探し人
閑話です。
シェリーがいなくなった後の話になります。
「そっちに一匹行ったぞ!」
ダンジョンの奥、決して若くは聞こえない男の声がする。その声に呼応するかのように大きな蝙蝠のような魔物が飛んでくる。暗闇に光る真っ赤な双眸は、ダンジョンに入り込む人間と言う獲物を喰らうべく凶暴な輝きを放つ。
「私に任せてください」
凛とした女性の声がじめじめしたダンジョンの空気に清涼感を与える。魔物の前に立つのは白銀に輝く鎧を身に着けた赤い髪の女騎士。女騎士は迫りくる魔物に臆する素振りを全く見せずに、腰に着けた剣を抜き放つ。宝石のちりばめられた剣は松明の灯りに煌びやかな輝きを放ち、その輝きが軌跡を描くと魔物の身体は両断されていた。
「すまねぇ、罠の解除にミスった」
「これで何度目だ! もっと緊張感持てよ!」
女騎士の見据える暗闇から姿を現したのは、背に大剣を背負った戦士と如何にも偵察が本業といった年配の男。怒りの形相の戦士とは正反対に、年配の男はどこ吹く風で飄々とした態度を崩さない。
「こんな事前情報もないダンジョンなんだから仕方ないっしょ」
「シェリーならこんな初歩的なミスはしなかったぞ!」
「そのシェリーさんとやらが行方不明だから俺に頼んだんでしょ? 嫌なら抜けるけど?」
そんなやり取りを半ば呆れ顔で眺めていた女騎士の陰から黒いローブを纏った魔道士が顔を出す。フードに隠れているために全貌はわからないが、突如始まった口論に辟易しているのはへの字に曲げられた口元から容易に想像できた。
「口論は時間の無駄。それより先を急ぐ。シェリーが心配」
「はいはい、『最果ての賢者』サマは友達思いなこって」
「テメエ!」
「こんなことで時間を潰さないでください、大事な仲間の捜索なんです。一刻の猶予も無いんです」
魔道士の咎めるような口調にもおどけた様子の年配の男に戦士が激昂するが、女騎士は冷静に言葉を挟む。チームワークが重要なダンジョン探索においてこのような口論が繰り広げられている時点で、このパーティが即製のものであることは明らかだ。女騎士は場の空気を変えるべく言葉を続ける。
「このダンジョンはまだどこにも報告が為されていない手つかずのものですわ。ここで貴方が発見したものは自由にしていいという取り決めを忘れないで欲しいですわね」
「はいはい、わかってますよ。これまで目ぼしいものは何も出てないですけどね」
「まだ先は長いです、だからこんなところで時間を無駄に出来ないのですよ。貴方にその気が無いのなら一人で戻ってもらっても構わないのですが? 魔物共の巣窟を独りで抜けることが出来るなら、ですけど」
「ちっ、そんなの無理に決まってるっしょ」
「なら先に進みましょう。言ったはずですわ、これは仲間の捜索です、と」
女騎士が先に進もうとすると、年配の男はそれを制して先に歩き出した。その背中には不承不承従っているという気配がありありと感じられるが、このパーティには斥候がいないために仕方なくその後についていく。未だ納得できていない戦士も魔道士の背後を護るように歩き出した。
「そろそろ着きそうかい?」
「ええ、もうすぐです。この辺りには見覚えがあります」
斥候の問に女騎士が簡潔に応えるが、その声は微かに震えている。斥候の男はそれに気づくことはなかったが、戦士と魔道士はそのことに気付いていた。彼らもまだ女騎士同様にこの場所に見覚えがあったからだ。
「カルア、もうすぐだ。もうすぐあの部屋だ」
「大丈夫、シェリーはきっと待ってる」
「バド……フラム……すみません、もう大丈夫ですわ」
彼らの胸に去来するのは先だってこのダンジョンの奥で生き別れた仲間のこと。優秀な斥候であったが故に先陣を任せたが故に、その部屋に仕掛けられた罠にかかってしまった。カルアと呼ばれた女騎士は未だに罠にかかった斥候のエルフの姿を夢に見る。扉が閉まり切る直前に見た彼女の茫然とした表情を一時として忘れたことはない。
