10.研究の成果
ソウイチさんの放った弾丸は、突進してくるヒグマに当たった。当たったけど、それはヒグマの右肩あたりに小さな血飛沫をあげただけだった。ヒグマはその衝撃に驚き、そして再び二本足で立ちあがった。私たちとの距離はほとんどない。
二発、三発と続いて弾丸が発射されるけど、ヒグマの胸あたりに当たる。効いてるはずなんだけど、それでもヒグマの目から危険な光が消えない。それどころか、再びこちらに向けて突進を始めた。
「これで……最後にしてやる!」
『グオァ!』
ソウイチさんの気合を掻き消すようなヒグマの咆哮。ソウイチさんに残された弾丸は残り一発、これで仕留められなければもうどうすることもできない。そう思った……その時……
「シェリー! サポートお願い!」
さっきからずっと魔法を構築していたフラムの声。ヒグマに注意を向けていたからわからなかったけど、これってあの魔法? 少し違うみたいだけど……ベースが土魔法で、そこに火魔法を加えるところまでは一緒だけど、全体的な構成が違う。
「ここで絶対に決めないといけない! 何としてもここでヒグマの動きを止める!」
「わかったわ! 何をすればいいの?」
「土魔法の補強を手伝って!」
土魔法はあまり得意じゃないけど、この山に宿る土の精霊から出来るだけ力を借りて、指示された箇所に魔力を送り込んで強化する。元の世界に比べたらとても精霊の数は少ないけど、それでもわずかに存在してる。たぶん私がエルフだから力を貸してくれてるのかしら。
ヒグマはソウイチさんの放った弾丸によろめくけど、それでも倒れない。さらに怒りを増大させてソウイチさんを睨みつける。再びに戻れば、今度は止まらないだろう。私たちのところへ来るまで、そしてソウイチさんに渾身の一撃を与えて絶命させ、喰らうために。そんなことは絶対にさせない!
「フラム! まだなの?」
「これで……いける! くらえ!」
フラムの魔法が完成する。場所はヒグマの足元、放たれた土魔法がヒグマの足元の土を高い密度に圧縮させて岩を作り出す。出来上がった岩石は……石柱のようだった。それも極太の。大地から猛烈な勢いで伸びた極太石柱は、無防備なヒグマの腹に直撃した。
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残り一発、これを外したら終わりという重圧が引き金にかけた指先の感覚を麻痺させる。銃身を支える左腕が震え、照準が定まらない。焦れば焦るほど手元がぶれてしまう。このままでは全員奴の餌食になってしまう。
「くらえ!」
胸ポケットからフラムの声が聞こえる。と同時に信じられない光景を見た。シェリーが来てから大概のことには驚かないと思っていた。ドラゴンなんていう空想上の生き物すら目の当たりにした。それに匹敵する衝撃の原因は、奴ですら抱えきれないくらいに極太の石柱が山の斜面から生えてきたことだった。
猛烈な勢いで生えてきた石柱は、ヒグマの腹部に直撃した。相当な衝撃がヒグマを襲ったのか、動きが止まる。だがそれも一時のみ、すぐにもがきだす。駄目だ、これじゃまだ足りない。
「まだまだ! ここからが本番!」
フラムの声とともに、更に彼女以外は誰も想像していないことが起こった。石柱の先端が突然爆散し、同時にヒグマの巨躯が宙高く舞い上がったのだ。あまりにもあり得ない光景にわが目を疑う。
「あの石柱の中からは爆風が噴出する仕組みになってる。ソウイチのライフルから思いついた魔法」
「なんて恐ろしい魔法を……っておい、このままじゃ沢に落ちるぞ」
あのヒグマを吹き飛ばす威力には驚くばかりだが、何より今はヒグマの対処が先だ。この高さから沢の岩に叩きつけられれば、人間なら即死だろうが、ヒグマもそうだとは限らない。いや、それでも奴は生き延びるだろう。厳しい野生を生きる獣の生命力は決して侮っていいものじゃない。そしてそのことを俺と同等に理解している存在がここにいたことを忘れていた。
「ワンッ!」
「チャチャさん! フォローします!」
状況を見守り、いつでも動ける体勢だった茶々が一声吠えると宙へと駆け上がる。周囲の木の葉が舞い上がり、相当な勢いの風を纏っているようだ。そこにシェリーが気付き、彼女の風の魔法によって茶々の纏う風がさらに強まり、周囲の土や枝葉を巻き込んで小型の竜巻のようになる。
土埃でうっすらと色の付いたつむじ風が宙を舞うヒグマめがけて降りていく様は、竜巻が発生して天空から地上へと破壊の触手を伸ばす様を錯覚させる。つむじ風の先端が触れた途端、制御を失ったヘリコプターのように錐揉みを始めるヒグマ。
「ワォォォォン!」
茶々の一際大きな遠吠えとともに、錐揉みするヒグマは加速をつけて沢へと落ちてゆく。重力による自由落下の加速に風による加速が加わり、通常ではありえない速度で落ちるヒグマ。そしてつむじ風の合間から、一点を見つめる茶々の姿を見て、茶々が何を狙っているのかを理解した。
そういうことか。その攻撃でもまだ奴に対しては決定打ではないということか。それならば利用できるものは利用しようという茶々の思惑、なら俺はそのフォローに回るべきだ。
茶々が見つめていたのは、沢に点在する岩の中でも一際巨大な岩。かつて百年以上前に降った大雨により山から転がり落ちたと言われている岩、通称「大岩」。茶々と一緒に山を歩いた時、いつも休憩場所にしている岩。
「茶々! 大岩を狙え!」
「ワォォォン!」
茶々の返事を聞くと同時に、山の斜面を駈け下りる。俺の速度ではどうやっても激突の瞬間には間に合わないが、それでもフォローに向かう必要がある。この高さとあの速度、ヒグマとて決して無傷で済むはずがない。しかし完全に絶命していることを確認しなければこの戦いは終わらない。
もし奴がまだ動ける状態だったとすると、茶々では決定打に欠ける。茶々のブレスでも、この高さからの岩への衝突でも駄目となれば、やはりライフルによる頭部の狙撃以外に終わらせる方法はない。ここで逃がして回復させてしまえば、奴は様々なことを学習してとんでもないバケモノへと進化するだろう。
「シェリー! フラム! 落ちるなよ!」
「はい!」
「わかった!」
斜面を駈け下りるという行為は非常に危険が伴うが、そんなことに構っている場合じゃない。俺が間に合わなければ、茶々は独りで奴と戦うつもりだろう。大事な家族にそんなことをさせる訳にはいかない。
ライフルを担ぎ、木々を支えに斜面を駈け下りる。数十メートル先までの移動だというのに、こんなに距離があるのかと錯覚するほどに時間がゆっくりと流れる。一刻も早く沢に辿り着かなければ、そんな思いに駆られながら斜面を降りる中、まるで交通事故のような衝突音が沢のほうから聞こえてきた。
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