1.初秋の日
新章スタートです。
残暑もようやく収まる気配を見せ、秋の長雨の気配がうっすらと感じられるようになった。農家にとっては大事な雨の季節だが、日常生活を送る上では少々厄介者扱いをされる。それは当然佐倉家でも同様で、ここ数日の曇天続きからようやく解放されたかのように輝く太陽の光を受けながら、屋内の清掃に勤しんでいた。
「ソウイチ、この本は何? 装丁が違う」
「本? こんな押し入れの奥に? って親父のアルバムじゃないか。……ああ、これは親父のスクラップブックだな」
「スクラップブック?」
「新聞や雑誌の記事で気に入ったものを切り抜いて保管してる本のことさ。通常はノートあたりを使うんだが、親父は保存を考えてアルバムを使ってたんだよ。ほら、少し色あせた新聞記事ばかりだろ?」
自分の部屋の押し入れを片付けていた宗一は、フラムの指さす一冊のアルバムを手に取り、数枚めくってフラムに見せた。そこにはセピア色に変色しかけている新聞の切り抜きがいくつも収められていた。
もう何度目かの小休止、フラムが何かを見つけるたびに宗一は手を止めてフラムに説明している。そのせいか一向に清掃が捗っていない。
「フラム、掃除の手伝いじゃなくて邪魔してるんじゃないの?」
「シェリー、これはとても大事な作業。内容をよく確認せずに書物を処分するという失態は学問を志す者ならば一度は必ず経験する。そして自分の迂闊さに打ちひしがれる。これはとても大事な作業」
「急いで終わらせなきゃいけないワケじゃないし、構わないぞ?」
「そうもいきませんよ、片づけた押し入れには……その……私たちのお部屋が入るんですから……」
もじもじしながら顔を赤らめるシェリーの姿に、宗一とフラムは苦笑いを見せる。フラムが戻り、より三人の絆が深まったということで、改めて宗一の部屋に二人のドールハウスを持ち込むことになった。とはいえ宗一が使っている部屋は彼の両親の寝室であり、決して広い部屋という訳ではない。なので押し入れを片付けることで少しは広く使えるようにと現在絶賛片付け中なのだった。
「俺としては……まだ早いかとも思ってるんだが」
「ソウイチ、私たちとの絆をもっと深めるためにこれは必要なもの。だから決して早いなんてものはない」
「そ、そうですよ、私たちは……その……一緒になるんですから……」
当然ながらシェリーとフラムにそこまでの決定権はない。言うまでもなく初美の入れ知恵があってのことだ。だが二人があまりにも真剣に賛成するものだから、宗一は半ば強引に押し切られてしまったという訳だ。
結局何度目かの休憩に突入することになり、二人は興味深そうに宗一のページをめくる手に合わせてアルバムに収められた新聞記事に見入っている。シェリーはまだ漢字が不得手なためにたどたどしく、フラムは常用漢字ならばほぼマスターしているのでスムーズに、活字を読み込んでいく。
「ソウイチ、この記事の場所はそんなに遠くない?」
「ん? ああこれか。そうだな、県境の山だから、うちの山から五つほど離れた山だな。もう十年くらい前の記事だけどな」
「一体どんな内容なんですか?」
「まあその……金持ちの道楽が行き過ぎた結果だな。他に被害が及ばなかったのが不幸中の幸いだったがな」
その記事には宗一も覚えがあった。現場が家から近かったことと、その特異性のおかげで記憶に深く刻み付けられている。両親の安否確認で毎日のように実家に連絡を入れていたくらいだから、忘れるはずもない。
事件の現場は県境の山、通っているのは細い林道くらいで人家などほとんど見当たらない山奥で、とある資産家の持ち物だった。その資産家は狩猟を趣味としており、自分の持ち物である山で好き勝手に狩猟を行い、摘発された。その山の近くは鳥獣保護区になっており、鳥獣保護法違反となった。しかし事件はそれで終わらなかった。
その資産家は、そこに棲息する猪や狸などの野生動物を無断で狩っていたのだが、それでは満足できないようになっていった。ならば北海道にでも遠征してエゾシカでも撃てばいいと普通は考えるが、その資産家は考え方が常軌を逸脱していた。
