7.戦闘開始
下草をかき分けながら進むジロー、その後を注意深くチャチャとフェンリルが続き、最後にソウイチが続く。私たちは胸ポケットに入って様子を伺いながら、いつでも魔法を放てるように待ち構えてる。
見上げるソウイチの顔はいつもと違う緊張感を見せていた。私たちが過去に何度も見たことがある顔、命の危険のある戦いに挑もうとする戦士たちを思い起こさせる顔。それはつまり、ヒグマという獣がそれだけ危険極まりないという証。
ドラゴンの時は向こうからやってきてくれた。こちらに優位なフィールドで戦うことが出来た。でも今は違う、私たちには圧倒的に不利なフィールドで戦わなければいけない。敵のフィールドに踏み込むことの危険性を熟知しているからこそ、ライフルという凄まじい威力の武器を携えてなお、ソウイチは緊張を解かない。
あれから何度もヒグマの動画を見たけど、そのほとんどが飼育されて人間に愛嬌を振りまくものばかりだった。今回の相手はそんな生易しい奴じゃない。おそらくだけど、あのドラゴンに深手を負わせた奴だ。ソウイチが見たヒグマのおおよその大きさから考えて、あのドラゴンと接近戦になったと仮定すると、ヒグマが腕を振り下ろしたあたりにドラゴンの首がくる。ヒグマの爪痕と考えれば、私の感じた違和感に説明がつく。
となれば、今回の敵はドラゴンをも上回る力を秘めた獣だということ。ドラゴンを超える存在なんて私たちには想像もできない。魔力を持たない獣、単純な力のみでドラゴンを上回る獣、ドラゴンの障壁も意味を為さない暴力の化身、考えれば考えるほど恐ろしくなってくる。
「フラム、怖いの? 震えてるわよ?」
「もちろん怖い。ドラゴンを超える獣なんて想像もできない。シェリーは怖くないの?」
同じくポケットで待機してるシェリーが声をかけてくる。怖くないはずがない。本当ならソウイチと同じライフルを持った猟師が集団で追い詰めて倒すのに、今回は私たちだけでやらなきゃいけない。部外者を立ち入らせることは、私たちが衆目に晒される危険があるからということはわかってる。
なのにシェリーはいつもと変わらない。何度も危険な目に遭ってるから慣れたの? 慣れるものなの?
「怖くないと言えば嘘になるけど、でもソウイチさんと一緒だから。何があってもずっと一緒だから」
「シェリー……」
「ソウイチさんがいない世界なんてもう考えられない。なら最期まで一緒にいたほうがいい。大好きな人と最期まで……」
「シェリー……うん、そうだよね」
シェリーの言う通りだ、ソウイチがいなければこの世界がどんなに素晴らしくても全て色あせる。色の無くなった世界で生きるくらいなら、ここでソウイチと一緒に散ったほうがいい。ソウイチは怒るかもしれないけど、私たちにとってソウイチは命と同じくらい大事な存在だから。
シェリーはただ護られて、ソウイチが戻ってこないくらいなら一緒に散る覚悟を既に決めている。私はまだその覚悟が出来ていなかった。そのくらいの覚悟がなければ想像を絶する敵となんて戦えるはずがない。
「だからフラム……一緒に戦おう」
「うん、そして……絶対に勝つ。勝ってソウイチと一緒に戻る」
「もちろんよ、絶対に……」
突然シェリーの言葉が途切れ、がたがたと震え始めた。青ざめた顔には脂汗が滲む様子は、過去に数回見たことのある姿だった。まだ二人で森に隠れ住んでいた頃、強力な魔物に遭遇したときのシェリー、どう足掻いても埋まることの無い力の差を感じ取ったシェリーの姿。精霊を通じて周囲の状況を探れる彼女だから、きっと……
「フラム……来るわ。とんでもないのが……」
その言葉と同時に、繁みの奥から濃密な気配が漂う。こうなれば私でもわかる。凄まじい力を持った何者かが、ゆっくりとこちらに向かってきている。何者か、なんて考える必要もない。こんな気配を放てる存在なんて、今までこの山には存在していなかったんだから。
繁みが大きく割れて、そいつは姿を現す。まだ距離にして数百メートルは離れているにも関わらず、そいつの姿をはっきりと確認できた。つまりそれだけ……巨大だということ。おおよその目測でもあのドラゴンより一回り、いや二回りくらい大きいかもしれない。こげ茶色の獣毛に覆われた巨体を揺らしながら、ゆっくりとこちらに来る。
「あれが……ヒグマ……」
魔力を放っていないにも関わらず、ここまで漂う気配。自然と身体が震えてくる。ソウイチの身体も小刻みに震えている。いくらライフルを持っているとはいえ、あの存在相手には非常に心許ない。
「……いくぞ」
ソウイチが小さく呟く。それは怖気づきそうになる自分に対しての叱咤の意味があるんだろう。竦んでしまいそうになる自分の身体に、今こそ戦いの時だと知らしめるためだろう。
『な、なんだあいつは……』
フェンリルの呟きもまた、ヒグマの尋常ではない戦闘力を理解したことを意味する。あんなものを目の前にしたら、戦意を失ったところで誰も怒らないだろう。暴虐の化身ともいえる獣がゆっくりと私たちを見据える。
『ブモ!』
『『『『『ブモ!』』』』』
そんな中戦端を切ったのは、ソウイチでもチャチャでもなく、当然フェンリルでもなく、ジローだった。一声啼くと、周囲の草むらからたくさんのイノシシが現れた。皆ヒグマに向けて突進体勢をとっている。
ジローは私たちにヒグマの始末を任せるつもりなんかなかったんだ。自分の仲間を潜ませて、一緒に戦うつもりだったんだ。自分たちだけでは勝ち目がなくても、ライフルを持つソウイチとなら……勝てると信じて。だからジローはソウイチのところに来たんだ。自分の思いは伝わると確信して。
『あ、あんな連中に負けてなるものか!』
「ワンワンッ!」
フェンリルがようやく我に返り、チャチャが吠えながら牽制する。イノシシたちに攻撃が集中しないように、素早く走り回りながらヒグマの注意を逸らす。
「ソウイチさん……」
「ソウイチ……」
「まだだ……まだ駄目だ……動きが止まる時を待つんだ……」
チャチャ、フェンリル、イノシシがヒグマ目掛けて走り出す。獣道を外れ、斜面を駆ける姿をじっと見守るソウイチ。ライフルを構えたまま、銃口を固定して待ち続ける。
ソウイチは昨夜言っていた、狙うなら頭、特に目だと。身体の場合、ヒグマの強靭な筋肉で弾丸が抜けないこともある。だが目から頭蓋内部に侵入すれば、即死も狙える。だからその時を待つんだ、と。
こうして絶望的な地力の差を見せつけるヒグマとの死闘は始まった。私たちはあんなバケモノに本当に勝てるんだろうか……
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