10.遺された思い
「私にできることがあるの?」
「うん、きっとシェリーじゃなきゃわからない。ハツミ、少しの間ソウイチのことを頼む」
「わかったわ、だから……そっちのことは任せたわよ。お兄ちゃんのことはアタシに任せて」
「わかりました、お願いします」
フラムがやってきて私の力が必要だという。ソウイチさんの容態は相変わらずで、未だに意識が戻らない。ずっとうなされていて、大量の汗を流して衰弱する一方だった。ハツミさんが栄養補給にと蜂蜜とドラゴンの血を混ぜた水を口に流しいれても、少しずつしか飲み込めていない。
だけどドラゴンの血の魔力のおかげで治癒魔法に僅かな反応が見られるのは僅かな安心感を与えてくれた。衰弱の速度が遅くなるということは、それだけ魔法陣の解明にかけられる時間が多くなるということ。決して時間を使い切っていい訳じゃないけど、それでも時間に余裕があるというのは焦りからくるミスリードを防げる。
私じゃなきゃわからないことっていったい何なのかしら? でもフラムが言うからには、あの魔法陣に関わる何かだというのは確かだと思う。どこまで私の力が通用するかわからないという不安な気持ちを抱えたまま、フラムに続いてソウイチさんの部屋を出た……
「これは……凄い、よくここまで……」
「さっき見た魔法陣を書き写しただけ、でも詳細部分はまだ明記していない。この魔法陣の本来の作用がどんなものかがわからない」
「私じゃなきゃわからないことって?」
「これ。魔法陣の横に書き残されていた神代文字だけど、私でも断片的にしかわからない。でもシェリーなら文字に残されたイメージを感じ取れるはず、神代文字そのものに宿る力を感じられるはず」
「そういうことね、わかったわ。文字に呼び掛けてみるわね」
魔法陣の横に描かれている図形のようなものは、以前冒険者として遺跡の調査に向かった先で何度か見かけるものもあったけど、ほとんどは私の知らない形状の図形だった。言われるままに、精霊に呼び掛けるように文字に呼び掛けてみた。神代文字に力が宿ることがあるのは私も知ってる。図形一つ一つでは意味は無くても、それが組み合わさることで力を発するということも知ってる。きっとこの図形の組み合わせにも意味があるんだと思う。
図形一つ一つにではなく、全体をイメージしながら、精霊に呼び掛けるように魔力を流すと、全ての図形が反応して魔力を発生させた。そして次第に私の心に様々なイメージが流れ込んできた。でもそれは強引に流し込まれるものではなく、幼子に物語を読み聞かせるような、とても優しいものだった。
誰だろう、どこかソウイチさんの面影のある男性が微笑みかけてくれる。それを私はとても嬉しく感じてる。とても穏やかで、心温まる空間にはその男性と私だけ。住んでいる館も周囲の風景も今とは全然違うけど、不思議と私はその感覚に違和感を感じていなかった。何故なら私の心に流れ込んでくるイメージは、私やフラムがソウイチさんに感じてるものととてもよく似ていたから。
不意に風景が変わり、その男性のところに女の人がやってきた。その時流れてきたイメージは、胸が締め付けられるような不安、どうすることもできないという焦燥感。それがどんどん心の中に流れ込んできて、私の心を埋め尽くしていく。
ああ、そうなんだ。この魔法陣を作ったのはきっと私たちよりもはるか昔にここに来た先達だったんだ。そして……今私たちが抱えている問題に直面したんだ。心の中に流れてくるのは、きっとその女の人はその男性の伴侶となるべくやってきたんだろうという、諦めの混ざった感情。お互いの心ではわかり合えているとはいえ、どうしようもない切実な問題を乗り越えることが出来なかったんだと思う。
再び景色が変わり、周囲は殺風景な場所に切り替わった。この場所は知ってる、あの神殿のあった山頂だ。神殿はないけれど、神殿のあった岩のくぼみは今と変わらない形だったからすぐにわかった。そこにいくつもの魔法陣が描かれていて、今もまた新しい魔法陣が描かれ、それが納得できないものらしく乱暴に消されての繰り返しだった。
いったい何度それが繰り返されたのか、イメージではそれが伝わらない。絶対に短い期間じゃないことだけは、イメージとして伝わってくる。いつまでも完成しない魔法陣への焦りと不安が溜まってゆく中、それは急に霧散した。そして急転する視界の中、男性の住んでいる館に向かって歩いているのがわかる。
「……!」
