5.呪い
「お兄ちゃん! しっかりしてよ!」
ハツミさんが声をかけても、ソウイチさんはただ苦しそうにうめき声をあげるだけ。私たちはなんて間抜けなんだろう、傍で寝ていたはずなのにソウイチさんの容体が変わったことに気付かないなんて……
「シェリー、それは私も同じ。ううん、むしろ違和感を感じていたのにそれを確信できなかった分罪は重い」
「フラム……」
「二人のせいじゃないわ、きっとあのクソ女が厄介な病気を移していったのよ!」
「初美ちゃん、それは無理があるんじゃ……でもこんな容体初めて見るよ、風邪を拗らせた肺炎にしては呼吸音が濁ってないし、発熱はマラリアみたいな症状だけど、この時期の日本にマラリアはないし……」
「うん……ネットで調べてみたんだけど、こんなに急に衰弱する病気なんて無いのよ」
ハツミさんが色々と調べていたけど、症状が当てはまるものが無いって言ってた。となれば病院という場所に連れて行かなきゃいけないのかもしれないけど、そうなると一緒にいられなくなっちゃう……
「う……うう……ユカリ……さん……」
「え? どうしたのお兄ちゃん?」
「……山は……権利は……全部……」
「ちょっと! 熱でうなされるにしても何てこと言い出すのよ! あのクソ女に渡すつもりじゃないでしょうね!」
「う……うあぁ……」
うなされる、というよりも何かに操られるようにソウイチさんが言葉を漏らす。山をあの女巨人に渡すようなことを言ってるけど、ソウイチさんは正気なのかしら? 隣でフラムがぶつぶつ言ってるけど、もしかしてソウイチさんの病気がうつったの?
「……これはたぶん……ううん、間違いない。あの女から感じた嫌な気配の正体はこれだったんだ。私たちの世界によくあるものだから、ここに似たようなものがあるなんて思わなかった」
「フラムちゃん、何かわかったの?」
「シェリーならわかるはず、他者をじわじわと苦しめて、弱らせて、自分の思うがままにしてしまう卑劣な方法を。自分は安全な場所にいながら、狙った獲物を確実に仕留める方法を」
フラムが何かを確信したような顔で呟く。私ならわかるって……じわじわ苦しめて……自分は安全な場所にいるって……もしかして!
「フラム! 確かにそれなら納得がいくけど、それなら一体誰がそんなことを?」
「あの女に決まってる、それしか考え付かない」
「フラムちゃん、シェリーちゃん、お兄ちゃんの症状に心当たりがあるの?」
確かにフラムの考え通りなら、この症状は納得がいく。だけどそれは私たちの世界にある技術、もしかしたらこの世界にも似たような技術があるのかもしれないけど、あの女巨人がそれを出来るだけの手段を持ってるというの?
「ハツミ、驚かないで聞いてほしい。ソウイチの症状は呪いによるもの、それもかなり強力な呪いをかけられている。早急に解呪しなければ、山はもちろんのことソウイチの命すら危うい」
「え?」
ハツミさんが理解できないといった様子だけど、それは私たちも同じ。呪いなんて本来高い魔法技術を持つ者が周到な用意を重ねて行うものだから。でもこうしてソウイチさんは呪いに酷似した症状で苦しんでる。となれば解呪すればすべてが解決するんだけど……それはとても難しいことだとフラムも理解してるわよね……
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「呪い? あのクソ女にそんな特技があったっていうの? それとも有名な呪術の家系に生まれたとか? そんなのあり得ないでしょ」
「これは体系化されたものじゃない、粗雑でいいかげんなもの。だけどその分細部まで入り組んでいて、より複雑なものになってる」
「じゃああのクソ女以外に誰がこんなことするのよ!」
「ここまで強力な呪いを扱える存在がいるのかしら……」
シェリーは呪いと聞いて合点がいったみたいだけど、ハツミはまだ信じられないみたい。それもそうだ、だって私でもまだ信じることが出来ていないんだから。だけど呪いをかけられていると仮定すれば、この衰弱ぶりも、あの女に都合よくソウイチの思考が誘導されていることも納得できる。
確かに呪いというものは術式を正確に組み上げて、準備に準備を重ねていかなければ発動しない。だけどそれと同様の効果を齎してしまうことがある。
呪いの根本となるものは何か、それは妄執。自分の恨みを、欲を満たしたいという強い妄執の上に成り立つ。呪術式を完成させるだけの強い呪い、もしそれを遥かに上回る妄執を持つ者がいたとしたら? 妄執を向ける相手に耐性が全くなかったとしたら?
「強すぎる妄執と身勝手な思考は時として呪いと同等の効果を齎す。あの女の金に対する欲望は妄執に近く、男を使い捨てる身勝手な性格は、妄執を対象を男に限定した呪いに昇華させていてもおかしくない。あの女自身は自分が呪いをかけていることに気付いてない。あいつの言葉、素振り、あらゆるものが偶然に絡み合って呪いとなっている」
「じゃあお兄ちゃんに何があってもあいつを罰することはできないの?」
「そもそもそういう妄執をソウイチに向けること自体が許されない。だけど今はそんなことを言っている場合じゃない、事態は一刻を争う」
「どうして……そうか、解呪に必要なものが……」
「何が必要なの? すぐに用意するわ!」
「たぶん……ハツミさんでも用意できないものです……」
シェリーの言う通り、解呪に必要なものは絶対にハツミには用意できない。解呪をするときに必要なものは、その呪いを組み上げた術式そのもの。術式の詳細を調べて、呪いになっている部分を少しずつ反転させて呪いを相殺していく。いきなり呪いが綺麗に消えるなんておとぎ話みたいなことはない。
いきなりすべての呪いを消滅させると、精神も一緒に消えてしまうことがある。そうなればもう自分では何も考えられず、一人で行動することもできない。一生誰かに介助してもらわなければ生きていけない状態になってしまったら……
その為にも呪いの術式が必要。だけどあの女は自分が呪いをかけていることに気付いてない。そんな女が術式を知っているはずがない。捕まえて吐かせようにも、知らないものを聞き出すことは出来ないのだから。
「じゃあ……方法は無いっていうの? このままお兄ちゃんが弱って、全部あの女に毟られるのを黙って見てるしかないの?」
「それだけじゃありません、ソウイチさんの症状から考えると、このまま衰弱した状態で再度あの女に会ったら……助からないかもしれません」
「そんな……」
シェリーの恐れていることは正しい。この衰弱があの女の振りまく呪いだとすると、もう一度会えばさらに上掛けされる。この状態からさらに衰弱した状態でそんなことになれば……その為にも、今何とかしなきゃいけない。幸いにも、一つだけ方法はある。
「ハツミ、安心して。一つだけ方法がある。私が魔力を送り込んで呪いそのものを解きほどいていけばいい。時間はかかるけど、これしかない。シェリー、ソウイチの体力低下を防ぐために治癒魔法を使ってほしい」
「わかったわ」
力強く頷くシェリー。この方法なら確実に呪いを解くことが出来る。そのために準備をしないと……
『馬鹿め、その程度のことであの呪いが解けると思うか』
誰もがソウイチを助けようとしている中、皆の希望を打ち砕き絶望を齎す声が投げかけられた
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