15.撃退完了
それは最早戦いとは言えないものへと変貌を遂げていた。最初の勢いは何処へ行ってしまったのか、ジュンイチたちは今まで味わったことのない野生の獣の恐ろしさに逃げ惑うばかりだった。
「おい! 逃げろ!」
「ダメだ! こっちにもいやがる!」
「や、やめろ……ぐえっ!」
周囲を取り囲む猪たちは、愚かな侵入者たちを思う存分嬲っていた。ある男は必死に避けようにも、不慣れな山の斜面に足を取られて動けずに下半身に突進を直撃され、倒れ伏したところに牙と硬い鼻先を使ったしゃくりあげ攻撃が入る。その様子を見て動きの鈍った男たちには、猪の猛攻を躱しきれずに次々に倒れ伏してゆく。
「バカな、こんなの聞いてねぇぞ!」
「これはこの山の意思、お前みたいな奴が手を出すことは許されない」
「ふざけんな! お前らみたいな弱い奴は俺たちのオモチャになってりゃいいんだよ!」
「この山ではお前は弱い、その証拠にイノシシたちに全く太刀打ちできていない」
「なめんじゃねぇ! ぐはあっ!」
率いているだけあり、他の男たちとは動きの良かったジュンイチだったが、慣れない山での戦闘に足を取られてついに猪の突進を喰らってしまう。だが都会暮らしの人間にとっては健闘したほうだろう。ここに集まっている猪は二十頭以上おり、それらが四方八方から突進してくるのだ。人間と同じくらいの重さの肉の砲弾が、夜の山の中を時速四十キロメートルの速度で向かってくると考えれば、その恐怖がどれほどのものか理解できるだろう。
獣たちは敵が倒れてもなお攻撃の手を緩めない。さらに突進し、牙でしゃくりあげ、中には腕や足を噛みつかれている者もいた。今まで自分たちが行っていた弱者への容赦ない甚振りを、まさにそのまま返されている。しかしそれを冷静に判断できる思考能力を、既にジュンイチたちは放棄してしまっていた。
人間の言葉など理解できないであろう獣に対して、涙を流して赦しを乞う者、ひたすら悪態をつく者、既に白目をむいて失神している者もいる。そんな一方的な蹂躙劇を、シェリーとフラムはじっと見ていた。
「……私たちが活躍するはずだったのに」
「仕方ないわよフラム、あれは精霊の怒りを代行しているんだから」
「むぅ……精霊にはこの身体の魔法のヒントをもらった恩がある、無碍にはできない」
「そのくらい、精霊もあいつらには腹を立ててるってことよね。それに……もしかすると私たちの手を汚させないつもりなのかも」
「でも……今後手を出させないようにしておく必要はある」
シェリーとフラムの目は真剣そのものだった。彼女たちは経験上、こういう連中が予想以上にしぶといことを熟知している。そのための対策をしておかなければならないことを。
やがてまともに動く者がいなくなり、ようやく猪たちは怒りの矛を収めて山の中へと消えていった。後はお前たちに任せると言わんばかりに。それを受けてフラムはゆっくりと倒れ伏す男たちへと近づいて行った。
「ここから先は私の役目。お前たちには本物の呪いがどういうものなのかを、身をもって知ってもらう」
怒りの感情を必死に押し殺し、以下にもお前たちになど興味はないといった様子で倒れた男たちを見下ろすフラム。内心は怒りで体の中が爆発しそうな彼女だが、そういう感情を表に出すことで付け込まれる可能性があるために必死に堪える。さらに言えば、これから彼女が行う行為には相当な集中力が必要なため、怒りで我を忘れることができなかった。
「すべてを失う恐怖、その身で味わうがいい」
フラムは言葉を吐き捨てると、一人一人の頭に手を翳して何やら言葉を紡いでいった。
**********
「うん、わかった。後は僕に任せて」
佐倉家の玄関で襲撃に備えていた武は、スマートフォンの通話を切ると、ひとまずは安堵の息を吐いた。
「どうだった?」
