8.神代
閉まっているはずの神殿の扉が開いている。夜の闇にも負けないくらいに深い黒が、何者をも飲み込もうと口を開けている。本来なら傍に近寄ることすら躊躇われるのに、私は不思議とそうは思わなかった。
「シェリー、もしかしてこの中から?」
「ええ、やっぱりこの中からイメージが伝わってくる」
私の精霊への呼びかけに応えるように伝わってきたイメージ、それは間違いなくこの中からだ。だからなのかもしれないけど、何も見えない神殿の内部に恐怖を感じなかった。それどころか、早く中に入りたいとさえ思えてくる。
「チャチャさん、近くに寄ってもらえますか?」
「ワン!」
「シェリー、大丈夫?」
『不思議と懐かしさすら感じるな、敵意は感じぬが……』
フラム達が心配そうな顔をするけど、私は全く不安を感じていなかった。神殿の入口に届かないのでチャチャさんに傍まで寄ってもらい、暗い神殿の中に入ると、そこには私の拳くらいの大きさの透明な丸い玉があった。近づいてよく調べてみると、それは私達の良く知る、そしてここにあるはずのないものだった。
「フラム……これって魔石よね?」
「え? どうしてこんな場所に? しかもこれは……シェリー、少し離れてて。少し魔力を流してみる」
魔石。純粋な魔力の結晶体。魔力という概念のない場所で自然に生まれるとは思えない。神殿に納められてるということは、魔石の価値を知っている誰かがいるということ。その誰かは、ソウイチさんを救う手掛かりを知っている……
フラムの指示に従い距離をとると、彼女は少しずつリンゴくらいの大きさの魔石らしきものに魔力を流し始めた。私の知る限りだけど、魔石には色々な種類があるけど、透明なものは見たことがない。そして魔石にはたくさんの用途がある。単純な魔法の代わりに使ったり、魔力を増幅させたり、だけど今フラムがやろうとしていることは、魔石をここに持ち込んだ者の魔力を探るという、魔石の使い道としてはとても高度なもの。それこそフラムレベルの魔道士でも為せないくらいに難しいこと。
「……見て、シェリー。やっぱりこの魔石がシェリーを呼んだ。ほら見て、きっとこれを伝えたかったんだと思う」
「これは……魔法陣? でも見たことない紋様だけど……」
フラムがやや興奮した様子で言うので見てみると、魔石を中心に神殿内部に浮かび上がったのは紛れもなく魔法陣。でもそこに描かれている術式はとても複雑で、描かれている紋様は私の知らないものだった。だけどこれを見て私は直感した、間違いなくこれがソウイチさんを救う手段だと。
『これは神代文字だな、我も噂程度しか知らんが』
「神代文字なら私も研究していた。これは神代文字の中でもかなり古いもの。これを解読して私たちでも使えるように改変すれば……ソウイチは助かる」
賢者とまで呼ばれたフラムは、ずっと研究に時間を費やしてきた。その時間が無ければ、この魔法陣を解読することすら出来なかったと思う。そんな彼女が今ここに一緒にいるという幸運もまた、精霊の導きなのかもしれない。もしフラムが私を探しに来てくれなかったら、私だけではどうにもできなかったと思うから……
フラムは神殿内部に浮かび上がる魔法陣と、その説明を食い入るように見ている。時折書き写したりしているところを見ると、フラムでもわからない表現があるみたい。
「この魔法陣の構造は……魔力の集積と変換? 一体何に変換する? それからこっちにあるのは……何だろう? 続く者? 悲しみ? 結び? ダメだ、ここじゃ集中できない。家に帰って読み解く必要がある」
「ここじゃわからないの?」
「部分的には読み取れるけど、全体として意味が通る文面にならない。それに魔法陣も作用がわからない部分が多すぎる。もっと専念できる場所じゃなきゃ」
「この魔石はどうするの?」
「チャチャに持ってきてもらおう。チャチャ、大丈夫?」
「ワンッ!」
チャチャさんが神殿の中に顔を入れて魔石を咥えると、魔法陣は消えてなくなった。そして私たちは再びチャチャさんの背中に乗ると、我が家へと向かった。今度はもう山を駈け下りる必要はない、一刻も早くソウイチさんのところに戻らないといけないから、チャチャさんは月が明るく照らす夜空を駆ける。
「シェリー、ソウイチの看病を任せていい? 私はこの魔法陣と文字を読み解くことに専念する」
「わかったわ、任せて」
神代文字のような古い言語は、専門的に研究をした者じゃなければわからない。ここから先はフラムの戦い、じゃあ私は……ソウイチさんのことに専念するだけだ。治癒魔法の効き目が薄くても、傍で支えることくらいはできる。ソウイチさんは今一人で呪いと戦っているんだ、その傍に寄り添うだけでも力になることが出来る。
やがて月明かりに照らされるサクラ家の館が見えてきた。ここから先は私たちじゃなきゃ入り込めない領域、そしてその先にはソウイチさんを救う道がある。絶対にあんな女の思惑通りになんてさせないんだから!
