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巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者  作者: 黒六
押しかけてきた花嫁
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9・来るべき時

「ヒラタさん、ヒーちゃん、お食事ですよ」

「……」

「……」


 フラムが昆虫ゼリーのカップを抱えて声をかけると、部屋から一緒に出てくるヒラタさんとヒーちゃん。どうやらあの雌の名前はヒーちゃんに決定したらしい。本人が嫌がっていないので、それでいいということなんだろう。フラムがカップを置けば、二匹で仲良く食べ始める。小さなゼリーのカップに寄り添うように食べる姿は見ていてとても微笑ましい。


「……」

「……」

「まだおかわりがあるから、遠慮なく食べて」


 ヒーちゃんはこれまでの絶食が嘘のように、物凄い勢いで食べている。昨日の夜までほぼ一週間絶食していたので、それも当然だろう。経験上、そこまで絶食すれば大概の甲虫は死んでしまうはずだが、これもドラゴンの血を間接的に摂取したことによる変質の影響だろう。身体が大きくなった分、体力も上がっていたとすれば納得がいく。


 例外も多いので一概に纏めて判断することはできないが、概ね甲虫の類は即効性の高いカロリーを欲する。それはあの身体を維持するためには仕方のないことだが、とても燃費が悪い。なので樹液のような高い糖分のものを欲するんだが、それにしてもこの食欲はすさまじい。


 だがこれだけの食欲を見せられると、否応なしにその時が近づいていることを考えてしまう。これだけのエネルギー摂取が必要になることといえば……それは当然、産卵だろう。自分の全生命力を使い果たして行う大事な行為、もちろん一部のハチやアリのように、何度も産卵を繰り返すものもいるが、甲虫は通常一生に一度しか産卵しない。


 当然そのことはフラムには昨年ミヤマさんたちが来た時に話してあり、フラムがそれを忘れているとは考えにくい。自分なりにいずれ来る別離の時を受け入れているんだろう。


 その別れは決して悲しいものじゃない。これから先の未来にヒラタさんとヒーちゃんの子孫を残すための、希望に満ちた別れだ。ヒラタさんたちの未来を考えるなら、快く送り出してやるべきだ。その子供たちもまた我が家に来てくれることを信じて……



**********



 ヒラタさんとヒーちゃんが一緒に暮らすようになってから十日ほど経ったある日、二人の行動がいつもと違った。いつもなら日没くらいに部屋から出てきて、食事した後に一緒に見回りしながら遊んで、というのがいつもの流れだったけど、その日は食事もそこそこに縁側のほうに歩いて行った。


「ヒラタさん、もう夜だから外出は出来ない」

「……」

「……」


 ヒラタさんもヒーちゃんも一度だけ私のほうを振り返ったけど、それ以降はずっと閉ざされた雨戸のほう、つまり屋外のほうを眺めてた。見回りすることもなく、ただずっとそこにいた。そして夜明け近くになってようやく諦めたのか、自分たちの部屋へと戻っていった。


「……ということがあった」

「もしかすると……そろそろ産卵が近いんじゃないか? きっと産卵に適した朽木を探しに行きたいんだろう」

「それはここで用意出来ないの?」

「たぶん……あのクヌギの傍がいいんだろうな」


 そのことをソウイチに話せば、やはり想像通りの言葉が帰ってきた。いつかこの時が来ると言われていたけど、きっと今がその時なんだ。


 私としてはここで産卵してほしいと思ってる。せっかく私のところに来てくれたんだ、ずっと一緒にいたいと思うのは私の我儘かもしれないけど、それが正直な私の気持ち。でもヒラタさんたちはあのクヌギで育ったからこそ、私たちの言葉を理解できるまでになった。その環境が作れなければ、おそらく普通のヒラタクワガタにしかならないんだ。


 じゃあドラゴンの血を使って同じ環境を作ればいい、と考えたけど、それはとても難しい。ドラゴンがどれほど昔からあのクヌギを塒にしていたかわからないけど、きっと長い年月が経過していると思う。それをここで再現するのは不可能だ。それに……ヒラタさんたちが安心して産卵できる環境にならなきゃ意味がない。


 ヒラタさんのことは大好きだけど、いつまでも一緒にいたいと思うけど、でもこのままではヒラタさんは種族としての役割を果たせない。次世代を遺すことの重要性は私もよく理解している。だからそのためにヒーちゃんと一緒になるようにしたんだから。


「ヒラタさん、山に帰りたいの?」

「……」

「ヒーちゃんも?」

「……」


 そう問いかければ、二人は揃って私のほうを見た。黒曜石のような輝きの目がじっと私を見つめる。言葉はわからないけど、その瞳の奥にある意思が何となくだけど理解できた。


 二人は帰りたがってる。自然界の掟に従い、次世代を遺すために。でもきっと……二人も私たちと別れることを辛いと思ってる。だからこうして外を眺めるだけにしているんだ。だって帰りたいなら、いつでも出ていけばいいんだから。朝早くとか夕方とか、外に出るタイミングはいくらでもあったんだから。


「……私たちのことは気にしないで、ヒラタさんは自分の役目を果たすべき」

「……」

「……」


 辛い気持ちを押し殺して語り掛ければ、二人は私の所に来て身体を摺り寄せてきた。それはまるで甘えているようにも、そして申し訳ないと謝っているようにも感じた。その気持ちは私も一緒、だって命がけで冬を越して、一年越しの約束を果たしに来てくれたんだから。


 危険を冒して私を助けに来てくれた。チャチャやクマコに比べれば力は弱いかもしれないけど、それでも勇猛果敢に戦ってくれた。そんな大事な仲間と別れたいなんて心の底から思ってる訳ない。


 でもダメなんだ、このままここにいたらダメなんだ。ヒラタさんとヒーちゃんのことを考えたら、私たちとずっと一緒にいることは出来ないんだ。ドラゴンの力によって変質しているのかもしれないけど、それでもまだ自然の掟が二人の中にある以上、それを私たちが捻じ曲げてしまってはいけないんだ。


「……ヒラタさん、ヒーちゃん、山に帰ろう? 二人の大事な子供たちのために」

「……」

「……」


 子供たち、という言葉に二人が動きを止める。そしてしばらくしてから再び私に身体を擦りつけると、一緒に見回りに行こうと催促する。きっとこれが最後のふれあいになると理解してるんだ。私たちと決別するため? ううん、きっと私たちとの思い出を心の中に刻み込むためだ。そして自分の子供たちにも私たちとの絆を伝えるために……


「わかった、今夜はずっと付き合う。いっぱい遊ぼう」


 そう言ってヒラタさんに跨ると、いつも以上に力強く歩き出す。そしてヒーちゃんもそれに続く。とても雄々しい歩みの前に、時折現れるゴキブリは姿を見ただけで逃げ出していった。このままずっとこの時間が続いてほしい、でもその願いは絶対に叶わない。


「……二人とも、元気な卵を産んでね」


 私の漏らした呟きが聞き届けられたかどうかは分からない。でもきっと……二人の間に産まれる卵は元気に孵る。そして私たちのところに来てくれる。涙で滲むヒラタさんの姿を見ながら、私はそう確信していた。だって私たちの絆はそんなに簡単に切れてしまうようなものじゃないはずだから……


読んでいただいてありがとうございます。

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