最奥に一歩一歩近づくにつれ、彼女たちの脳裏にあの時の光景が甦る。大事な仲間を置いていかなければならないという苦渋の決断を下した自分たちを許せなくなる。あれからもう一月以上経過しており、食料もなくダンジョンの奥に取り残された者が生存している可能性など塵にも等しい。しかし仲間として、せめて遺骸でも持ち帰らなければという思いに駆られてこの捜索に踏み切ったのだ。胡散臭い外部の斥候まで雇い入れて。
「たぶんここが最下層だ。ここで合ってるかい?」
「ああ、ここです……間違いありませんわ……あの折れた剣は間違いなくバドのものですから」
「本当かい? 似たような剣はいくらでもあるんじゃないの?」
「幾つもの死線を潜り抜けてきた相棒を見間違える戦士がいるかよ」
「間違いない……そしてこの中には……ドラゴンがいる」
「ドラゴンだと! そんな話聞いちゃいねぇ!」
フラムと呼ばれた魔道士の一言に斥候が声を荒げる。
「お前ら騙しやがったな! ドラゴンとやり合うなんざどんだけ報酬もらっても割が合わねぇ!」
「言ったら受けてもらえなかったでしょう?」
「当たり前だ! いくら剣姫カルアの誇るパーティだとしてもドラゴン相手に勝てるはずが無ぇ!」
「やってみなきゃ……わからない」
「ああ、やる前から諦めてたら負け確定だろ」
斥候の男の動揺とは打って変わって、カルア、バド、フラムの三人は戦意を漲らせる。それを見た斥候はさらに言葉を続ける。
「金級の剣姫カルア、轟剣バド、それに特級冒険者、最果ての賢者フラム! この三人なら斥候なんざいくらでも雇えるだろうがよ! たかだか銀級の斥候ごとき放っておけばいいだろ! 一月以上も経過して、なおかつドラゴンだと! 生きてるはず無ぇ!」
「シェリーは実力は既に金級ですわ、ただその……ちょっとだけ運が悪いだけですのよ」
「運の無い斥候なんざ捨てちまえ! 俺はここで抜けるからな! ドラゴン相手にするくらいなら魔物の群れを突っ切ったほうがマシだ!」
それだけ言い残して斥候は走り去っていった。だが三人はそれを止める様子を見せなかった。そもそもドラゴンのいるダンジョンに入るなど如何な高名な斥候でも引き受けてくれないだろう。たった一体現れただけで国が滅ぶと言われているほどの存在が相手となれば、あの斥候の反応のほうが正しい。むしろたった三人で挑む彼らが異常なのだ。だがいくら異常だと指差されても、彼等には挑まなくてはならない理由がある。
「この奥にシェリーが……お待たせしました、迎えに来ましたわ」
「ああ、今度は置いてきぼりなんてしねぇ、最後まで付き合うぜ」
「シェリー……私の親友……」
それぞれの胸にこみあげてくる思いは等しく仲間であるシェリーのこと。せめて彼女の生きた証だけでも持ち帰らなければ仲間としての責任が果たせない。たとえ災厄の如きドラゴンが相手だとしても、この責務だけは果たさねばならないという覚悟が扉にかけた手に力を入れさせる。
鈍重な響きと共に石の扉が開く。かつて味わった絶望に小さく震える足に鞭打つように、ゆっくりと部屋へと足を踏み入れる。そこで気付いた一つの異変。
「何もない……?」
三人が見た者は何もない広い空間。そこに生命の痕跡などなく、所々に明らかに獣の類と思われる骨の欠片のみ。シェリーの姿どころかドラゴンの痕跡すら見当たらない。
「待てカルア、シェリーはあの時『横穴がある』と言っていた。そこに隠れる、と」
「あ、ああ、そうでした。横穴を探しましょう!」
バドの言葉に我に返ったカルアはバドと共に周囲の壁を探すが、あるのは何の変哲もない石壁があるばかり。見上げればはるか高くに空が見えるが、そこにもシェリーが隠れることが出来るだけの大きさの横穴など見当たらない。そんな中、部屋の中ほどでフラムがあるものを発見した。
「見つけた」
「どうしました、フラム?」
「それは……髪飾りか? それが何だってんだ?」
「これは私がシェリーにプレゼントした髪飾り……お揃いの……」
フラムがフードを外せば、肩ほどで切りそろえられた青い髪に着けてあるのは花を象った髪飾り。そしてフラムの手にあるのは同じ髪飾りの破片。フラムの瞳から大粒の涙が零れだす。
「シェリー……ごめん……ごめん……」