「向こうは無事に終わったらしいよ、これから後始末に行ってくる」
「うん……気を付けてね」
「大丈夫、安心してて」
心配そうな表情の初美を宥めて安心させると、武は玄関を飛び出した。向かう先はフラムから指示された場所、山の入口だ。武は最後の手段として、とある筋に応援を要請していたが、彼らはなぜか山に入ることが出来なかった。それがフラムの張った結界によるものだと知らされた時には驚いたが、正直なところシェリーとフラムが負ける姿を想像できなかった。
武とて治安のよくない街で居を構えていただけあって、荒事には慣れている。そんな彼から見ても、今の二人の動きは別格だった。おそらく名のある武闘家と一戦交えたとしても、圧勝すると思えた。むしろ武の心配はその後、ジュンイチが厄介な人脈を使って復讐をしかけることだった。そのために要請した応援だったが、フラムはそれにも手立てはあると言っていた。
ああいう輩は二度三度叩いたところで意味がない。社会的に叩かなければ、人脈を使わせないようにしなければ、何度でもやってくるだろう。だが武には、そのための最後の一手が足りなかった。どんな人脈を使っても復活できないような、確実な一手が。
「……何だよ、あれは」
月明りを頼りに走る武の目に見えてきたのは、夜の山では到底ありえない光景だった。おそらくジュンイチたちが乗ってきたであろう自動車、その傍で横一列に並んで呆然としているのは間違いなくジュンイチたちだった。そして少し離れたところからそれを監視するシェリーとフラム。一体何をしているのか、すぐには理解できなかった。
「二人とも、大丈夫だった? ……ってこの様子だと大丈夫そうだね」
「はい、強力な援軍が来てくれましたから」
「ジローが仲間を連れてやってきた。ほぼジローたちがやったから、私たちの出番はほとんどなかった」
「それにしては……ちょっとおかしくない?」
ジュンイチたちは横一列に並び、虚空に視線を漂わせてぶつぶつと何かを呟いている。まるで薬物でもやっているかのように、目の焦点が定まっていない。全身泥だらけで所々怪我はしているようだが、重傷というほどでもないようだ。
「こいつらが二度と立ち直れないように、私が呪いをかけた。今ならこいつらはどんな秘密でも喋る。おい、お前、一体誰に頼まれて来た?」
「社長に……招集されて……女を拉致るからって……社長の取り分以外は好きにしていいって……」
「……何だって?」
列の端にる下っ端っぽい男にフラムが問いかければ、たどたどしい口調ながらも知りうる情報を話す。その言葉を聞いて武の声が低くドスの効いたものへと変化する。間違いなく拉致の対象はシェリーとフラムだが、それ以外は好きにしていいという。佐倉家にシェリーとフラム以外の女性は初美しかいない。ジュンイチたちは武の最愛の恋人すらも獲物として考えていたのだ。
「こいつらはきっと同じことを繰り返す。それが出来るのは、裏に大きな人脈があるから。だけどこういう荒事を揉み消せる人脈はまともな手段で築かれたものじゃないはず。だから聞かれたことに全て答えるように精神操作の呪いをかけた。本来なら禁忌に属する魔法だけど、こいつらに手段を選ぶ必要はない」
「タケシさんが応援を要請した人たちって、裏の人たちなんでしょう? 重要な情報を聞き出せると思って……」
「そうか! そういうことか! それならこいつらも終わりだ!」
武がどうして裏の人間とのつながりがあるのか、それは実は武が大物政治家の庶子だからだ。本人はそれを隠しており、初美はうっすらと理解しているようだが、それを知る者はほとんどいない。武自身も成人した際に、その政治家の親族に対して一切の権利を放棄して関わらない旨を告げていた。ただし一回だけ、何かあった場合に手助けするという約束を交わして。
「誰か来たみたいです、私たちはもう戻ります」
