9.特攻
ソウイチの撃ったライフルは、ヒグマの胴体に吸い込まれていった。ドラゴンの強固な鱗すら貫通した、魔法強化された必殺の弾頭。でもヒグマには効いていない。その証拠に、弾丸はヒグマの身体を貫通しておらず、身体の表面に小さな赤いシミを作っただけ。ソウイチが言っていた、獣毛と脂肪と筋肉による三重の防御により威力を削がれたんだ。
やはり頭を一撃で破壊しなければ倒せない。それはドラゴンの時と同じだけど、決定的に違うのは、ヒグマはとても巨大だということ。そして巨体に似合わずとても俊敏に動くということ。こんな状況で頭を狙うのはとても難しいはず。どうやってあいつを足止めしようか……
突然思考が停止した。途轍もない威圧が私たちに向けられている。威圧の主はもちろんヒグマだ。ソウイチの一撃でさらに怒りに火がついたらしく、憤怒の形相でこちらを見ている。
「……フラム」
「シェリー、あいつはソウイチを危険だと認識した。これで狙いは確実にソウイチに移った」
「そんな! あの一撃を喰らっても倒れない相手なのよ?」
「このままだとソウイチは私たちだけでも逃がそうとする。でもそんなことは許されない。一生添い遂げると約束したのだから、たとえ如何なる死地でも一緒に戦う。私たちにはそのための力がある」
「フラム……そうよね、私やフラムの使う魔法はこの世界には存在しないもの。きっとヒグマにも通用する」
「そう、もし魔法が決定打にならなくても、ソウイチが仕留めるまでの牽制になればいい。私たちは独りで戦っている訳じゃない。やろう、シェリー」
呪文を紡ぎ、魔力を練り上げ、魔法陣を構築する。幸いなことに、魔王の一件で私の魔力は飛躍的に多くなった。魔王と同化したことで、魔力の器もまた大きくなったらしい。今まで何とか制御していた魔法も、しっかりとした手応えを感じられる。
「スズメバチの時のやつを!」
「わかったわ!」
ヒグマの足元に魔法陣を飛ばし、炎の魔法を完成させると、そこにシェリーの風の魔法が加わる。風の精霊によるつむじ風は炎に新鮮な酸素を供給し、まるで生き物のようにうねる。巨大化した炎の竜巻は、狙いを外さずにヒグマの全身を包み込む。
でもこれじゃ全然足りないのはわかってる。ヒグマはスズメバチとは違う、ほんの一時の炎じゃ致命傷には程遠い。魔法攻撃は確かに強力だけど、あんな巨大な相手に使うことを想定していない。ドラゴンよりも巨大な生き物なんて私たちの世界にはいなかったんだから。何より魔法は持続力がとても短い。このまま長時間炎を出し続けられればいいんだけど、そこまでは私たちも制御できない。
だからどうした? 一撃で倒す威力がないなら、何度でもやればいい。様々な方法で奴にダメージを与えればいい。そうすればきっとソウイチが仕留めてくれる。私たちの夫になる男は、あんな巨大なだけの獣になんて負けない。
「シェリー! まだまだ! もっと行くよ!」
「わかったわ、任せて!」
炎が収まると、全身からうっすらと煙をあげているヒグマが現れた。獣毛は所々焼け焦げているけど、決定打にはなっていない。通常の獣と違い、ヒグマは炎を恐れないというのは本当だった。こちらを睨みつける両目からは、さっきまでとは比べ物にならない殺気が籠ってる。
ヒグマの姿を見るなり、シェリーが風の刃を放つ。威力からすると微々たるものだけど、ヒグマの鼻先を狙うことで着実に勢いを削いでいる。昨夜私たちもネットで調べて準備をしておいて良かった。ヒグマはスズメバチの巣を狙うことがあり、それに対抗するためにスズメバチはヒグマの目や鼻を狙うという。だからスズメバチは黒いものに集中攻撃すると書かれており、あまり信じていなかったけど、効き目は出ている。
「フラム! 今度は何!」
「わからない! 持てる全てを使う!」
さっきは炎、でも同じことを続けていると学習される恐れがある。炎、水、風、地、私の持つ魔法を全部出しきるつもりでやる。
「フェンリル! ブレスじゃダメ、魔法を使って!」
『我に指図するな! 我もそれがいいと思っていたところだ!』
フェンリルがぼーっとしていたので指示を出すと、ふざけたことを言ってきた。こいつが先走ったおかげで予定が狂ったのに、どうしてこんなに偉そうにできる? 後でチャチャに厳しく叱ってもらおう。
火が、水が、風が、木が、土が、その姿を変えてヒグマへと襲い掛かる。魔法を知らないヒグマは障壁を張ることなくその全てを受け止める羽目になった、でもまだ決定打になっていない。もっと強力な、力を一点に集中させた力でなければヒグマの強固な防御力を突破できない。やはりソウイチのライフルに頼らなきゃダメだ。
私もシェリーと一緒にライフルのような破壊力を持つ魔法を作ろうと試行錯誤してみた。結論は……それらしい魔法は出来た。でも……とてもじゃないが実用的じゃなかった。使う魔法陣の精緻さ、それをいくつも重ねて使うという難易度の高さ、連結と溜め、解放のタイミング、そして消費される魔力の多さ、いくつもの難関を全てクリアしてようやく発動した。到底実戦でそれだけの猶予をくれる相手なんていない。私の絶好調の時でも一度しか使えない、博打のような魔法を戦略に組み込むわけにはいかない。
「効いてるわ!」
『ふん、当然だ! この我がいるのだからな!』
ヒグマは降り注ぐ魔法に手も足も出ず、攻めあぐねているようだ。だけど与えてるダメージは決して大きくない。シェリーもフェンリルも表情を明るくするけど、心のどこかに何かが引っ掛かる。ドラゴンすら叶わない獣がこの程度で終わるものなの?
