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巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者  作者: 黒六
暴虐の徘徊者
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12.そして日常へ

「初美ちゃん、落ち着きなよ」

「そんなこと出来るワケないでしょ! 相手は熊、それもヒグマなのよ? ツキノワグマだって相手にしたことないのに、ヒグマ相手だなんて落ち着いていられるはずないじゃない!」


 昼間だというのに雨戸の閉まった佐倉家、さらにはいつでも逃げられるようにとエンジンがかかったままの大型バイク。普段ではありえない異様な佐倉家の室内では、取り急ぎの荷物を纏めた初美と武が緊張の色を隠せないでいた。


 山育ちの初美でも、ヒグマの恐ろしさは知っている。全てが外部から入った情報ではあるが、特にここ数年人里近くに降りてきたヒグマによる被害が報道されることも多くなっていることが初美の焦りを強くしていた。


 唯一の肉親である宗一が、そんな相手を仕留めるべく山へと入った。本来なら集団で追い込みながら対処するのに、たった一人で、である。もちろん茶々もシェリーもフラムも一緒ではあるが、それでもなお不安が消えることはなかった。


「……銃声」

「うん、そうだね」


 山から微かに聞こえてくるのは、宗一のライフルの銃声。この集落近辺で猟銃を所持しているのは宗一だけ、ということは今宗一はヒグマと戦っているということ。一体自分の兄はどんな気持ちで戦っているのだろうか。宗一の心の内を想うたびに、初美の焦りは大きくなる。


 本当なら止めるべきだったと、ずっと考えていた。だが宗一の思いも理解できた。ヒグマが肉の味を覚えれば次に狙うのは家畜であり、農作物の味を覚えれば畑を狙われる。当然そこには人の暮らしがあり、ヒグマが狙いを定めるのは必定だ。唯一対抗できる武器を持つ者の責務を果たすべく、宗一は立ち向かっているのだ。


 さらに続いて聞こえる銃声に、初美の心はかき乱される。父親も猟銃を使っていたせいか、その意味をよく知っている。一撃で仕留められなかった、ということはヒグマが反撃に出た可能性が高い。それを迎え撃つための第二射、第三射だとすると、宗一が危険な状況にあると考えるのが普通だ。


「大丈夫だよ、今まで何度もやり遂げてきたんでしょ? もっと義兄さんを信じてあげようよ」

「うん……ありがと……」


 武の言葉にか細い声で応える初美。そして少し間をおいて聞こえる一発の銃声を聞き、初美の表情が少し明るくなる。銃声が聞こえるということは、宗一がまだ生きている証。宗一以外にあの場所にライフルを扱える者がいないからこそ、状況が好転したとも考えられる。


 初美は自分の心に何度も言い聞かせながら、じっと宗一たちの帰りを待つ。大丈夫、きっと戻ってきてくれる、そう信じて。そして初美の願い通り、それが叶うのはもう少し後のこと……



**********



「で、ヒグマは結局どうしたの? スコップもなくどうやって埋めたの?」

「シェリーとフラムが魔法で穴を掘ってくれたんだよ。それと次郎たちが手伝ってくれてな」


 佐倉家の夕餉、食卓を囲むのはいつもの面々。誰一人として欠けることなく日常に戻ってきた喜びがそこには満ちていた。いつもよりも肉の多い食卓はとても豪勢に見えた。


 ヒグマを倒した後、スコップを取りに戻ろうとするのを止めたのはフラムだった。地魔法を使って地面に穴を掘ればいいとの提案に、疲労困憊だった宗一は反対するはずもなかった。シェリーも手伝ってヒグマの下に穴を掘り、今度はどうやって埋めようかと考えていると、今度は次郎たちが行動に移した。


 一斉に足で土を後ろに蹴り、どんどんヒグマが埋まっていく。さらにフラムとシェリーの魔法も加わり、ヒグマは完全に土の中に消えた。元々佐倉家の人間以外は勝手に立ち入ることの出来ない山なので、これでヒグマの存在が知られることはないだろう。後は土の中の微生物が分解してくれるはずだ。