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「タケちゃん、本当に大丈夫なのかな?」
初美がいつもは全く見せない弱気な表情で武に問いかける。しかしその問は武にとって非常に難しい回答を求めており、それに気づかない武ではなかった。初美が望んでいるのは宗一が助かるという類のもののみ、それ以外は気休めにすらならない。
「もし、もしだよ? あの女が本当は代々続く呪術の家系で、とんでもない呪いのかけかたを知ってたとしたら……そんなことになったら……」
「ここはシェリーちゃんとフラムちゃんに任せよう、御義兄さんの容体を分析したのも彼女たちなんだし、僕らの手の届かない領域の知識も持ってる。それとも初美ちゃんは二人を信頼してないの?」
「そんなワケないでしょ! ただ……これでお兄ちゃんまでいなくなったら……アタシ本当に独りになっちゃうから……」
武は泣き出した初美の肩をそっと抱いた。ここはシェリーとフラムに任せるほかはなく、むしろ武は別の問題を危惧していた。武とて以前は巨大な繁華街の一角、あまり治安のよろしくない辺りに店を構えていたこともある。当然ながらその筋の連中に対して顔も広い。そんな武が気になったのは、あのユカリという女のことではない。確かにあの女からは厄介な雰囲気を感じていたが、それ以上に危険な匂いを発する者がいたことだ。
(あの男、確かギャング上がりだったような……)
ユカリと一緒にいた男、かつて武がとある筋で見た資料に載っていた顔と酷似していた。その資料とは、かつての武の仕事場近辺をテリトリーとしていた犯罪集団のリスト、その幹部メンバーの顔にとても似ていたのだ。犯した罪も窃盗恐喝傷害詐欺、婦女暴行に拉致監禁とやりたい放題である。殺人までは行っていないのが救い、いや、彼らがまともに警察に検挙されていないところを見ると、もしかすると殺人すらもみ消されているのかもしれない。
そんな男がユカリの背後にいる。どう考えてもまともな方法で来るとは思えない。事と次第によっては、あるいはもう既に何らかの実力行使に出ているかもしれない。そうなれば問題は宗一だけでなく、ここに暮らす皆にまで波及してくる。
(もう関係を絶ったつもりなんだけど……頼るしかないか……)
武が今まで繁華街の一角という、その筋からすれば涎の出そうな物件に創作の仕事場を持つことができたのか、その詳しい理由は初美にすら教えていない。それを知ったら初美がどんな顔をするか、それが怖くて打ち明けられないでいた。もし自分が過去にそういう筋と深くかかわり合いになっていたと知ったら嫌われてしまうのではないか、と。
だが今はそんなことに拘っている場合ではなかった。相手は事件をもみ消すだけのバックを持っているかもしれない相手、手段を選ばず向かってくる相手には、こちらも手段を選ぶ必要はない。そのためには、今の自分の力では不十分と考えていた。
大事なものを護る、ようやく見つけた愛する女と素晴らしい暮らしを護る、初美を強く抱きしめながら、そのために武は如何なる手段をも使うと深く覚悟を決めていた。
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