「ワンワンッ!」
うん、わかってる。チャチャはまだ油断しちゃダメだって言ってる。まだヒグマは余力をたっぷり残してるはず。あの巨体が兼ね備えるスタミナはこの程度じゃ削りきれない。何か大きな一撃を食らわせないと、動きを止めることは出来ない。でもどうやれば……
もしヒグマが狙うとすると、どんな時にどんな方法を使う? ヒグマの持つ攻撃手段を効果的に使うとしたら、どう動く? そして思い浮かんだ最悪の動き、だけどヒグマにとっては最良の方法。相手は野生の獣、ここまできて遊ぶことはないはず、きっと私が思った通りのことをする。
自分の予想を信じて魔法を構築する。狙うは一点、タイミングは一瞬、はずせば間違いなく私たちの命はない。だからこそ外せない。確実に当てなきゃいけない。そのために全神経を魔法の構築とヒグマの動向の把握に使う。そして……ついに私が懸念していた状況が起こってしまった……最悪の状況への第一の扉が開いてしまった……
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シェリー、フラム、さらにはフェンリルの魔法がヒグマへと降り注ぐ様を、ライフルのスコープ越しに見る。魔法攻撃は派手ではあるが、使う者のサイズから考えてもヒグマに致命傷を与えるにはほど遠い。攻めあぐねているようだが、まだまだ余力は残しているはず。茶々もそれに気づいているのか、警戒を促すように吠えている。猪たちは少し離れた場所からいつでも突進できるように準備している。
「茶々! 斜面から猪が落ちないようにフォローしろ!」
「ワンッ!」
標高があるような山ではないが、それでも斜面を落ちれば下の沢まで四十メートルくらいの高さがある。斜面を転がり落ちれば大怪我は必至だ。猪とはいえ一緒に戦う仲間だ、そんなことで怪我させたくない。しかも下の沢には所々に大きな岩があり、そこにぶつかれば命も危うい。
スコープ越しのヒグマは相変わらず攻めあぐねているが、その目から獰猛な輝きは消えていないどころか、より凶暴な光を宿している。何かを狙っているのか?
その時、ほんの僅かな一瞬ではあるが、降り注ぐ魔法が途切れた。フラムは何か大きな魔法の準備をしているようで、さらにシェリーとフェンリルの魔法を放つタイミングがずれてしまったようだ。そんな隙をヒグマが見逃すはずがなかった。
『グオァ!』
腹の底まで響くような咆哮をあげ、ヒグマが前進する。しかし猪たちはそれを見越していたようで、足止めすべく再び突進するが……魔法攻撃にさらされてフラストレーションが溜まりきったヒグマの戦闘力は先ほどの比ではない。耳ざわりの非常に悪い破砕音が腕の一振りごとに生じ、猪が一頭、また一頭と屠られていく。
『ブモ! ブモ!』
それでも次郎は仲間たちに突進を命じ、自らもまた突進すべく足を踏み鳴らす。
「やめろ次郎! そんなことしなくていい!」
次郎たちがしていること、それは特攻。進んだ先にあるのは明確な死、それでもなお俺が仕留めるタイミングを作るため、それだけのために特攻しようとしている。こうしなければ勝てない、そこまで行き着いたが故の行動。だがそんなことを受け入れられると思うか?
猪だってこの山の住人。危険な動物ではあるが、生活圏が重ならないようにお互いの配慮が出来ている。かつては敵対していたが、今では良き隣人と呼べるくらいになっている。そんな連中が命を使い捨てにしようとしているなんて、受け入れられるはずがないだろう。
「茶々! 止めろ!」
「ワンッ!」
『ブモ!』
茶々がヒグマと猪たちの間に割って入り、猪の突進は止まった。だがそれを契機にヒグマが動く。
『グアァ!』
ヒグマは俺に向かって突進を始める。やはり狙いは俺に絞られていた。だがこの状況、想定していなかったわけじゃない。静かに引き金を引く指に力を入れると、撃鉄がライフル弾の撃針を叩き、弾室内で炸薬が燃焼を始める。燃焼ガスにより銃身内を押し出され、ライフリングにより凶悪な殺傷能力の回転を与えられた弾丸は狙い通りにヒグマに向かう。
次の瞬間、ヒグマの鮮血が宙を舞い、小さな深紅の花を咲かせた。
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