とも戦った。今までの俺では考えられない変化だろう。しかしこれは決して嫌な変化じゃない。大事なものを護るためには、強くなれるということを実感させてくれる変化だ。
茶々と一緒に暮らし始めた頃に比べて、護るべきものがずいぶん増えた。今までの俺なら、一人じゃ無理だと諦めたかもしれない。でも今は違う、同じものを大事だと感じる価値観を共有してくれる婚約者がいる。そのために一緒に立ち向かってくれる婚約者がいる。それがいかに素晴らしいことか。この素晴らしいものをずっと護っていこうと改めて心に誓う俺の耳には、シェリーとフラムの朗らかな笑い声がずっと響いていた。
これでこの章は終わりです。
次回は閑話の予定です。
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