4.宗一の異変
「どうしてアンタがここにいるのよ! 今更何しに来たのよ!」
「あら、私はまだ宗一君のことが忘れられなくて来ただけよ、それからちょっとしたお願いもね」
「ふざけないでよ! お兄ちゃんをあれだけ苦しめたくせに!」
猛烈な剣幕でまくしたてる初美に対し、全く動じることのないユカリ。これから起こることが自分に絶対に有利なことであると信じて疑っていないようだ。背後にいる男はその様子をニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべて見ている。見た目は精悍なイケメンなのだが、その嫌らしい笑みが全てを台無しにしていた。
「人聞きの悪いこと言わないでほしいわ、あれはそう……お互いの理解が足りていなかっただけ」
「ふざけないでよ! お兄ちゃんの他にも男作って貢がせてたくせに!」
「私はそんなことしろって命令してないわ、ただちょっとしたお願いをしただけ。それが嫌ならお願いなんて無視すればいいじゃない。彼らが自分の意思でやったことを無碍に断るのもかわいそうだから貰ってあげただけ」
「冗談じゃないわ! 今度は何を毟り取るつもりなのよ! アンタの目論見通りになんて行かせない!」
「妹さんに嫌われちゃったみたいだし、今日のところはこれで帰るわね、宗一君。来週末にまた来るから、それまでに答えを出しておいてね」
「……ああ」
ユカリはそれだけ言うとジュンイチを促して立ち上がり、家の中を見回して小さくため息をつく。そして未だ虚ろな様子の宗一に向かって語り掛ける。
「こんな黴臭い家なんてさっさと取り壊して、都心の一等地のタワマンでも買いましょ。私たちの愛の巣にこんな古臭い家は合わないわ、じゃあね」
捨て台詞のように言い放つと、ジュンイチを伴い家を出てゆくユカリ。やがて自動車のエンジン音が響き、それが次第に小さく遠くなっていく。ようやく憎い相手がいなくなったことにやや怒りが収まった初美は、宗一に向かって残る怒りを吐き出そうとして、思いとどまった。理由は簡単、初美ですらこれほど精神を削られた相手、宗一はもっと削られていたはずである。
「……お兄ちゃん、何があったか教えてくれる?」
「……ああ」
初美は改めて気持ちを落ち着かせると、宗一と向かい合うように腰を下ろして事の顛末を聞き取り始めた。
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「何よそれ! あのクソ女そんなふざけたこと言ってきたの? もっと厳しく言っておくんだった! タケちゃん、玄関に塩撒いて! それから消臭剤も! 化粧と香水の匂いで死にそうよ!」
ハツミさんがとても怒ってる。理由はさっき訪ねてきた、とても嫌な匂いをまき散らす女巨人だ。私たちはチャチャさんの獣毛に隠れるようにしながら、遠くから様子を眺めてた。とても嫌な匂いと雰囲気の女巨人に、その後ろでへらへらと気持ち悪い笑みを浮かべてる男巨人。主に女巨人のほうが話してたけど、その内容もひどいものだった。
「山を売るなんて信じられない。この山はこの国でも貴重な環境のはず」
「そうよ! うちが先祖代々守ってきた大事な山を売れるはずないでしょ! ね、お兄ちゃん!」
「あ、ああ……」
ハツミさんと一緒に怒りを露わにするフラム。私たちにとってもこの山はとても大事な場所、たくさんの恵みをくれるし、精霊の力も感じることができる。テレビで見た、色々な国の自然の映像でも精霊の力は見えなかったけど、この山は私にも感じられる精霊がいる。そんな場所を売るなんて考えられないわ。
「来週また来るって言ってたわよね? すぐにでも連絡入れて断っちゃおうよ!」
「でも……連絡先消しちまったんだよ……」
「あー……でも仕方ないか、あんなひどい元カノの連絡先なんて速攻で消去するよね、普通」