「タケシ、後は任せる」
「うん、お疲れ様」
数人の足音を聞いたシェリーとフラムが、茶々を連れて音もたてずに繁みの中に消えていく。ジャングルでの戦闘に長けた特殊部隊でさえここまでの動きはできないだろうと考える武は、改めて二人の持つポテンシャルの高さを実感する。そして二人が敵でなくて良かったと心の底から思っていた。
**********
「武坊ちゃん、御無事ですか?」
「坊ちゃんはやめてくれよ、もう三十超えてるんだから」
「私にとってはいつまでも坊ちゃんですよ」
武は現れた数人の黒づくめの者たちのうちの一人と懐かしそうな顔で話をしていた。覆面の下から出てきたのは初老の男性であり、武に深々と一礼をし、武と言葉を交わしていた。年配者でありながら、均整のとれた身体と鋭い目つきは、この男性が只者ではないことを表している。
「私はあのお方から、坊ちゃんのことを頼まれました。ですが……このようなことでしか……」
「やめてくれよ、政治家としての生き方が嫌で飛び出したんだ。それに後継ぎは少ないほうがいいだろ」
「それは……」
武が家を飛び出したのは、愛人の子ということで立場が悪かったからではない。庶子ではあるが認知されており、本妻の子らとも決して関係が悪い訳じゃなかった。むしろ良好だったといえる。そんな武が家を出た理由、それは武を後継者として担ぎ上げようとする者たちが現れたからだ。武としては政治に全く興味がなく、自分のやりたいことをしたかったので、すべてを放棄してしまったのだ。放棄するということは、家の庇護も失うことになったのだが……
「こうして助けてもらってるんだ、それだけで十分だよ」
「そうですな……で、こいつらは?」
「僕の義兄になる人を嵌めようとした連中だ。知ってるか?」
「こいつは……確か官僚や政治家に女性を斡旋している連中の頭ですな、確かあの方の敵対派閥にも世話になっている者がおります。そういうことは禁じられているはずですが……」
「ちょっとばかり暗示をかけてあるから、今ならどんなことでも話すらしい」
「それは重畳、醜く足を引っ張ろうとする勢力を一掃できますな」
「ま、穏便に頼むよ」
「坊ちゃんがご自分で見つけられた幸せを壊すような真似はいたしませんよ。それではこれで……」
初老の男性は最後にもう一度深く一礼すると、ジュンイチたちを引き連れていった。もちろん彼らの乗ってきた車両も一緒に。去っていく車のテールランプを見送りながら、武は大きく安堵の息を吐いた。だがその顔はとても期待に満ちたものだった。これでやっと平穏な生活に戻れるという期待と、改めて自分の大切なものを護ることが出来たという充実感が溢れ出ていた。
「そろそろ戻らなきゃ、初美ちゃんが心配しちゃうから」
政治家の家で生活していた頃は、何不自由しない生活だった。欲しいものは何でも手に入り、それ故に何かに熱くなるようなことは稀有だった。しかしクリエイターの道に進み、初美に一目ぼれし、そして恋人関係にまでなることができた。これは全て武が自分の手で掴み取ってきたものだ。それを護るということは、彼にとっては当然のことだ。
そして改めて武は知る。宗一が大事なものを護るために山の獣と対峙する意味を、そしてその強さを、その責任の大きさを。何故異界から来たシェリーとフラムが宗一を選んだのか、それはきっと優しさだけではなく、大事なもののためなら己の危機を省みることなく立ち向かえる強さなのではないかと。そしてそれは、シェリーもフラムも持ち合わせているものであると。
「みんな、強いなぁ……うん、僕ももっと強くならないと」
改めて自分が今いる場所の心地よさを実感する武。大事な我が家へと向かう道すがら、大事なものを護るために、さらに強くなろうと心に誓うのだった。
読んでいただいてありがとうございます。