館にはその男性はいなかった。かろうじて面影を残す若い男と老婆がいて、老婆は何かに怯えるように蹲り、若い男は粗末な農具を私に向けて構えた。その目には敵意、ううん恐怖の色を浮かべている。と同時に私の心の中に途轍もない絶望感が流れ込んできた。
突然の感覚にかろうじて耐えると、視界はいつの間にかあの神殿の内部だった。部屋の中央には魔法陣、その中心部分に膨大な魔力が集まり、魔石を形成しつつある。そこでようやく、私はそのイメージが伝えようとしていることを理解した。
果たしてこれをフラムに伝えて、それを彼女が信じるかどうかはわからない。だけどこの魔法陣を本当に再現することが出来たなら、ソウイチさんを助けられる可能性はとても高くなる。ただ心配なのは、私が知る限りこんな魔法が使われたことがないということ。
これは私たちの知る魔法とは全く違うカテゴリーに入る魔法、ううん、もしかしたら邪法に分類されてしまうものかもしれない。それをこのイメージを遺してくれた誰かが知らないはずがない。だけどそれを承知で作り出した、そのくらいあの男性に対しての想いは強かったということ。
「……リー、……シェリー」
遠くからフラムが私を呼ぶ声が聞こえる。あの文字に残されたイメージの終わりが近づいているんだと思う。覚醒が近づいていることをうっすらと自覚しながら、私はこの内容をフラムに伝える決心をした。私たちに残されたのはこの方法しかないから……
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「シェリー! シェリー!」
「ううう……」
シェリーは文字に魔力を流した途端、気絶するかのように眠りに落ちた。そこまでは心配してない、高位の存在とコンタクトするとき、酩酊に近い状態になることはよくあることで、シェリーも過去に何回か強力な精霊魔法を使う際にこんな状態になったことがあるから。
だけどシェリーがとても苦し気に呻き始め、涙まで流し始めたから心配になった。何か途轍もないものにコンタクトさせてしまったんじゃないかという不安に襲われ、声をかけたところでシェリーがうっすらと目を開いた。涙で顔をくしゃくしゃにした彼女は、まだ完全に覚醒していないようだけど、それでも特段異常があるようには見えなかった。
「……フラム、あの魔法陣は……」
「いいから休んで、かなり消耗してるはずだから」
「私のことはいいの、あの文字にコンタクトしたんだけど……あの魔法陣の作成者の残留思念みたいなものに繋がることができたの。あの魔法陣の目的は……」
シェリーが語った内容は、私が考えていた可能性の中でも、ありえないと真っ先に選択肢から外したものだった。そして作成者が何のためにあの魔法陣を魔石に仕込んだのかも教えてもらった。そこにあったのはとても悲しい別れ、想いが届かなかった悲しみ、そして……後に再び同じ轍を踏もうとする誰かに向けた深い思いやり。
でもこの方法なら、ソウイチの呪いを解ける可能性は高い。それ以上に、この魔法陣に遺された想いに胸が熱くなる。自分がどれほどの苦しみの中にいても、後の誰かが自分と同じ悲しみを味合わないように魔法を遺す優しさに。
「シェリー、ありがとう。これで魔法陣の作用を確定させることができた。ここまでわかれば後は魔法陣の構築だけ、心配いらない」
「でも……ただ休んでるわけには……」
「この魔法陣を再現できたらシェリーにも大事な役目がある。そのためにも体力と魔力を少しでも回復させておいて」
「うん、わかった……じゃあ少しだけ……休むわね」
高位の存在とのコンタクトは残留思念だったとしても相当消耗するものだったんだろう、シェリーはすぐに小さな寝息を立て始めた。事実、この魔法陣が成立すれば、ソウイチへの対処は私たち二人で行うことになる。私もシェリーもお互いにやることがある。そのために彼女には少しでも回復してもらわなきゃいけない。
さあ、ここからは私の出番だ。本来なら新しく構築する魔法陣は念入りに何度も実験してミスがないかどうかを確かめなくちゃいけない。だけど今は実験なんてしている猶予はない、ぶっつけ本番で未知の魔法を試さなきゃいけないんだ。だけど構築を何度も頭の中でシミュレーションすれば、その危険性は減らせる。シェリーが大事なきっかけをつかんでくれた、今度は私が自分の為すべきことをするだけだ。
もしこの魔法が完成して、呪いを解除することができたなら、ソウイチはどんな顔をするだろう? 怒るかな? でもそれでもいい、私たちはソウイチが助かってとても嬉しいし、何より自分たちの想いを今までよりも強く伝えることが出来るのだから。
読んでいただいてありがとうございます。