シェリーは生きている、そう信じたいフラムだったが、この髪飾りの破片が強く語り掛けるものに心を鷲掴みにされてしまう。シェリーはドラゴンに噛み砕かれてしまったのだ、そしてシェリーを喰らったドラゴンはここを飛び立っていったのだと。
「フラム、帰りましょう。シェリーと一緒に」
「……うん」
「……」
言葉少なに部屋を出る三人。ほんの僅かな可能性に賭けた三人だったが、結果は最悪だった。いや、その可能性自体ほとんど信じていなかったのかもしれない。シェリーが死んだという事実が欲しかっただけなのかもしれない。そしてその事実の証が出に入ってしまったのだ。
どこをどうやって戻ってきたのかわからないうちに、三人はダンジョンの外に出ていた。途中に幾度も魔物との戦闘があったが、それすら覚えていなかった。斥候は既に逃げ延びた後のようで、ここに来るまで乗ってきた馬の一頭が消えていたが、三人にはそんなことはもうどうでも良かった。
冒険者がダンジョンで死ぬことなど決して珍しくはない。彼等とてこれまでにそのようなことは何度も経験している。もちろんシェリーも同様だ。それを見てある者は次は自分かもしれないと恐れ慄き、ある者はそうなるまいと決意する、それが冒険者の生きざまだ。
「悪いが俺はここまでだ、足を洗う」
「バド?」
「俺はな、今まで仲間を救えなかったことは何度もある。その度に無力さを恨んで、強くなって、轟剣なんて呼ばれるくらいになった。でもな、仲間を見捨てて逃げたことは一度も無かった。それが今日、見捨てたことになっちまった。もう轟剣なんて名乗れねぇよ、だから冒険者は引退だ」
「バド……」
「そう暗い顔すんなって。これをきっかけに実家の鍛冶屋を継ぐさ、嫁を貰ってな。いつもの宿屋の娘いるだろ、そろそろ身を固めるいい機会になった。またどこかで会ったら酒でも飲もうぜ」
バドは大剣を背負いなおすと、馬の一頭に乗って走り出す。カルアとフラムは無言でその姿を見送っていた。本来ならば仲間が死んでも割り切るのが冒険者稼業というものであり、ここまでシェリーのことを引きずる自分たちが異質だということは理解していた。理解はしていたが、割り切ることが出来るほどシェリーとの冒険は希薄なものではなかったのだ。
「フラム……私は……」
「カルアも故郷に戻るといい。カルアはミルーカ家の跡継ぎ、貴族としての責務を果たすべき」
「フラムは……どうするのですか?」
「私は……まだ信じない。シェリーが私との約束を破ったことは……一度もない」
「わかりました、では私もここでお別れです。もし我がミルーカ領に来ることがあれば我が家に寄るといいですわ。歓待いたしますわ」
未だシェリーのことを諦めていないフラムのことをカルアは責めない。それもまたフラムの選んだ生き方であり、他者が口を挟んでいいものではない。カルアとて自分の立場を考えて行動していたのだから、どうこう言えたものではない。
心残りを振り切るかのように馬を走らせるカルア。フラムは髪飾りの破片を握りしめながらその姿を見送る。その心に二人に対しての怒りが無いかと問われれば、フラムは首を横に振るだろう。だが彼等のとった行動は、シェリーに心を縛られることで前に勧めなくなると思って選んだ道なのだ。フラムも本来ならそうしなければならなかったのだ。だが……
「まだ可能性は……ある。髪の毛ほどの細い道だけど……」
フラムは考えていた。もしこの髪飾りをつけたシェリーがドラゴンに噛み砕かれたのなら、何故髪の毛が付着していないのか、と。とすればこの髪飾りはドラゴンから逃げる際に落とし、それをドラゴンが踏み砕いたのではないか、と。しかしそれは星を掴むような荒唐無稽な話であり、あの二人を巻き込むことはできないと判断したからこそ黙って見送ったのだ。
「見つけてみせる……最果ての賢者の名に懸けて」
どれほど時間がかかろうとも、必ず見つけ出す。そう心に決めたフラムはアキレア王国の宮廷魔導士の誘いを断り、自らの研究室に籠ることになる。まさか親友が別の世界で暮らしているなどと知ることなく……
読んでいただいてありがとうございます。