ちょっと信じられないんだけど、ソウイチさんはあの女巨人と……そ、その……恋人だったみたい。あまりいいお付き合いじゃなかったっていうのは、以前ハツミさんから聞いたことがある。そのせいでソウイチさんはとても苦しんで、身体を壊すまでになったって。
ハツミさんにその頃の写真を見せてもらったこともあるけど、今のソウイチさんとは全くの別人だった。まるで病人みたいにやつれて、明日にも死んでしまうと言われても納得できる様子だった。恋人関係を解消してこの山で暮らすようになったって言ってたけど、それも少し納得できるかな。だってこの山はとても厳しいけど、それと同じくらい優しい感じがするから。
「ハツミ、あの女はまた来る?」
「ええ、そう言ってたからね。本当はうちの敷居を跨がせたくないんだけど、住所を知られたから必ず来るわ。あの女は自分の狙った獲物は逃がさないわ、今回の狙いお兄ちゃんが相続してる山の権利だけど」
「私はあの女と接触するのは勧めない。何かとても嫌な気配がある。どこかで感じたことのある気配に近いんだけど、それが何かが思い出せない」
「大丈夫よ、アタシがきっぱり断ってやるから。ね、お兄ちゃん? ……ってどうしたの? さっきからすごく顔色が悪いけど……」
「心配ないさ、少しばかり見たくない顔を見てたから気が滅入っただけだと思う。悪いが今日は早めに寝かせてもらうよ」
あの女巨人と会ってから、ソウイチさんの顔色がよくない。会いたくない相手がいきなり訪ねてくるんだから、それも仕方ないことだと思うけど、それにしては生気が無さすぎるような……まるで見せてもらった写真のような印象すら感じる。
「確かに顔色がよくない、ゆっくり休むべき」
「そうですよ、ソウイチさんに何かあったら……とても悲しいですから」
「……ああ、わかった。夕飯の支度を済ませたら休むよ」
そう言って立ち上がるソウイチさんは若干ふらついているようにも見えた。治癒魔法を使って癒すことも考えたけど、結局のところそれは身体を酷使することにかわりなく、ゆっくりと体を休めることに勝るものはない。私たちに出来ることは、ソウイチさんの心が休まるようにすることだけなんだから。
本当なら今すぐに休んでもらいたいところだけど、サクラ家のキッチンを担うのがソウイチさんだから、それだけはやってもらわないと危険だ。ハツミさんに頼むとドラゴンすら悶絶する激辛料理が出来てしまうから。あんなものを食べたら命の危険すらあるかもしれないのに、よくハツミさんは平気な顔でいられると思う。
そして夕食後、ソウイチさんは誰よりも早く床に入り、私たちが眠る頃には寝息を立てていた。時折うなされているような呻きをあげていたけど、きっと嫌な記憶が甦ったせいで悪い夢を見ているのかもしれない。その様子を見て私もそうだけど、フラムもまた不安な顔を見せてる。大好きな相手が苦しんでる姿を見て不安にならないはずがないんだから。
「ソウイチ、過去に何があったとしても私たちはずっと一緒。だから苦しまないで」
「ソウイチさん、いつも助けられてばかりですけど、私たちがついていることを忘れないでください」
フラムと一緒に脂汗をかいているソウイチさんの枕をよじのぼり、頬に静かに口づけする。ちょっとはしたない女と思われるかもしれないけど、今の私たちに出来るのはこのくらい。少しでも元気づけることができればそれでいいの。きっと明日の朝にはいつものソウイチさんに戻ってくれるはず。
でも口づけするときに、少しだけ感じた違和感は何だろう? もしかしたら口づけするのに緊張してるから、余計なことに敏感になってるのかな? フラムを見れば顔を真っ赤にしてるけど、この違和感は感じていないみたいだけど……
でも翌朝、ソウイチさんは起きることができなかった。目の下にはっきりとした隈をつくり、脂汗を流しながら昨夜よりいっそう苦しんでいた……
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