貪る悪意
閑話です。
19時にもう一話更新します。
都心の一角、煌びやかな夜景を見下ろすタワーマンションの最上階、およそ庶民には手の届かないであろう外国製の家具が並ぶ部屋の窓際に置かれたキングサイズのベッドに、惜しげもなく一糸纏わぬ肢体を晒す一組の男女の姿があった。両者ともに煙草の煙を燻らせ、至福のひと時を楽しんでいるようだった。
「ユカリさん、今週末も行くんですか?」
「もちろんよジュンイチ、あの土地が手に入るんだから」
「でも俺にはメリットないですよね?」
ユカリはいつものように夕食をジュンイチに奢らせた後、彼の借りている高級マンションに訪れていた。当然男女の仲なのでやることはやる。そして今は事後の一服の最中だった。ユカリはジュンイチの言葉に綺麗に整えられた繭を僅かに歪めながらも、半ば諦めたようにため息と共に煙草の煙を吐き出した。
「ここでいいところ見せておけば、パパにもっと気に入ってもらえるわよ」
「でも俺にももっとこう……見返りがあってもいいんじゃないですか?」
「見返りって……また悪い癖が出始めてるわね」
「ヤバイ橋何度も渡ってるんですから、少しはいい目見させてもらわないと。あの時会った女、胸は薄いけど中々可愛かったですから」
「はぁ……別にいけど、私と一緒になるんだから面倒な女と遊ばないでよ?」
「味見するだけですよ、味見。後はうちの若いのにでもくれてやりますから。クスリでも使えば何とかなりますよ」
「まあいいわ、男ってのは皆こうだってのはパパを見てよくわかってるから」
ジュンイチが言っている女というのは、宗一と共にいた女のこと。つまり初美のことである。一時期は仕事に追われて女を捨てているとさえ思える様相だったが、武との関係が深まるにつれて女らしさに磨きがかかっていた。体型にまでそれが波及していないのが残念なところだったが、かつて荒れ放題だった肌もきめ細やかなものへと変わっていた。武の愛情と、宗一の妹を思う気持ち、そして栄養バランスの取れた食事と仕事の充実感、それらが初美をいい方向へと変えていた。
ジュンイチが何を言っているのか、ユカリは気付いている。初美のことをジュンイチは無理矢理ものにしようとしているのだ。だがそれは決して本気の愛情から来るものではない。言わばつまみ食い、そして美味しいところだけ味わった後は適当に捨てるつもりなのだ。事実ジュンイチは過去に半ば強引な方法で何度も女性をものにしたことがあり、さらにはそのことをネタに脅しをかけたことも少なくない。
類は友を呼ぶ、という言葉の通りだろう。男を金づるとしか見ていないユカリと、女を食い物にすることしか考えていないジュンイチは同類である。ジュンイチがイベント会社を立ち上げたのは、何かの事業を興そうとしている訳ではない。イベント会社という肩書があれば、モデルや女優の卵たちがコネを求めて集まる。それを好き放題食い散らかすためだ。場合によっては自分が狙っている会社のお偉いさんに宛がったりもしている。
ユカリはそんなジュンイチを半ば仕方ないことと諦めていた。実際にユカリの父もジュンイチから若い女の子を融通してもらったことがあり、それをユカリも何度も見ている。だがそれを止めるつもりは彼女には毛頭ない。他の女がどんな目に遭おうとも、彼女には一切関係のないことで、彼女にとってはジュンイチが自分にお金さえ使ってくれれば問題ないのだ。もしジュンイチが他の女に走るのであれば、自分はホストクラブにでも行って遊べばいいとさえ考えていた。
だからジュンイチが初美に狙いをつけたところで、ユカリは何とも思わない。むしろ宗一と一緒に行方不明にでもなってくれれば、後の処理が楽になるかもとさえ思っていた。所有者がいなくなってしまえば、後は書類を偽造するなりして所有者になってしまえばいいだけのこと。後は売り捌くなりして自分たちは手の届かない外国に逃げてしまえばいいのだから。
一般的に見ればなんという人でなしと思うだろう。しかしユカリにとってはこれが当たり前なのだ。幼い頃から父親に溺愛され、何不自由しない暮らしを送ってきた彼女には他人を思いやるという感情が抜け落ちている。物事の価値は自分に富を与えてくれるかどうかだけ。財産を吸いつくした後はゴミ同然に捨てるだけだ。
当たり前であるが故に全て無自覚。背筋が寒くなるような悪意だが、そこに罪悪感など存在しない。ただただ金に対する妄執だけが存在し、それはごく普通の一般人にとっては猛毒にも等しいものへと変化する。使用価値の無くなった男が病に伏そうとも、心を病もうとも、命を落とそうとも、何の感情の動きもない。恋愛感情という弱みを握られた男へ注がれる猛毒は、呪いへと昇華してしまっていた。
彼女にとってはただのおねだりでしかないが、それを向けられた哀れな男にとっては心と体を蝕む呪いとなり、魅入られるようにその全てを差し出してしまう。そこに自覚がないから余計に質が悪い。何かトラブルになればジュンイチや父親に頼み込んで、問題が明るみに出る前に揉み消してもらっているが、それもまた当然のことと考えている。自分が不利になることなどあり得ないと思っているからだ。
「クスリ使うのはいいけど、下手打たないでよね?」
「心配いらないですよ。もしバレそうになったらクスリやってるって情報だけ流せばいいんですから。もちろん俺たちのことが明るみに出ることはないですよ、そのためにイベントで集めた女を使って根回ししてるんですから」
ジュンイチが自信満々な理由、それは自分が集めたモデルや女優の卵を取引先だけでなく、政治家や役人にも宛がっていることに由来する。彼らに若くて綺麗な女性をあてがうことで、不利な状況をも揉み消すことができる。実際に過去に宛がった女性の恋人をリンチしたこともあるが、圧力をかけてもらい不起訴にしてもらっている。
金と権力にものを言わせて悪事を働く連中など本来宗一たちとは縁遠い存在だ。しかし今過去の因縁を伝って狙いを定めている。もし宗一が首を縦に振らなかった場合、実力行使すら辞さないだろう。その結果宗一たちがどうなろうとも、ユカリとジュンイチにとってはどうでもいいことなのだ。
「じゃあもしものことがあったらお願いね。じゃあ……夜はまだ長いわよ?」
「全く……ユカリさんも好きですね」
おぞましい会話をしながらも、二人は抱き合い唇を重ねる。今現在宗一がどれだけ苦しんでいるかなど全く考えることなく、二人は己の欲望を満たすためにお互いの身体を貪るのだった。
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