 だがやることはまだ残っていた。ヒグマの足止めのために犠牲になった猪たちの弔いだ。猪たちの亡骸のある場所へ戻り、穴を掘り猪を埋めていると、次郎が一頭の猪の前に居座って動かなかった。比較的外傷の少なかった亡骸の前に居座る次郎は、しきりに茶々に語り掛けているようだった。


 次郎の意思が茶々に伝わり、茶々の言葉をフェンリルが意訳したところによると、この猪を持っていけということらしかった。ヒグマという最大の難敵を倒してくれたことに対する礼のつもりらしかった。


 宗一からすればヒグマを倒したことは自分の家族を護るために必然だっただけで、次郎のためにやったことではない。しかもこの猪は宗一たちのために死んだ。そんな猪を食べることは少々躊躇われたが、次郎も他の猪もそれを望んでいるようだったので、持ち帰ることにした。宗一が猪を背負って戻ってきた時に、それを見た初美が腰を抜かすという事件もあったが。


「ヒグマの血のところで血抜きしたから、もし見つかっても言い訳がつくから良かったのかもしれないがな」

「クマ肉……ちょっともったいない気もするけど仕方ないよね。熊の手は高値で売れるみたいだけど、出所を聞かれると困るしね」


 捌いた猪肉を使った豪勢な食卓を囲み、いつもの笑顔が戻ってきている。これで危険が無くなったことに皆安堵している。笑顔があふれる食卓の横で、一匹だけ落ち込んでいる獣がいるが、それについては誰も触れようとしない。


『ほ、焔の君、我も肉が……』

「ガゥッ!」

『は、はい! すいません!』

「フェンリルはもっと反省するべき、勝手に先走ったせいで皆が危険な目に遭った」

「そうですよ、ジローさんたちにも被害が出たんですから」


 勝手に攻撃を仕掛けてヒグマを攻撃的にさせたことを、戻ってきてから茶々にしこたま怒られたフェンリルは夕食抜きの罰を受けていた。落ち込む姿はどこからどう見ても叱られてしょげているチワワそのものだ。


「そっか、シェリーちゃんとフラムちゃんも大活躍したんだね。そうと知ってればカメラを用意しておいたのに……」

「初美ちゃん、ずっと不安そうな顔してたじゃない」

「タケちゃん、余計なこと言わなくていいの」


 初美がいつもの調子を取り戻したことに皆が一斉に笑い出す。いつもの佐倉家、笑いが絶えない佐倉家が戻ってきた証に皆が安堵している。ようやく平穏な日常に戻ってこれたことに喜んでいる。


「これでようやく年末の即売会に向けた製作に入れるわ」

「ハツミ、今回はどういうものを作る?」

「そうね、水着は夏の展示会でやったし、正攻法で行こうかな。シェリーちゃんもアドバイスもらっていい?」

「はい、私で良ければ」


 その様子を見て誰よりも安堵しているのは宗一だった。たった一人の肉親である初美の異変を宗一が気付かないはずがない。必死にそれを隠しているようだったので敢えて触れなかったが、ようやくいつも通りの初美に戻ってくれた。


「……武君、初美のこと頼んですまなかった」

「いえ、いいんですよ。僕に出来るのはあのくらいでしたから」


 何より武がそばにいてくれたことが大きいことは、誰の目から見ても明らかだった。武は謙遜しているが、もしあの時たった一人で家に取り残されていたら、どうなってしまったかわからない。不安に押しつぶされる苦しみは宗一もよく知っている。大事な妹を支えてくれたということは、今回の件の影の立役者と言っても過言ではないと宗一は考えている。


「これからも初美のことをよろしく頼む」

「……わかりました」


 既に創作者モードに入ってしまった初美を見ながら、酒を酌み交わす宗一と武。いつもどおりの光景を眺めながら、改めて家族の絆が強くなったことを感じた宗一は、これから先何があっても大丈夫だろうと安心しながら、手にした杯を飲み干すのだった。

これでこの章は終わりです。

次回は閑話の予定です。

読んでいただいてありがとうございます。

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