1.近づく者
新章スタートです。
紅葉が山肌を覆いつくし、色鮮やかな光景を作り出す。所々に混ざる針葉樹の常緑がアクセントになり、様々な色に色づいた山の木々をより一層引き立てている。佐倉家の管理する山はほぼ他者が入り込むことがないため、歪に切り拓かれていることもない。ここまで見事な紅葉はなかなか見られない。
他者が入り込まないのには理由がある。山の麓、それもかなり離れた場所で舗装された農道は終わっている。そこから先は獣道のような、道ともいえないような場所を徒歩で移動することになり、近道を熟知している佐倉家の者の案内がなければ迷ってしまう。そのため、集落の人間も勝手に入り込まない。
古くからの住人は、迂闊に入れば祟られると信じている者もおり、それもまた人を遠ざけている一因だろう。だがそれは佐倉家、そして山に暮らす獣たちにとっては好都合だった。何せ今佐倉家には、決して他者には知られてはいけない秘密があるのだから。
だが集落の人間以外は決してその類ではない。ただの辺鄙な山村程度にしか思っていないだろう。そして今、集落には珍しく都会からの来訪者が訪れてきていた。信号すら無い集落の、決して広くない道路を大きな外国車が進んでいく。
かつて大地主と呼ばれたこともある農家の主人たちが趣味が高じて外国車を購入していたこともあるが、それはまだ不景気になるなど誰も考えていなかったバブル絶頂の頃の話である。まだ大事に乗られている車もあるが、いずれも年代物になりつつある。
しかし今集落を進む車はそんなものではない。山間の小さな農村には似つかわしくない、高馬力の外国車である。さらに運転席にはサングラスをかけて洒落たジャケットを着た男性、助手席には同様にサングラスをかけて、いかにも高価そうな衣服に身を包んだ女性が煙草の煙を燻らせていた。
窓を開けて道路脇にいた老婆に何事かを確認すると、周囲に騒音と排気ガスをまき散らしながら、さらに集落の奥のほうへと進む。その先にある民家といえば、集落の者は佐倉家しか知らない。
「ずいぶんでかい車が来たな?」
「東京から来た不動産屋らしいべ。佐倉さんとこに行きたいんだってよ」
「こんな辺鄙な山、買うつもりかね?」
「宗ちゃんは売らないだろ、大事な山だしな」
小さな集落、ほぼ全員が顔見知りであるがゆえに、宗一のことも当然知っている。物静かで温和な宗一の交友関係とは到底思えない男女だからこそ、不動産業者という説明にも合点がいった。そしてどれだけ自分たちの持っている山を大事にしているかをよく知っているからこそ、彼らの目論見が上手くいかないであろうと思っていた。
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「ユカリさん、本当にこっちでいいんですか? 何にもないですよ?」
「話には聞いていたけど、本当に何にもないところね。最寄りの駅まで車で一時間以上もかかるなんて思わなかったわ」
「こんな場所の土地、使い道が無さそうですけど」
「いいのよジュンイチ、パパに聞いたら色々と使い道あるって言ってたから。産業廃棄物の処理場にしてもいいし、太陽光発電してもいいし、うまく高速道路を誘導できればラッキーだし」
のろのろと進む外国車の運転席で、スピードを出せないフラストレーションを抑えながら話す男に、ユカリは宥めるように話す。男は現在ユカリが付き合っている男の一人で、とあるイベント会社の社長をしている。年齢は三十代半ばくらいか、やけに日焼けした色黒の肌を、ブランドものであろうシャツで包んでいる。首から提げた金のネックレスが、黒い肌をより一層際立たせている。
一方のユカリは黒のニットにミニスカートという、山に入るには絶対適さない装いだった。スカートの裾から見え隠れする太ももに、ジュンイチの視線は運転中だというのに全く定まらない。
ユカリは三十路とは思えない肌の張りと艶を持っている。今の姿を見れば二十台半ばだと勘違いする者も多く、ジュンイチもまたそれに誘われた男たちの一人だった。ただしその肌は、サラリーマンの月収でも追いつかないほど高価なエステによるものだったが。
「ユカリさん、俺は相場がよくわからないんですけど、本当に買い付けるんですか?」
「どうして買わなきゃいけないの? 私が頼めば宗一君は喜んで渡してくれるわよ。いつもと同じようにね」
「でもそれには……深い仲になるんですよね?」
「心配しなくていいわよジュンイチ、私は宗一君のことなんか全然相手にしてないし、もし付き合ったとしても色々と難癖つけて別れればいいだけだし」
「宗一君……ですか」
「あんな奴全然好みじゃないし、ジュンイチのほうがイケメンだから安心してよ。それよりも私と結婚するつもりなら、自分の女関係も綺麗にしなさいよね?」
車内ではとても宗一本人には聞かせられない内容の会話が続く。結局のところユカリが宗一に会いに行くのは、宗一が所有者となっている山の権利を貰うため。多少の色仕掛けでもしてやればすぐに落ちると踏んでのことだ。
事実、ユカリはその方法で多くの男に貢がせてきた。彼女が欲しいと言えば、相手の男は寝食を削ってでもそれに応えてきた。中には借金に借金を重ね、追い込まれて自ら命を絶った者もいる。尤もその金融業者を紹介したのはユカリであり、当時本命候補だった彼氏のうちの一人が経営する闇金だったのだが。
「最近パパのくれるお小遣いも減ってきてるし、この山を手に入れればきっと臨時ボーナスくれるわ。お金が入ったら一緒に海外行こうよ、一か月くらい」
「いいですね、それ」
ジュンイチはまだ見ぬ宗一という男を多少なりとも哀れに思ったが、ユカリとの海外旅行という甘美なエサに惑わされていた。一方のユカリは全く罪悪感など抱いていない。彼女にとって自分が欲しいと思ったものが手に入らなかったことは一度もなく、それが当然のことと思っているからだ。
彼女にとって宗一の持つ山が魅力的だということはない。山を手に入れたことで入ってくる大金のほうが魅力的なのだ。やっていることは結婚詐欺のようなものだが、不思議と彼女が罪に問われたことはない。彼女の父親が財力に任せてもみ消していることは彼女自身知らないが。
「家が見えてきましたよ?」
「もうすぐね、待ってて宗一君。あなたの財産は私が有意義に使ってあげるから」
集落から離れた場所に建つ古民家に向けてゆっくりと進む外国車。佐倉家にとって招かざる存在が、涎を垂らしながら大口を開けて近づいていた。
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