『態々北海道まで行かなくても、ここに連れてくればいつでもスリルある狩猟を楽しめるじゃないか』
警察の一団が現場に踏み込んだ時、誰もが息を飲んだという。狩猟の当日、やや陽が傾きかけた頃に資産家の一団の身柄を確保しようとした時、そこに並べられた『獲物』が想像を絶したものだったからだ。
猪や狸だけじゃなく、キツネの姿もあった。しかも本土にいるものではなく、明らかにキタキツネ。そして巨躯を晒すシカはエゾシカ。そう、その資産家は北海道から動物を生け捕りにし、自分の山に放って狩猟を楽しんでいたのだ。
だがそれもまだ序の口、その程度では資産家の財力でいくらでも時間をもみ消すことは可能だったが、絶対にもみ消すことのできない事態が発生していたからだ。
一際巨大な獣、絶対にここにいてはいけない凶暴な獣が全身に無数の銃創を作って横たわっていたのだ。あまりにも異常な資産家の思惑に、もはやもみ消しが出来るレベルを超えていたのだ。
「……これが『ヒグマ』?」
「ああ、十五歳くらいの雌だったらしいな」
「こんなに大きな獣がいるんですか?」
「このあたりには棲息していないから安心していいぞ」
セピア色の記事の写真には、ユニックで吊られるヒグマが写っていた。問題はその大きさだ。吊られているおかげで全長はおおよそ見当がつく。その大きさは一緒に写っている誰よりも大きかった。目算でざっくり判断しても2メートルは優に超えていたのだ。ドラゴンよりもはるかに大きな獣の写真に驚きを隠せないシェリーとフラムではあったが、宗一からこの地域には棲息していなく、この事件が特殊だっただけと説明を受けて顔に安堵の表情を浮かべる。
「その後はどうなったんですか?」
「付近の猟師総出で山狩りをしたらしい。エゾシカが2頭ほど仕留められたらしいが、ヒグマは一頭しか持ち込まなかったという証言もあって、それで打ち切られた。今はその資産家も死んで、山は他人の手に渡ったらしい。最近だと太陽光発電の計画もあるらしいけどな」
「ちょっと残念……ヒグマを見てみたかった……」
「ならいつか北海道に行ってみるか? 確かヒグマをたくさん飼育してる牧場があったはず」
「そういうのは違う、厳しい自然環境で生きる獣を見てみたい」
「それは勘弁してくれ、いくらなんでもヒグマ相手じゃ茶々も荷が重い」
いくら茶々が強くなったとしても、ヒグマ相手に戦えるかどうかと問われれば、宗一は即座に否と答えるだろう。実際に相対したことは無くとも、様々な情報から十分にその強さを知ることが出来る。佐倉家の近辺に出没する獣とは数段格上の存在に近づきたくないというのは、野生の獣に接することが多い宗一の心の底からの感情だろう。
「北海道って食べ物がおいしいんですよね」
「一度は行くべき、新婚旅行は北海道もいい」
「あら? ハワイが良かったんじゃないの、フラム?」
「むぅ、ハワイも捨てがたい……」
掃除の手を完全に止めて、将来宗一と結婚した後の新婚旅行の行き先についての話に花を咲かせるシェリーとフラム。そんな二人の微笑ましい姿を見ながら、宗一は心の奥底にわだかまる不安を完全に払しょくできないでいた。
ドラゴンという未知の生物との遭遇、もっと言えばシェリーもフラムも宗一にとっては未知の存在だった。自分の想像をはるかに超えた領域からの来訪者が現実に存在する以上、世の中何が起こってもおかしくないという当たり前のことを改めて再認識させられた。
これから先、どんな奴が現れるかわからない。だがもう宗一は独りではない。護るべき大事なものがいくつも出来、戦うために銃を取る決意をした。いや、それを思っているのは決して宗一一人ではない。シェリーもフラムも、初美も武も、そして茶々もまた同じことを考えているに違いない。
一人でダメなら皆で力を合わせればいい。そうやってドラゴンを倒してきたという自負が、宗一の心のわだかまりを少しずつ解していく。『大丈夫、どんな奴が相手でも』という思いが佐倉家の皆に芽生えた頃、そんな決意をあざ笑うかのように、それは現れるのだった……
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