8.届く思い
「ヒーちゃん、頑張るわね。もう五日目よ、何も食べてないんでしょ?」
「うん、食事をあげても全然手をつけない。ヒラタさんは食べてるんだけど……」
ハツミさんとフラムが心配そうな顔で話してる。あれから五日、ヒーちゃんは相変わらずヒラタさんの後ろをついて歩いてる。ヒラタさんもいくぶんかは気になっているみたいだけど、はっきりと意思表示する行動をとってない。
そしてヒーちゃんは全く食事に手を付けなかった。ヒラタさんが食事してる姿をじーっと眺めてるだけで、傍に近づけても全然食べてくれなかった。それだけヒラタさんと一緒になりたい気持ちが強いんだと思う。
「ヒーちゃん、食べないと死んじゃう」
「……」
フラムがヒラタさんと同じ食事を持って行っても、全然食べる素振りがない。それどころか頭で押し返すくらい。ヒラタさんが自分に対して心を開いてくれる瞬間をずっと待っているみたいで、常にヒラタさんと行動を共にしてる。
ヒラタさんは最初こそフラムのことを追いかけてたけど、敢えてフラムのほうから距離をとることにしたみたい。だってあれほど明確に「一緒になれない」って言ったのに、すぐに一緒に行動してたら真実味が無いものね。そのせいか、ヒラタさんも最近はフラムから離れてることが多くなった。
「フラム、やっぱり駄目だった?」
「うん、全然食べてくれない。敵意がある訳じゃないみたいだけど……」
「もしかして……ヒラタさんが傷ついてるのを心配してるんじゃないかしら? 私たちだって心配事があったら食欲なくなるじゃない」
「でもヒラタさんは食べてるよ?」
「きっとフラムに心配かけさせたくないんじゃない?」
ヒラタさんはフラムとは距離を置いてるけど、食事はきちんと摂ってる。でも今までより食べるペースが落ちてるから、ショックを完全に隠しきれてないみたいだけど。今のところまだヒーちゃんには衰弱の気配はないけど、このままずっとこの調子だと、いつかは力尽きちゃう。ヒラタさん、お願いだからヒーちゃんの気持ちに早く気付いてあげて……
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それから三日経過して、相変わらずヒーちゃんは何も食べようとしなかった。ずっとヒラタさんの後ろを少し離れてついていくだけ、ただそれだけをずっと続けていた。何も食べずにもう八日も経っていて、外見からは異常は見られないけど、足取りが最初の頃に比べたら明らかに鈍い。時折動きが止まることもあって、そろそろ限界が近いのかもしれない。
「ヒーちゃん、少しでもいいから食べて。じゃないと本当に死んじゃう」
「……」
フラムが必死に説得してるけど、ヒーちゃんは一向に手を付けない。ただずっとヒラタさんのことを見てるだけ、でもその動きはとても緩慢だ。かろうじて動いてる、そんな感じ。
「どうしてそこまでするの? 自分の命よりヒラタさんのことが大事なの?」
「……」
何もそこまでしなくても、と思ったけど、ヒーちゃんにとってこの恋を成就させるのは本当に命がけなんだってソウイチさんが教えてくれた。種類によって違いはあるけど、主にヒーちゃんのような甲虫は産卵をしたら死んでしまうことが多くて、産卵しなくても冬を越せずに死んじゃうこともあるって。
だからヒーちゃんにとって、この恋が成就しなかったら、孤独なまま死ぬことと同じなんだろう。ここでヒラタさんに振り向いてもらえなかったら、ここで死んでしまったほうがいいと思ってるのかもしれない。もしここでヒラタさんを諦めたとして、ヒラタさんと同じような存在に出会えるかどうかわからないんだから。
「ヒーちゃん? ヒーちゃん⁉ しっかりして!」
「…………」
「フラム! 動かしちゃダメ!」
ヒーちゃんの動きが今まで以上に緩慢になって、かろうじて触覚の動きだけがフラムの声に反応するだけになった。もう自分では動けないくらいに衰弱してるみたい。このままじゃヒーちゃんは……
「……ヒラタさん?」
「……」
私たちがヒーちゃんを介抱しているところにヒラタさんがやってきた。ヒラタさんは私たちを押しのけると、ヒーちゃんの身体を大あごで挟んで持ち上げた。そしてそのまま歩き出す。もしかしてこのまま家の外に出そうとしているの?
「ヒラタさん、何をして……」
「シェリー、ちょっと待って。あの方向は……」
ヒラタさんはヒーちゃんを抱えたまま、自分の食事の置いてあるところに向かった。そしてヒーちゃんの口が食べ物の位置に来るようにそっと下ろすと、まるで話しかけてるみたいに触覚と触覚を触れ合わせる。するとようやくヒーちゃんが食事を始めた。これってもしかして……
「フラム、あれって……」
「うん、ヒラタさんがヒーちゃんに自分の食事をあげてる。きっとヒーちゃんの想いを受け止める決断をしたんだ」
一心不乱に食事を続けるヒーちゃんを護るように周囲を警戒するヒラタさん。そんなヒラタさんに全てを委ねるかのように、安心しきっているヒーちゃん。一瞬だけど、ヒラタさんとヒーちゃんが騎士とお姫様に見えた。
ヒラタさん、やっとヒーちゃんの想いを受け止めてくれたんだね。フラムのことを忘れることはできないにしても、その想いを心の奥底にしまいこんで、ヒーちゃんと一緒になってくれるんだね。
やがてヒラタさんの分の食事を全部平らげると、ヒーちゃんは少しだけ動けるようになった。まだ足取りがおぼつかないけど、きちんと自分の足で歩けてる。そしてヒラタさんはそんなヒーちゃんに付き添うように歩いてる。そして二匹はヒラタさんの部屋に向かう。
「ヒラタさん……ありがとう。ヒーちゃんをよろしくね」
「……」
フラムが声をかけると、ヒラタさんは動きを止めた。身体を撫でられても特段嫌がる素振りがないのは、フラムのことを嫌いになってはいない表れだと思う。ヒラタさんが大事な仲間なのは変わりない事実、それをヒラタさんは行動で示してくれたんだ。
「ヒーちゃん、よかったね」
「……」
ヒラタさんにそっと寄り添うヒーちゃんの顔も、受け入れてもらえた嬉しさが感じられる。一時はどうなることかと思ったけど、この様子ならもう大丈夫かな。
一緒にヒラタさんの部屋に入っていくヒーちゃんを二人で見送りながら、感慨深げな表情を見せるフラム。その目にはうっすらと涙が溜まっている。
「これでいい、ヒラタさんとヒーちゃんには種族の存続という重要な役割がある。命がけの大事な役割が」
「そうね、でもその時がくるまでは、しっかりと見守っていきましょう」
「うん」
もうすぐ夏が終わる。その時までにヒラタさんたちは産卵して次世代を遺さなきゃいけない。そのためにはたくさん食べて栄養を摂らなきゃいけない。元気な元気な卵を産むらめに。
ヒラタさんたちの後ろ姿を見送りながら、複雑な表情を見せるフラム。それは決して、自分が振ったヒラタさんが幸せになるのがどうこうという話じゃない。ヒラタさんとヒーちゃんが幸せになる、子孫を残すという種族の責務を果たすということは、私たちとの別れの日が近づいているということと同じだから。
私たちの大切な仲間との別れ、それを受け入れなきゃいけない日が……
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